「共同参画」2014年 6月号

「共同参画」2014年 6月号

スペシャル・インタビュー/第38回

招致活動は、女性として明るさや笑顔を持って交流できたことがプラスでした

佐藤 真海
サントリーホールディングス株式会社CSR推進部
パラリンピアン

聞き手 木下 富美子
きのした・ふみこ/前内閣府男女共同参画局政策企画調査官


〜「神様は、乗り越えられない試練は与えない。」闘病中の母の言葉は、今、強い信念で私を支えています。〜

今回は、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2014」大賞に選ばれた佐藤真海さんにお話を伺いました。

─ 19歳で骨肉腫を乗り越えた原動力をお聞かせ下さい。

(佐藤)一言では難しい。長い時間考え悩みながら、試行錯誤で一歩一歩進んできました。10年経ち、完全に今の自分の運命と人生を受け入れることができるようになって、やっと楽しく生きられるようになりました。落ちるところまで落ちたことで、敷かれたレールに沿って進む道でなく、自分らしい生き方をする機会を与えられたと思うようになりました。支えてくださる皆さんとの新しい出会いで、一つ一つ扉が開いてステージが上がり、機会や運命に恵まれて、それに追いつくように、必死に歩いてきました。スポーツはすごく大きな存在で、命の恩人です。本当に自分らしさまで失った時、スポーツを通してもう一度、勇気を持つ、そこに向かってがむしゃらになるということを思い出しました。せっかくなら、感動のある人生の方が良い。スポーツを通して、人生の生きがいを一つずつ思い出していきました。

─ 誰にでも乗り越えられる試練じゃないですね。

(佐藤)義足になってすぐの頃、大学の卒業や、10年後の自分を全く想像できませんでした。でも、後悔しない生き方をしようと決めてからは、二つの分かれ道があったら、よりチャレンジ精神が湧く方、より壁が高い方を選ぶようになりました。リスクがあるとしても、思い切ったチャレンジをしようと。

─ 具体的にはどんなチャレンジですか?

(佐藤)例えば、人前で話すことが苦手で子どもとの接し方もわからないところから、今は多くの講演をするようになりました。世界へのチャレンジも最初は本当に気後れしました。勇気を持って、一歩一歩いろんなことをやってきたことが、去年の東京五輪招致活動にも繋ったと思います。

─ 仕事と競技の両立のご苦労や工夫をお聞かせください。

(佐藤)最初は上手く両立できず、どちらも中途半端でした。上司と相談し、競技で得たものを子どもたちに伝えることを、CSR活動として仕事と認めてもらい、チームでなく一人で動けるようにしました。練習時間を確保できると競技に対して前向きになり、さらに仕事に対しても前向きになり、相乗効果が生まれました。

─ 自ら働きかけて両立できる環境を作ったんですね。ご自身が女性でプラスだと思うことは?

(佐藤)例えば招致活動でのロビー活動の本質は人対人のコミュニケーションです。女性として、男性にはない明るさや笑顔を持って交流できたのはプラスでした。プレゼンテーションも、男性がずっと話すより、女性が場の空気を作って、バランスがよかったのかなと思います。

─ 逆に、マイナスだと思うことは?

(佐藤)特に、ないかもしれません。

─ 今後にも不安はありませんか?

(佐藤)はい。女性は女性なりの人生の楽しみとか幸せがある。仕事との両立に関しては、皆もやっていることですし、それを含めて、女性の人生だと思います。

─ 子どもたちへの活動を詳しく教えて頂けますか?

(佐藤)小学校を中心にワークショップをしています。語りかけたり、一緒にスポーツをしたり、学校のニーズに合わせます。例えば、命の大切さを育みたいとなれば、自分の病気のこと、手術をしていなければ今生きていないかもしれないということ、闘病生活中に一緒に戦った仲間が亡くなっていく、その人たちは、本当に心から生きたいと願っていた、ということなどを話して、自分の命も人の命も大切にしてほしいと訴えます。また、辛い時こそ前を向きチャレンジ精神で自分を奮い立たせてきたので、震災以降なかなか前を向けない状況の子どもたちに、そういう時こそ、チャレンジすることがとても大切だと伝えたりします。話だけだと、本当に義足なんだろうかと思う子どももいるでしょう。そんな時、競技用の義足を付けて走ってみると、「本当に義足だったんだ!」と感嘆してくれる。走るスピードに驚いてくれる。言葉は忘れても、義足を見る、そのインパクト、イメージは残ると思います。後になって「あの時の」と思い出してもらえたら良いなと思います。

