「共同参画」2014年 7月号

「共同参画」2014年 7月号

連載 その2

男女共同参画 全国の現場から(3) なでしこと日本企業
地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員 藻谷 浩介

今年は男子サッカーのワールドカップがブラジルで開かれるが、女子サッカーも、来年にカナダでのワールドカップを控える。この稿を書いている5月中旬から、その予選を兼ねたアジアカップが始まった。初戦の相手は前回優勝のオーストラリア。日本チーム(なでしこジャパン)は2点をリードされる苦しい展開だったが、試合時間が残り4分の1となってから2点を取り返し、引き分けに持ち込んだ。

思えば前回の2011年大会での米国との決勝戦でも、日本チームは2度引き離されながら延長戦の土壇場にまた追いついて、PK戦で勝利をもぎ取った。その精神力の強さには誰もが脱帽したが、それ以上に彼女たちの戦いぶりには、男だ女だ、日本人だ欧米人だという垣根を超越した、アスリート(運動選手)としての完成があったことを、強く記憶している。

延長戦の最後まで軽々とピッチを走り続ける体力。むきだしの運動神経が肉体をまとっているような、雑念がないゆえにプレッシャーの付け入る隙がない動き。筋力頼みになりがちな男子のプレーではむしろ楽しめない、サッカー本来のボール回しの面白さが、我々を酔わせた。そう、彼女らの勝利は、確かに日本女性の快挙でもあったが、何よりも「人間」というもののすごさ、運動能力や集中力やチームワークの極限を、感動と共に示してくれたのではなかったろうか。

ひるがえって考えてみたい。サッカーやゴルフやマラソン、テニスやソフトボールやスケートでも繰り返し示されている、日本女性の世界に伍す力。この「人間」としての力を、日本の地域や会社は引き出しているだろうか。その集中力を、団結力を、どんなときでもあきらめない前向きな思いを、地域や会社のパワーにできているだろうか。できていないとすれば、それはなぜか。女性の力を、押し込めてしまっているのは何なのだろうか。

女性の活躍を阻む仕組みの一つが、女性を「人間」である以前に「女」であると見て論評する男目線の慣習だ。試合後の女性選手に、スポーツの話そっちのけで「彼氏はいますか」「ファッションは何を参考にしていますか」とインタビューしてしまうような、そういう思考回路。男子サッカーのワールドカップの後、本田や長友は「彼女はいますか」「洋服はどこで買いますか」などと聞かれてはいなかった。スポーツ選手には、男であろうと女であろうとまずスポーツの話を聞くべきだ。政治家や社長に会ったときに、政治や経営の話そっちのけでいきなり、「奥さん(旦那さん)とうまくいっていますか?」とは聞かないのと同じことだ。

職業人として見るべき相手を、男性としての目で見て女性として評価してしまうというのは、あるまじき「公私混同」だろう。そのような公私混同を許してきたことが、日本人の半数強を占める女性の力を押し込め、日本社会全体の活力を大きく損なっている。さらにいえば、評価する側、地位の高い側が男ばかりという、これまた先進国らしからぬ寒々とした現状が、事態の改善を遅らせている。

責任ある地位に立つ女性を増やし、男女問わず同じ基準で能力を判断するのが当たり前の日本社会にすることが、今ほど求められているときはない。

藻谷浩介 地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員
もたに・こうすけ/地域エコノミスト。日本政策投資銀行を経て現在、(株)日本総合研究所主席研究員。平成合併前3,200市町村をすべて訪問し、地域特性を多面的に把握。地域振興や人口成熟問題に関し精力的に執筆、講演を行う。政府関係の公職を歴任し、現在、男女共同参画会議専門委員。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」「しなやかな日本列島のつくりかた」等がある。