「共同参画」2015年 3・4月号

「共同参画」2015年 3・4月号

連載 その1

男女共同参画 全国の現場から(11) 人口減少社会に思う
地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員 藻谷 浩介

「地方自治体の半分に消滅の可能性」というレポートが発表されて以来、政治・行政関係者の注意がようやく人口減少問題に向き始めた。だが、減少を食い止めるのは容易ではない。毎年の出生者数が過去40年の間に半減した日本では、出産適齢期の女性の数が今後さらに3割程度減少するからだ。

とはいえ、現在1.4程度の合計特殊出生率をいずれ2.1程度まで上げられれば、ゆくゆくは人口の下げ止まりも見えてくる。そのときに日本の人口自体がどこまで減っているかは、まったく予断を許さないが。

ではいかにすれば出生率を上げられるのか。女性就労の増加が出生率を下げたと断ずるのは早計だ。2005年および2010年の国勢調査によれば、都道府県別にみた20・30代女性の就業率(就業者には正社員のみならず非正規社員も含まれるが、専業主婦や学生は含まれない)と、合計特殊出生率には正の相関が見られる。また、共働き家庭の方が専業主婦家庭よりも子供の数が多いというのも、よく指摘されるところだ。学問的にはもっと厳密な議論を展開することが可能だが、社会常識としては、「女性就労が進んで世帯所得が増える方が、子供の数も増える」という認識を、皆が共有する必要がある。

そこは理解されたとして、では、「就労しつつ2人の子供を持つ」ということが、女性のあるべき姿として推奨されるべきなのか。そうではない。女性全員が2人ずつ子供を産むことなど、今はもちろん昔であってもありえない話だ。子供を持ちたいと思うか思わないかはまったく個人の自由であり、かつ仮に子供を持ちたいと思っても実際に持つことができるかは、これまた人為を超えた結果だからある。昔の日本の出生率を押し上げていたのは、全体の一部にすぎない子沢山の女性の存在なのだ。

そもそも各人が平均値に近づこうとすることが、平均を押し上げるのではない。クラスの平均点を60点にしたい場合に、全員が60点を取りに行くのはナンセンスだ。同様に、3人、4人、5人と平均以上の数の子供を持つ女性が増加しない限り、合計特殊出生率2.1は実現しない。言い換えれば、たまたま機会と体質に恵まれた一部の女性が、平均をはるかに上回る数の子供を産むことが出来るような社会を実現することで、初めて日本の人口減少は止まるのだ。

一部の女性が平均をはるかに上回る数の子供を産むことが出来るような社会とは、それではどういう社会か。子育ての肉体的・時間的・金銭的負担が子供の数に応じて機械的に増加していく、のではない社会。子供を自分自身で育てられない状況にあっても、出産を選択する女性がいる社会。つまり出産後の子育てが「母親の自己責任」とされず、互助(パートナー男性の全面的な参画や、里親の増加)、共助(地域社会や篤志団体の支援)、公序(税金を使っての支援)が重層化した、手厚いバックアップが完備された社会である。母親が結婚していてもしていなくても、生まれた子供が同じように世の祝福を受けて育つことのできる社会である。

はるかに遠い将来なのか、意外に近い将来なのか、「子育ては親の自己責任」という固定観念が消えるとき。そのときようやく、日本の人口減少は止まることになる。

もたに・こうすけ/地域エコノミスト。日本政策投資銀行を経て現在、(株)日本総合研究所主席研究員。平成合併前3,200市町村をすべて訪問し、地域特性を多面的に把握。地域振興や人口成熟問題に関し精力的に執筆、講演を行う。政府関係の公職を歴任し、現在、男女共同参画会議専門委員。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」「しなやかな日本列島のつくりかた」等がある。