─ 確かに力強く伝わりますね。

(佐藤)一緒にスポーツをするのも大切です。スポーツには、心の扉を開かせる力があります。喜怒哀楽を発散できますし、人対人の心と心の通じ合いという意味でも、子どもたちとものすごく近づけます。最初にあった遠慮や壁が、走ったり、縄跳びしたり、ちょっとスポーツを一緒にするだけで、皆が目を見て話しをするようになります。

─ 若い女性達へのメッセージをお願いします。

(佐藤)これから悩む人も、今悩んでいる人も、必ず意味があり、みんな繋がっていて、道は開いていく。そんな時、目標を持ち、こうなりたいと自分を描くことが大事です。「ないもの、出来ないこと」を嘆かず、「自分にあるもの」を大切にして、力を最大限に引き伸ばしていくことをパラリンピックから学びました。義足になり、開けていなかった引き出しを見て、限界の蓋を外すことで、こんなこともできるのか、と解放されました。子どもたちにも、限界の蓋を外そう!と伝えています。

─ 例えばどんな蓋を外してきたのですか?

(佐藤)スポーツで言えば、技術を変えることも一つのチャレンジ。新しいチャレンジをすると、定着するまで一回は記録が落ちます。でも、一回落ちてもそこから前よりちょっと上がることを信じる、自分を信じてあげる、という気持ちがないと耐えられません。1年、2年、時に4年くらい駄目な時もありました。

─ 4年もですか。

(佐藤)ロンドン大会の前、幅跳びの踏切足を義足に変えましたが、定着せず苦しい時期を過ごしました。震災で練習もストップする中、さすがに心が折れそうに。でもパラリンピックがあればこそ、きっとその前に上がってくるはずだと信じました。強い思いがあれば、引き上げてもらえる時が自然に来ます。4年に1回しか記録が伸びないようなことが起きる。3大会とも最終選考会でベストを更新して代表選手に選ばれました。

─ 最後に、「好きな言葉」を教えてください。

(佐藤)「神様は、乗り越えられない試練は与えない」という母の言葉です。闘病中ずっと支えにして落ちていく気持ちを何とか繋ぎとめました。10年経ってそれは強い信念になっています。今駄目でもきっとこの先に繋がる、この試練には必ず意味があるんだと。

─ お話を伺って本当に元気が湧きました。本日はありがとうございました。


佐藤真海さんとインタビュアー


練習風景


佐藤 真海 サントリーホールディングス株式会社CSR推進部 パラリンピアン
佐藤 真海
サントリーホールディングス株式会社CSR推進部
パラリンピアン

さとう・まみ/
1982年 宮城県気仙沼市生まれ。2004年早稲田大学部商学部卒業後、サントリーに入社。大学在学中骨肉腫を発症し、義足となる。リハビリとともに陸上競技をはじめる。
・2004年アテネ(9位)、2008年北京(6位)、2012年ロンドン(9位)と3大会連続パラリンピック出場を果たし、2013年4月、ブラジルで開催された大会で自己記録を更新5m02(日本記録)。2013年7月、IPC(国際パラリンピック委員会)陸上競技世界選手権で銅メダル。
・担当業務はキッズ活動推進。自らの体験をベースとした出張授業、ワークショップなどを実施し、2011年は14回6,608人、2012年は4,814人の子どもたちと接した。
・震災後は、これまで出張授業、ワークショップを実施した学校に呼びかけ、応援メッセージ、支援の品、義援金を、2,000人を超える子どもたちから集め、気仙沼の母校(小・中)を訪ねた。その行動が新聞各紙の人欄に取り上げられ、アエラの「日本を立て直す100人」の1人に選ばれている(2011年)。
・日経ウーマン「ウーマンオブザイヤー2014」大賞を受賞。