「共同参画」2013年 6月号

「共同参画」2013年 6月号

連載

男女共同参画は、日本の希望(2)大きな時代変化の中で
中央大学・教授山田 昌弘

男女共同参画、なかんずく、女性の経済的活躍の推進を考える場合、大きな時代の流れを考えておく必要があります。

社会の慣習や制度は、時代によって変化します。それは、家族慣習や男性や女性の役割でも同じです。たとえば、古代から明治時代中ごろまでは、日本では儒教の影響を受けて夫婦は別の姓を名乗っていました。しかし、明治31年(1898年)、民法制定の時、欧米のキリスト教国の風習に合わせ夫婦同姓を採用し、現在に至っています(註1)

註1:世界的に見ると、欧米やフィリピンなどキリスト教の影響の強い国では夫婦同姓が多く、中国などキリスト教の影響が少ない国では夫婦別姓が多い。

男女の家庭内の役割分担も時代によって大きく変化しています。その変化は、経済状況の変化に従って生じたものです。そこで、日本の歴史を、戦前の農業が中心だった時代、そして、戦後の工業が中心だった時代、そして、現在移行中であるサービス業中心の時代に大きく分けて考察してみましょう。

戦前までは、農業など、家業が中心の時代でした。戦後の1950年ごろでも働く人の約半数は、農林漁業従事者だったのです。日本の農業の多くは、家族で行われていました。そこでは、夫も妻も、そして高齢者も子どもも農作業に従事していたのです。また、都市部でも事情は同じです。当時は、工業やサービス業でも、町工場や商店などは一家総出の家業として営まれていました。そこでも、女性は貴重な労働力として、経理や店番、時には肉体労働など、生産活動に従事していたのです。家事や育児は、手の空いている人が片手間にやるものでした。農家では、母親が乳児を田んぼに連れて行って、農作業の間に授乳するなど日常茶飯事でした。多少ゆとりがある家では、子守を雇うなど人に任せることも多かったのです。男女共同参画と言わなくても、多くの女性は農作業や店番などで、生産活動に従事していたのです(註2)

註2:戦前では、製糸工場などでは主に未婚の女性が工員として働いていた。男性や既婚女性は先祖代々の家業に従事して、外に働きに行く余裕はなかったのである。炭鉱などでも、掘削は男性だが、運搬など多くの女性が重労働に従事していた。

戦後、高度成長期になると、日本は工業中心の時代に入ります。それは、企業中心社会と言ってもよいでしょう。男性は、企業の被雇用者となって、一つの企業で週6日、朝から晩まで働き続けるというシステムが普及してきます。つまり、サラリーマンの誕生です(註3)。そして日中ほとんどの時間を家から離れて仕事をしなければいけないので、家事や育児をする人が必要になります。そこで、専業主婦が登場するのです。

註3:サラリーマンは和製英語であり、欧米では通じない。office workerやbusiness personなど、性に中立的な言い方が普通である。もちろん、OL(オフィスレディー)という言葉も本来の英語にはない。強いていえば、female office workerとするしかない。

戦前は、給与所得者の夫−生産活動に従事しない妻という組み合わせは、軍人、役人、大企業の幹部など、一部の人々に限られていました。それが、経済の高度成長期(1955-1973年)工業化が進展し、企業が発展する中で、多くの家族で可能になったのです。それは、男性の雇用が安定し、妻が働かなくても、豊かな生活を築くという見通しがもてたことによります。

「夫は仕事、妻は家事で豊かな生活を築く」というモデルは、欧米にありました。専業主婦の起源は、19世紀のイギリスです。当時、工業化が起こり、外で働く男性が増え、家で家事だけをする女性が出現しました。それがアメリカやヨーロッパに普及し(註4)、1950年代に日本にテレビの普及と共に入ってきたのです(註5)

註4:イギリスでは、1920年頃、専業主婦の割合は8割以上にのぼった。アメリカでは、1950年頃専業主婦割合は75%である。日本で専業主婦の割合が一番高かったのは、1975年と言われている。それでも60%程度なので、実は、日本では、欧米に比べ、専業主婦はあまり普及しなかったのである。それは、家業などで女性も働くという伝統が、戦後も維持されたことが一因である。

註5:例えば、「ルーシー・ショウ」や「パパは何でも知っている」といったアメリカのテレビ・ドラマが放映され、そこで多くの日本人は欧米の専業主婦の実態を初めて知ったのである。

しかし、この性別役割分業に基づく家族モデルは、経済が成長し、すべての男性の雇用が安定して、収入が増え続けるという前提に基づいていました。この前提が崩れるのが次の時代です。

やまだ・まさひろ氏
やまだ・まさひろ/東京大学文学部卒業。東京学芸大学教授を経て、2008年より現職。専門は家族社会学・感情社会学・ジェンダー論。子ども・若者・夫婦・家族を取り巻く現状を多角的に解析して打開策を提言し続け、パラサイトシングル、婚活、格差社会などという言葉を作り出した社会学者。男女共同参画会議民間議員等の公職を歴任し、現在、男女共同参画会議専門委員、日本学術会議連携会員。