「共同参画」2009年 12月号

「共同参画」2009年 12月号

特集

「北京+15」に向けて
-国際婦人年(1975年)以降の国連及び国内の動きと最近の国際的動向
内閣府男女共同参画局総務課

来年は1985年に第4回世界女性会議が開催されてから15年になります。そこで、国際婦人年以降の国内外の動きを振り返るとともに、最近の国際的な動きについてもご紹介します。

来年3月にニューヨーク(米国)で開催される第54回国連婦人の地位委員会(CSW)は、第4回世界女性会議での「行動綱領」採択後15周年の記念会合(「北京+15」)となる予定です。そこで、1975年の国際婦人年以降、世界女性会議を中心とした国連の動きと国内の動きを振り返ります。また、最近の国際的な動きについてもご紹介します。

1.国際婦人年以降の国連と国内の動き

日本の男女共同参画は、国連の女性の地位向上に係る運動と連動して進んできました。1975年が国際婦人年と定められてから、国連では4つの世界女性会議やそれに関連した会議が開催されました。その間、国内では、国内本部機構の設置・充実強化、「男女共同参画社会基本法」の制定、「男女共同参画基本計画」の策定等、男女共同参画推進に向けた様々な動きがありました。

【1975年 国際婦人年世界会議】

○国連の動き

1972年、第27回国連総会において、1975年を国際婦人年とすることが決定され、1 男女平等の促進、2 社会、経済、文化の発展への女性の参加、3 国際友好と協力への女性の貢献を目標とし、目標達成のために世界的規模の行動を行うことが提唱されました。そして同年6-7月、メキシコシティ(メキシコ)にて国際婦人年世界会議(第1回世界女性会議)が開催され、我が国を含めた133カ国の政府代表、国際機関、NGO等2,000人が参加しました。本会議では、国際婦人年の目標達成のため、その後10年にわたり国内・国際両面で行うべき行動の指針を定めた「世界行動計画」や、平等・開発・平和への女性の寄与に関する「メキシコ宣言」を採択しました。

同年秋に開催された第30回国連総会では、「世界行動計画」が承認されるとともに、1976年から1985年までを「国連婦人の10年」とし、その目標を「平等・開発・平和」とすることが宣言されました。また、「世界行動計画」の実施状況について再検討する世界会議を1980年に開催することが決定されました。

○国内の動き

「世界行動計画」を受け、我が国では1975年9月、本部長を内閣総理大臣とし、関係10省庁(総理府、経済企画庁、法務省、外務省、大蔵省、文部省、厚生省、農林水産省、労働省、自治省)の事務次官から成る婦人問題企画推進本部と、民間有識者から成る婦人問題企画推進会議(内閣総理大臣の私的諮問機関)が設置されました。そしてその事務局として、総理府官房審議室に総理府、労働省、文部省、厚生省から併任という形で担当者が集められ、婦人問題担当室(通称)が誕生しました。これらは、我が国の男女共同参画推進のための初の行政機構(国内本部機構)でした。

婦人問題企画推進本部は、「世界行動計画」及び婦人問題企画推進会議の意見を踏まえ、1977年1月に「国内行動計画」を策定しました。

「国内行動計画」

○1977年から1986年までの我が国の婦人問題の課題及び施策の方向、目標等を明らかにするもの

○施策の基本的方向:

1.法制上の婦人の地位の向上

2.男女平等を基本とするあらゆる分野の婦人の参加の促進

3.母性の尊重及び健康の擁護

4.老後等における経済的安定の確保

5.国際協力の推進

更に同年6月、婦人問題企画推進本部は「婦人の政策決定参加を促進するための特別活動推進要綱」を決定し、当時3%弱であった国の審議会の女性委員の割合を「国内行動計画」前半期の1980年頃までに10%程度へ引き上げることを目指すこととしました。達成時期と数値目標の設置は画期的な施策でした。また、10月には、「国内行動計画」前半期に特に重点的に取組む事項(婦人の政策決定参加の促進、家業や家庭における妻の働きの評価、雇用における男女平等、育児環境の整備、農山漁村婦人の福祉の向上、老後における生活の安定、国際協力等)を「国内行動計画前期重点事項」として取りまとめました。

【1980年 「国連婦人の10年」中間年世界会議】

○国連の動き

1975年の第30回国連総会での決定を受け、1980年7月、コペンハーゲン(デンマーク)にて「国連婦人の10年」中間年世界会議(第2回世界女性会議)が開催され、我が国を含めた145カ国の政府代表、国際機関、NGO等2,000人が参加しました。

