「共同参画」2011年 6月号

「共同参画」2011年 6月号

スペシャル・インタビュー

私達の在り様が歴史を創る
石川県立歴史博物館館長・
平成22年秋 文化勲章受章
脇田 晴子

今回は、昨年、日本中世史、女性史の研究で、文化勲章を受章された脇田晴子さんに、お話を伺いました。

歴史の変化を見ると、女性の地位は相対的なものであり、変わっていくことがわかります。

― 文化勲章のご受賞、おめでとうございます。

脇田 ありがとうございます。突然連絡が来て驚きましたが、たいへん光栄なことと思っています。

― 女性史の分野で文化勲章を受章されたというのは、非常に画期的です。
1975年の国際婦人年が、女性史の研究に様々な影響を与えたとのことですが、どのような影響があったのでしょうか。

脇田 

 国際婦人年より以前から、内々で女性史の研究会を行っていて、野上弥生子さんや高群逸枝さんにインタビュー等を行っておりました。

そのうち、国際婦人年を控えて何かをやろうという機運が高まって、様々な動きが出てきました。私も京都大学の大学院在学中に、理科系の女性たちと「京都婦人研究者連絡会」を立ち上げました。また、「京都婦人問題研究会」で会報を出したり、一月に一度例会を行ったところ、当初300人もの女性が集まり、会場に入りきれず、立ち見が出たりしたこともありました。国際婦人年の第一回世界女性会議にも、何人かメキシコシティまで行きました。

― 高群逸枝先生は、平安時代以前の女性の役割や位置づけについて、大きな研究成果を残されましたが、先生は、中世の経済史における女性の大きな役割について研究をなされましたね。

脇田 社会にはユニットがあるわけですが、現代の組織の単位は会社であり、中世ではその単位は家でした。

例えば、鎌倉幕府では、源氏が将軍になり、北条氏が妻の里方として「執権」という役についた訳ですが、それは北条家が実権を持ったということです。彼らは現代のような単婚家族と違って、分家制度や家来という制度で結合しており、小さい家の集合体である大きな家というような組織を形成していました。その家というのは、男と女の夫婦で成り立っていますから、女性は、将軍の正妻である御台所がそうであるように、社会的ポストとして大きな権限を持っていました。だから将軍の妻である北条政子などはすごいですよね。

武家でない商家や農家においても、おかみさんとして、女性の経済的な力は大きいものがありました。

私的な妻になったのは、資本主義社会になってからでしょう。マニュファクチャーと言いましても、会社組織になるまでは、全て家が単位でしたが、会社社会になってからは、社会的な成員権、村の成員権といったところでの女性の社会的な重要性が下がっていきました。それまでは、女性がしっかりしていないと、家が成り立たないような状況だったのです。

― 母性についても様々御考察をされていますが、歴史を俯瞰してみて、それはどのようなものとお考えでしょうか。

脇田 母性というのは、ないと子孫が存続しません。特に家制度であれば、跡継ぎとその配偶者がいないと家が続いていかないわけですから、必要だということは、歴史的に皆が認めているのです。しかし、家父長制により、母性を持っている女性の地位はどんどん下がっていきます。また、子孫存続という意味での女性の重要性は皆認めているのですが、それは、言うならば母親の地位であり、女性の地位ではありません。

女性の地位については、例えば平安時代の貴族社会には女房(高級女官)がいるけれど、時代を下るにつれ少なくなっていきます。また官僚制社会において、女官は特殊な存在であり、男の官僚とは違うしくみになっていました。そういう意味で、官僚的な組織が整備されていくとともに、女性は排除されていきました。特殊な存在となっていった訳です。

また、例えば、平安時代の初期に尚侍という女官の最高官が、天皇の廃立を画策した「薬子の変」がありましたが、これなども、「悪いことは女が吹き込む。」などと言われました。

― 女性史からどのようなことを学ぶことができるでしょうか。

脇田 女性史に限らず、歴史学一般がそうですが、歴史は変転し続けて、どんどん変わっていき、絶対ということはありません。歴史は全て相対的なものとして築かれていきます。

ですので、女性の歴史もどんどん変わっていきます。その変化を見ることによって、現在の女性の地位は絶対的なものではなく、相対的であり、自分や、相手次第で変わっていくことがわかります。

地理的というのは、平面的ということです。それに対して、縦の面で見るのが歴史学です。地理と歴史を合わせて考えると、この場所の、今ここにいる私たちは、常に変わっていっているわけです。もちろん変えられない部分もありますが、その中で何か変え得る部分というのはあるわけですね。そういったことがわかると思います。

― 日本では、研究者に占める女性の割合が13.6%であり、世界でも最後尾の集団に属しているのですが、研究者としてどのように感じていらっしゃいますか。

脇田 40年ほど前の話になりますが、オックスフォードに招待されたときに、イギリスの女性の先生は、日本の女性の先生より堂々としていると思いました。一個の人格として、権利意識も強く、はっきりしていましたね。

日本でも、女性はもっと様々なことに積極的になって欲しいですね。

ただ、研究者として一番大切な時期と言われるときに出産することがあるので、それはたいへんですよね。

歴史学をやっていると、子供を産んで育てるというのは、結構よい経験になったと私は思うのですが。

― 最後に、読者へのメッセージをお願いします。

脇田 頑張ってくださいとしか言えません。敗戦の時代から考えたら、女性の地位はずっとよくなっています。当然未だしというところはあるでしょうけれども、女性が頑張ることの出来る場は、はるかに増えてきています。

私が知っているのは、大学と能楽の世界ですが、皆さんよく頑張っておられます。先日、京都大学の大学院で講演会をしましたが、随分女性が増えていました。それから、高校や中学へ行っても、女性の先生もよく頑張っておられます。

男女共同参画についての取組について言えば、社会的に、男女が全て同数になって欲しいと思います。とても難しいことだと思いますが、とにかく頑張ってくださいと言うしかないですね。また、根底的に男女同権であるということに対する啓発が、とても大切だと思います。

― ありがとうございました。

脇田 晴子 石川県立歴史博物館館長・平成22年秋 文化勲章受章
脇田 晴子
石川県立歴史博物館館長・
平成22年秋 文化勲章受章

わきた・はるこ/
昭和31年 神戸大学文学部史学科卒
昭和38年 京都大学大学院博士課程修了
昭和44年 京都大学文学博士
昭和44年 京都橘女子大学教授
昭和59年 鳴門教育大学・大学院教授
平成2年 大阪外国語大学・大学院教授
平成7年 滋賀県立大学・大学院教授
平成16年 城西国際大学大学院客員教授
平成19年 石川県立歴史博物館館長
『日本中世女性史の研究』(東京大学出版会92年)他著書多数