「共同参画」2009年 2月号

「共同参画」2009年 2月号

リレーコラム/男女共同参画のこれまでとこれから 10

「男女共同参画における日本の課題」 中央大学法科大学院教授/(財)人権教育啓発推進センター理事長 横田 洋三

人の幸福度を測る指数として国際的に評価が定着しているものに、国連開発計画(UNDP)が1990年から毎年発表している人間開発指数(HDI)がある。一人当たり国内総生産(GDP)や平均寿命、識字率などを基礎とする人間開発指数をみると、日本は毎年10位以内に入る実績をあげている。まさに先進国中の先進国と言える。しかし、女性の社会的進出度や男性に対する所得比率を基礎とするジェンダー平等度(GEM)でみると、日本の数値は一挙に下がり、2008年度の数字は58位で、キューバ(28位)、ペルー(36位)、ナミビア(40位)よりも低く、まさに途上国と言われても仕方がない状況にある。しかも、前年(2007年)の54位から4位も順位を下げてしまっているのである。

女性に対する差別は、日本に限らず、あらゆる国、あらゆる社会にこれまで存在した。フランス革命の際に出された人権宣言は、厳密には「人の権利」ではなく「男性の権利」を規定するものであった。また、イギリスやアメリカで女性に参政権が認められるようになったのは第一次世界大戦後のことであった。実際、人権先進国と言われる西欧諸国において男女の平等が一般に法的に規定されるようになったのは、第二次世界大戦後であった。

しかし、その後の国際社会、とくに国連の動きには目を見張るものがある。1946年には早くも国連の経済社会理事会のもとに婦人の地位委員会が設置された。また国連総会は、1975年を「国際婦人年」と定め、さらに76年からの10年間を「国連婦人の10年」と指定して、女性の人権の促進と保護のためのさまざまな取り組みを行った。また、75年には国連主催の世界女性会議が開催され、以後数次にわたり世界女性会議が開かれ、女性の人権をめぐる新しい問題と取り組んできている。そして、何よりも大きな成果は、国連総会が79年に採択した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(「女子差別撤廃条約」)で

ある。

こうした女性の権利と地位の向上を目指す国際的取り組みに促され、日本も1985年に女子差別撤廃条約を批准し、その趣旨を徹底するために男女雇用機会均等法や育児休業法などの国内法を整備した。また、男女共同参画社会を実現するために、内閣府に男女共同参画局が設置され、内閣には官房長官を議長とする男女共同参画会議が設けられた。そしてその法的枠組みとしては1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定され、そのもとで策定された「男女共同参画基本計画」にしたがって、さまざまな施策が実施されている。その努力は多とするが、結果的に決して十分でないことは、ジェンダー平等度の国際比較からも明らかである。

国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は、「男女労働者に対する同一報酬に関する条約」(ILO第100号条約)の日本に対する見解において、日本政府に対して、「同一価値労働同一賃金の原則」を法律に明記することを促している。こうした国際社会からの提言に真摯に対応することも、不名誉な実態から早期に脱却するための一策ではないか。

横田 洋三
よこた・ようぞう/東京大学大学院卒業。国際基督教大学教授、東京大学教授等歴任。現中央大学法科大学院教授、(財)人権教育啓発推進センター理事長。著書に「国際機構の法構造」、「日本の人権/世界の人権」等