本会議の成果として、「国連婦人の10年後半期行動プログラム」が採択されました。本プログラムは、「世界行動計画」の前半期における実施状況の検討及び評価を踏まえ、「雇用・健康・教育」を中心に、「国連婦人の10年」後半期において、国内・地域・国際レベルにおいて各国政府や国際機関が取るべき行動を掲げています。

また、本会議の会期中、1979年の第34回国連総会で採択された「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(女子差別撤廃条約)の署名式が行われ、我が国もこれに署名しました。

本会議後に開催された第35回国連総会では、「国連婦人の10年後半期行動プログラム」が支持されるとともに、「国連婦人の10年」最終年の1985年に「国連婦人の10年」の成果の検討と評価のため世界会議を開催することが決定されました。

1982年の国連総会では、1985年に開催される世界会議のための地域ごとの政府間準備会合の開催が決定されました。これを受け我が国は1983年4月のアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)総会において準備会合を東京で開催するよう要請し、各国の賛同を得ました。この女性問題に関する我が国初の政府間会議は、翌年3月、ESCAP加盟28カ国他の参加を得て開催され、開発における婦人の役割等について議論が行われました。

○国内の動き

「国連婦人の10年」中間年世界会議の結果及び婦人問題企画推進会議の意見を踏まえ、婦人問題企画推進本部は1981年5月、1981年から1986年までを対象にした「婦人に関する施策の推進のための「国内行動計画」後期重点目標」を決定しました。この目標には、婦人の地位向上のための法令等の検討、政策決定への婦人の参加の促進、教育・訓練の充実、雇用における男女の機会の均等と待遇の平等の促進等が含まれます。

我が国は、1980年に女子差別撤廃条約に署名をしましたが、我が国では、条約に抵触する国内法は、あらかじめ改正した上で国際法を受け入れるのが原則となっています。そのため、女子差別撤廃条約批准に向けて、国籍法の改正(父系優先血統主義から父母両系主義への改正)、男女雇用機会均等法の制定及び労働基準法の一部改正(一部の女子の時間外労働、休日労働、深夜勤務の規制の廃止又は緩和等)が行われました。また、高等学校の家庭科を女子のみの必修から、男女とも選択必修とすること等とした報告が「家庭科教育に関する検討会議」から出されました。このような国内措置を経て、我が国は1985年6月、国会承認を経た後、女子差別撤廃条約を批准しました。そして、後述する「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議の会期中、我が国で同条約が発効しました。

【1985年 「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議】

○国連の動き

1980年に開催された第35回国連総会での決定を受け、1985年7月、ナイロビ(ケニア)にて「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議(第3回世界女性会議)が開催され、我が国を含めた157カ国の政府代表、国際機関、NGO等2,000人が参加しました。

本会議では、「国連婦人の10年」の成果の検討と評価を行い、更に2000年に向けて各国等が効果的措置をとる上でのガイドラインとなる「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略」(「ナイロビ将来戦略」)を採択しました。

「ナイロビ将来戦略」は、同年に開催された第40回国連総会でも支持されました。1987年の国連経済社会理事会では、同戦略の実施を見直し評価するために、1990年代及び2000年に国連が世界女性会議を開催することを勧告しました。

○国内の動き

1986年1月、「ナイロビ将来戦略」や女子差別撤廃条約批准を受け、国内婦人問題企画推進本部の拡充が図られました。具体的には、「ナイロビ将来戦略」の国内施策への取入れや女子差別撤廃条約の実施に伴う施策等について総合的かつ効果的な対策の推進を図ることをその役割とするとともに、構成省庁を全省庁に拡大しました。また、同年2月には、婦人問題企画推進会議を婦人問題企画推進有識者会議に改組しました。

「ナイロビ将来戦略」等を基に、1987年5月、婦人問題企画推進本部は「西暦2000年に向けての新国内行動計画」(「新国内行動計画」)を決定し、閣議に報告しました。

「西暦2000年に向けての新国内行動計画」

○ 総合目標:男女共同参加型社会の形成を目指すこと

○以下についての施策の基本的施策(1987~2000年度)と具体的施策(1987~1990年度)を示している:

1.男女平等をめぐる意識改革

2.平等を基礎とした男女共同参加

3.多様な選択を可能にする条件整備

4.老後生活等をめぐる婦人の福祉の確保

5.国際協力・平和への貢献

【1990年 第34回CSW拡大会議】

○国連の動き

1990年2-3月にウィーン(オーストリア)で開催された第34回CSW拡大会議では、「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略に関する第1回見直しと評価に伴う勧告及び結論」(「ナイロビ将来戦略勧告」)が合意されました。

