「共同参画」2009年 11月号

「共同参画」2009年 11月号

スペシャル・インタビュー

求められるコンセンサスの形成
~女性に対する暴力~ 神津 カンナ 作家

どんなことが暴力になるか社会で共通認識を

─ 男女共同参画会議の議員、女性に対する暴力に関する専門調査会の委員としてお感じになっていることをお聞かせください。

神津 暴力の専門調査会に出ていて、「暴力」という概念が、時代の中で随分変わってきたなと実感します。その変化を皆が認識しないといけない。ただちゃぶ台を引っくり返して殴るという、わかりやすい暴力の時代とは大きく変わってきていると強く感じます。

なおかつ、「配偶者暴力」が「子どもへの暴力」、「高齢者への暴力」などと繋がっている場合もあり、「暴力」にいろんな複合的な要素が含まれてきている。そういう現代社会の特質を見る目が要求される委員会だと思っています。

また、最近、陰でどんな暴力が行われているのか見えにくくなってきています。暴力が複雑で巧妙になってきている。また、サイバーという要素が入ってきていて、発見することが非常に難しい上、繰り返されるという特徴があります。この点をみんなが心しないと、暴力を見逃してしまう。

例えばネット上で、自分の写真がアップされている。それに本人が気づかない場合もあるし、仮に気づいて削除を求め実行されても、保存していた人が、再度それをアップし直すというように、ネットの世界では、一度流出してしまった個人情報が、際限なく繰り返し流れ出すという可能性もあります。そういう暴力には、かなり肝を据えて取り組んでいかないと解決できないと思います。

─ 最近、ネットやパソコンソフト、漫画などの暴力表現が非常に過激になってきた気がするのですが。

神津 今、普通の人が良い人になっている。変な言い方ですが、例えば、犯罪が起こると、その犯人を知る人達は「あの人はとても感じの良い人でした、普通の人でした」と言います。なぜ、犯罪者が感じが良く、人当たりも良い「良い人」になっているのかなと考えると、私は、逆に他人から見えないところに強烈な自分がいるのではないかと想像します。ネットの中では激しい暴言を吐き、漫画などのバーチャルの中で過激な性表現に触れ、ガス抜きをして、日常生活の中では「良い人」になれるというのも、現代人の心理なのではないかという気がします。見えないバーチャルな世界をはけ口にしているうちはまだしも、それが現実的な欲望に変わる時が危険です。

─ DV被害者や性犯罪被害者の相談や支援の在り方については、どのようにお考えでしょうか。

神津 被害者がどこかで相談したい場合、日本では、相談窓口がどこにあるのかが、基本的な情報としてまだ人々に十分に認知されていないと思います。認知していないと、どこで相談にのってもらえるのかを、市役所や保健所に聞きます。その相談を受けた担当者が、適切な相談窓口はここですと的確に振り分けることができる体制が整っていることがまず必要です。

もう一つは、あらゆる暴力の事例をデータベース化する必要があるのではないか。どんなケースが「暴力」になるのか、ケースを提示し、共有できるシステムが必要なのではないかと感じますね。

いろいろな事例の解決が積み重なったときに初めて人は、それなら私も解決してもらいたい、ここに行けば何とか先が見えるかもしれないと思うものですが、まだ、積み重ねが足りないですね。

─ 最近、デートDVや児童売春など若年者に関する性暴力が問題になっていますね。

神津 アメリカには、青少年のための再生プログラムを持っているNPOがたくさんあるそうです。例えば、暴力防止プログラム、加害者・被害者和解プログラム、中退防止プログラム、デートレイプ根絶プログラム等青少年の問題の数だけNPOが専門的なプログラムを持っていて、必要に応じて、それぞれのNPOに啓発や被害者のカウンセリングを頼む。

それと比べて、日本では、いい活動をしているNPOはたくさんあるけれども、各プログラムがデータベース化されていないため、青少年を必要なプログラムにつなげられない。日本ももう少しそういう仕組みを充実させていく必要があるのではないでしょうか。

─ 冒頭におっしゃった暴力という概念の変化に対しては、どう取り組んでいくべきとお考えですか。

神津 どんなことが暴力になるのかという啓蒙活動が大切だと思います。先程も例を挙げましたが、例えば暴力といっても、ちゃぶ台を引っくり返す、殴る、蹴るというような、誰でも明確に暴力と認識できるものばかりでなく、それが暴力であることが一般の人々に認識されていないような暴力が増えてきているように思うからです。

また、例えば、暴力の概念は世代間でも異なります。上の世代なら携帯電話に5コールで出なければ怒るというような人達はいないでしょうが、5コールで出ないと怒る世代もある。それを暴力だと感じる人もあれば、それを暴力と感じない人もある。しかし、そういうこともあるのだという認識をきちんと持たないと、相談に的確に対応できずに、「そんなことはよくあることよ」とか、「我慢しなさい」で終わってしまう。

だから、今の時代の中で、世代間で認識が異なる「暴力」の概念を丁寧に洗い出して、皆のコンセンサスを形成していくことが大切でしょう。特に、相談を担当する人達がその意識を持つよう連携していくことが、まず必要なんじゃないかと思います。

─ 最後に、『共同参画』の読者にメッセージをお願いします。

神津 今、日本は、善か悪か、男か女か、右か左かのように二者択一することが多くなってきています。しかし、両極にいかない中道を目指すことをブッタが説いたように、人の営みは、この両極端の中には答えがなくて、悪い言い方をすれば妥協、いい言い方をすれば歩み寄りとでも言いますか、その中道の中でしか解決できないことが実はほとんどです。私は男女共同参画や女性に対する暴力の問題に関しても、両極端にいかずに、どうやって物事の解決を図っていくかという知恵をそれぞれが存分に出すべきだと思っています。

だから、暴力の問題についても、加害者が悪いに決まっていますが、そのスタンスの中からは、解決を図れない場合もある。暴力を受けた人も、受けた人でなければ得られない知恵や実感があるでしょうし、暴力を施してしまった人にも原因や問題があるでしょうから、そういうものを出し合いながら、よりよい解決策を図るための知恵を結集していくべきだと思います。

─ 今日はお忙しい中、貴重なご意見をありがとうございました。

神津 カンナ
神津 カンナ
作家
こうづ・かんな/1977年サラ・ローレンス・カレッジ(米国)入学。帰国後第一作の「親離れするとき読む本」は、体験的家族論として注目され、ベストセラー。以後、執筆活動の他、テレビ・ラジオの出演。講演テーマも幅広く、社会福祉関連、エネルギー、環境問題、国際協力など。また、公的機関や民間団体の審議委員などを数多く務め精力的に活動。2007年より男女共同参画会議議員。