本会議後開催された国連経済社会理事会では、1995年に世界女性会議を開催することを国連総会に勧告する決議がなされるとともに、「ナイロビ将来戦略勧告」が採択され、1990年代において同戦略の実施のペースを速めることが求められました。

「ナイロビ将来戦略勧告」では、政府、政党、労働組合、職業団体、その他の代表的団体に、指導的地位に就く女性の割合を、1995年までに少なくとも30%にまで増やすという目標を目指し、女性のための募集や訓練プログラムを定めるべきである、との数値目標を設定しています。また、国内本部機構が1995年までに設立され、政府施策に直接影響を及ぼすことができるよう制度上の位置づけを与えられ、国家の優先事項及び計画の一部として、女性の地位向上のための首尾一貫した政策を発展させるべきである、と勧告しています。

また、女性に対する暴力に関して、1993年6月にウィーンで開催された世界人権会議では、女性に対する暴力は人権問題であると位置づけられました。同年の第48回国連総会では、その年の第37回CSWにおける審議を踏まえ、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」が採択されました。

更に、1994年9月にカイロ(エジプト)で開催された国際人口・開発会議では、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを女性の権利と位置づけた、20年間の「行動計画」が採択されました。

○国内の動き

婦人問題企画推進本部は、1991年5月、「新国内行動計画」及び「ナイロビ将来戦略勧告」等を踏まえ、「西暦2000年に向けての新国内行動計画(第一次改定)」を決定しました。この改定では、21世紀の社会のあらゆる分野に男女が平等に共同して参画することが不可欠であるという認識の下に、総合目標の「男女共同参加」を「男女共同参画」へ改めました。

また、「ナイロビ将来戦略」や「ナイロビ将来戦略勧告」を受け、国内本部機構が充実強化されました。当時の我が国の国内本部機構は、婦人問題企画推進本部、婦人問題企画推進有識者会議及び総理府婦人問題担当室で、いずれも法的根拠を持たないものでした。1994年6月、政令により総理府に男女共同参画室及び男女共同参画審議会が設置されました。また、7月には閣議決定で、総理府に置かれていた婦人問題企画推進本部が、内閣に置かれる男女共同参画推進本部に改組され、本部員も事務次官から閣僚に変更されました。なお、1992年12月には、内閣官房長官が婦人問題担当大臣として初めて任命されました。

【1995年 第4回世界女性会議】

○国連の動き

1995年3月、社会開発サミットがコペンハーゲン(デンマーク)で開催されました。国連史上初めて、貧困撲滅、雇用、社会的統合等、幅広い社会問題が総合的に取り上げられ、「コペンハーゲン宣言」及び「行動計画」が採択されました。

同年9月、「ナイロビ将来戦略」の第2回見直し・評価を行い、2000年に向けた今後5年間の優先行動計画を立てるため、第4回世界女性会議が北京(中国)で開催されました。我が国を含めた190カ国の政府代表、国連機関、NGO等17,000人が参加しました。

本会議において、「北京宣言及び行動綱領」が採択されました。

「北京宣言及び行動綱領」注目すべき点

○社会的・文化的性別を示す概念として「ジェンダー」を使用。

○人権を女性の権利として再確認し、女性に対する暴力を独立の問題として提示。

○1994年のカイロ国際人口・開発会議で提唱された概念である「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」を明記。

本会議後に開催された第50回国連総会において、我が国が主提案国となり、「女性に対する暴力撤廃における国連女性開発基金(UNIFEM)の役割」が決議され、それを受けて1996年にUNIFEM女性に対する暴力撤廃のための信託基金が設立されました。

○国内の動き

1996年7月、概ね2010年までを念頭に、目指すべき方向とそれに至る道筋を提案する「男女共同参画ビジョン-21世紀の新たな価値の創造-」(「ビジョン」)が策定されました。「ビジョン」は、男女共同参画社会の実現を促進するための基本的な法律の速やかな検討について言及しています。

また、同年9月、内閣官房長官決定で、男女共同参画社会づくりに関し、広く各界各層との情報・意見交換その他の必要な連携を図り、国民的な取組を推進するため、男女共同参画推進連携会議が発足しました。

「行動綱領」は、各国政府が、1996年末までに自国の行動計画を開発し終えることを求めていました。このため、ビジョン等を踏まえ、1996年12月、「男女共同参画2000年プラン-男女共同参画社会の形成の促進に関する平成12年(西暦2000年)度までの国内行動計画-」(「2000年プラン」)が策定されました。「2000年プラン」には、法令に基づく審議会の設置と基本法の制定が盛り込まれました。

1997年には、法令による男女共同参画審議会が設置され、この審議会で男女共同参画社会基本法が審議され、1999年6月、公布・施行されました。

【2000年 国連特別総会「女性2000年会議:21世紀に向けての男女平等・開発・平和」】

○国連の動き

2000年6月、「北京宣言及び行動綱領」の実施状況を検討・評価し、その完全実施に向けた今後の戦略を協議するため、国連特別総会「女性2000年会議:21世紀に向けての男女平等・開発・平和」がニューヨーク国連本部で開催され、我が国を含めた約180カ国の政府代表、国連機関、NGO等4,300人が参加しました。

本会議では、各国政府による「北京宣言及び行動綱領」の実施の決意を再確認する「政治宣言」と、それらのの更なる実施に向けて各国政府、国際機関、市民社会が取るべき行動とイニシアティブを提言する「北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブ」(いわゆる「成果文書」)を採択しました。これらの採択文書は、「北京宣言及び行動綱領」を補完するものです。

○国内の動き

2000年12月、「成果文書」等を踏まえ、男女共同参画社会基本法に基づく初の計画として、「男女共同参画基本計画」が閣議決定されました。 「2000年プラン」までは国内行動計画の位置づけであり、中央レベルの計画でしたが、男女共同参画社会基本法により、都道府県でも男女共同参画計画を策定する義務が生じました。また、市町村にも計画策定の努力義務が課せられました。

2001年1月、中央省庁の再編により、男女共同参画室(総理府)は男女共同参画局(内閣府)に格上げされ、男女共同参画審議会は男女共同参画会議に改組され、国内本部機構が強化されました。

また、同年4月、議員立法により「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」が成立しました。

「成果文書」

注目すべき点・強調された事例

○あらゆる予算編成の過程に男女共同参画の視点を盛り込むこと。

○グローバル化がもたらす影響に対応するための途上国女性を対象とした取組み(技術訓練等)。

○平和構築における男女共同参画の視点の導入。

【2005年 第49回CSW(国連「北京+10」世界閣僚級会合)】

○国連の動き

第4回世界女性会議から10年目にあたることを記念し、「北京宣言及び行動綱領」及び女性2000年会議の「成果文書」の実施状況の評価・見直しを行うとともに、女性と女児の地位向上及びエンパワーメントのための新たな課題や今後の戦略について協議するため、2005年2-3月、第49回CSWが閣僚級会合としてニューヨーク国連本部で開催されました。我が国を含めた約165カ国の政府代表、国連機関、NGO等6,000人が参加しました。

本会合では、「北京宣言及び行動綱領」及び「成果文書」を再確認し、これらの完全実施に向けた一層の取組みを国際社会に求める「宣言」が採択されました。

なお、本会合のアジア太平洋地域における準備会合として、2004年9月、「ESCAP「北京行動綱領」の実施状況に関するハイレベル政府間会合」がバンコク(タイ)で開催され、我が国を含めたESCAP加盟47の国・地域、国際機関、NGO等約450名が参加しました。会合の成果として、「バンコク・コミュニケ」が採択されました。

○国内の動き

2005年12月、「北京+10」世界閣僚級会合の成果等も踏まえ、「男女共同参画基本計画(第2次)」が閣議決定されました。この計画には、「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が、少なくとも30%程度になるように期待する」等、数値目標も多く盛り込まれています。

また、女性の参画をあらゆる分野で加速するため、2008年4月には「女性の参画加速プログラム」が策定されました。

2.最近の国連の動き

以上、国際婦人年以降の国連と国内の動きについてご紹介しました。ここからは、最近の国連の動きについて簡単にご紹介します。

【国連事務総長による女性に対する暴力撤廃に向けたキャンペーン】

2008年2月、国連の潘基文事務総長は、女性や女児に対するあらゆる形態の暴力撤廃に向けた意識啓発や政治的意思等を高めるため、“UNiTE to END Violence against Women”キャンペーン(2009-2015年)を立ち上げました。

このキャンペーンが目指す成果の一つに、女性に対する暴力に関するデータベースの構築があります。2009年3月、第53回CSWでこのデータベースが公開されました。我が国も、データベース構築のためデータの提供を行っています。

http://www.un.org/esa/vawdatabase

【女子差別撤廃委員会による我が国報告審議】

2009年7月、ニューヨーク国連本部での女子差別撤廃委員会第44会期において、我が国が2008年4月に国連に提出した女子差別撤廃条約第6回実施状況報告の審議が行われました。

8月には同委員会から我が国報告に対する最終見解が公表され、条約の更なる実施に向け、我が国に対して勧告が出されました。

【ESCAP「北京+15」に向けたハイレベル政府間会合】

来年3月の「北京+15」に向けたアジア太平洋地域における準備会合として、2009年11月、バンコクにおいて、「ESCAP「北京行動綱領」の実施に関するハイレベル政府間レビュー会合」が開催され、我が国を含めたESCAP加盟40の国・地域、国際機関、NGO等約360名が参加しました。会合の成果として、「バンコク宣言」が採択されました。

ESCAP「北京行動綱領」の実施に関するハイレベル政府間レビュー会合(2009年11月 於:タイ)

【男女共同参画と女性のエンパワーメント強化に向けた国連の新機関】

2009年9月の国連総会で、男女共同参画と女性のエンパワーメント強化に向け、OSAGI(ジェンダー問題と女性の地位向上に関する事務総長特別顧問室)、DAW(女性の地位向上部)、UNIFEM及びINSTRAW(国際婦人調査訓練研修所)の4つの既存の組織が1つに統合され、新しい機関が設立されることが決定しました。この新しい機関は事務次長が率いる予定で、加盟国の国レベルでの取組みへの国連の支援の強化が期待されます。

3.最近の国際的枠組み

最後に最近の3つの国際的枠組みを簡単にご紹介します。

【東アジア男女共同参画担当大臣会合】

国際会議により決定された事項を国内の具体的施策に取り入れる際の各国の共通の課題、経験、今後の方向性について議論するために、2006年、我が国が主導し、東アジア地域で初の男女共同参画担当大臣会合を東京で開催しました。

本会合の成功を受け、2007年には第2回会合がニューデリー(インド)で、2009年6月には第3回会合がソウル(韓国)で開催されました。第3回会合では、昨今の世界的経済危機を受け、「経済危機と女性」を優先テーマに議論等が行われました。

第4回会合は、2011年にカンボジアで開催される予定です。

第3回東アジア男女共同参画担当大臣会合(2009年6月 於:韓国)

【女性に関するASEAN+3会合】

2009年11月、バンダルスリブガワン(ブルネイ・ダルサラーム)において、第1回女性に関するASEAN+3(ACW+3)会合が開催されました。ACW+3は、東アジア地域における女性の地位向上と男女共同参画に関するASEAN+3各国間の一層緊密な連携を円滑にするための枠組みです。

本会合では、「人権に基づいたアプローチによる貧困の女性化の軽減」を主要テーマに議論等が行われました。

次回会合は、2010年にカンボジアで開催される予定です。

第1回女性に関するASEAN+3(ACW+3)会合(2009年11月 於:ブルネイ・ダルサラーム)

【アジア太平洋経済協力(APEC)】

APECは新しい枠組みではありませんが、来年2010年は日本がAPEC議長国となり、様々な会合が日本で開催されます。男女共同参画に関した会合としては、以下の2つの会合が日本では初めて開催される予定です。

○APEC男女共同参画担当者

ネットワーク(GFPN)会合

GFPNは、APEC加盟21カ国・地域の男女共同参画に関する行政担当者及びAPECフォーラの男女共同参画担当者で構成されており、APEC内での男女共同参画の視点の主流化を促進するために発足しました。2003年にタイで第1回会合が開催されて以降、APEC議長国で毎年1回会合を開催しています。我が国は、2010年9月、第8回会合を開催する予定です。

○APEC女性リーダーズ

ネットワーク(WLN)会合

APEC加盟21カ国・地域の行政担当者を中心としたGFPNと違い、WLNは政府のみならず、産業界、学界、民間団体等の女性リーダー達から成るネットワークです。

1996年、フィリピン・ラモス大統領(当時)の呼びかけにより第1回会合がマニラで開催され、それ以降毎年1回、APEC議長国が持ち回りで開催しています。

第15回会合は、「女性による新たな経済活動の創造 ―人・自然・文化を活かす ―」をテーマに、2010年9月に東京で開催される予定です。

第14回APEC WLN会合(2009年8月 於:シンガポール)

国連の動き日本の動き年表