特集2
【インタビュー】
「大好きな町だからこそ自分の手で守りたい」
-井垣真紀氏(城崎町湯島財産区議会議員)
内閣府男女共同参画局総務課(文責:宇野百花)
兵庫県北部に位置する城崎は、開湯1300年以上の歴史を持つ日本有数の温泉街。
城崎町の温泉や周辺の山林等の資源を管理するため、100年以上前に設立された城崎町湯島財産区の議会選挙で、昨年、初の女性議員が誕生しました。
湯島財産区議会議員の井垣真紀さんに、移住先で政治家を志すきっかけとなった「人口減少への危機感」と選挙までの葛藤、さらに、女性議員としてのリアルな活動について伺いました。
◆結婚をきっかけに自営業を手放し、夫の故郷に移住
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城崎町に移住される前は、フリーアナウンサーとしての活動やタレント事務所の経営をされていたとのことですが、キャリアや移住に迷いはありませんでしたか。 |
井垣さん:フリーアナウンサーの新人時代から約10年間、城崎町のイベントで活動する縁があったので、元々、町の良さは知っていました。とは言え、城崎町に住むフォトグラファーの夫との結婚を考えていた当時、私は大阪で小さなタレント事務所を経営していたため、「私の仕事はどうなるのだろう。都市部にいた方が仕事はあるのではないか。夫が大阪に来たらいいのではないか」と正直、不安に思うことも。
でも、いざ移住してみると、朝、駅まで歩く間にみんなが「おはよう!」と声をかけ合い、子どもたちのことも町全体で見守ってくれるような、都会とは違う温かさを実感し、移住して本当に良かったとすぐに思いました。移住者である自分のことも家族のように受け入れてくれる、こんなに大好きな町を失いたくない。そして、子どもたちにとっても大好きなこの町をずっと残していきたいと思っています。
◆年々募る人口減少への危機感
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「失いたくない」、「残したい」という思いの背景を教えてください。 |
井垣さん:人口減少に対する危機感がものすごく高まっています。最初にこの町の人口減少を実感したのは子どもが小学校に通い始めた時。こども園、小・中学校が町に一つずつしかなく、20人前後の1クラスで中学校を卒業するまでずっと同じメンバーなのです。子どもが本当に少ない町なのだなと実感しました。また、夫が経営する写真店では城崎で暮らす方々の家族写真を撮り続けていますが、移住して18年、毎年のように子どもの数が少なくなっていく不安や怖さを感じてきました。
そんな城崎町は、豊岡市と合併して来年で20年になります。人口減少を考えると合併して良かったという思いと同時に、城崎独自の大好きなこの雰囲気は、城崎のことを一番よく知っている自分たちの手で守りたいという思いがますます募っていきました。
井垣さん提供:温泉街を流れる大谿川
◆「少し頑張ったらできるかも」 女性の“チャレンジ”後押しする豊岡市の取組
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ジェンダーギャップ対策に先進的に取り組む豊岡市が主催する、女性のための人材育成プログラム「豊岡みらいチャレンジ塾」に参加してみていかがでしたか。 |
井垣さん:城崎に移住し、子育てに一生懸命になっているうちに、これが自分の仕事だと自信を持って言えるものを失っていくような、もやもやを感じていました。今後のキャリアを考えていた頃に偶然、豊岡市が主催する「豊岡みらいチャレンジ塾」に参加し、年代に関係なく、様々なことに興味を持っている女性たちがこんなにも豊岡にいたのだと知りました。その中に、3児の母親として家事育児と議員活動の両立に奮闘する女性市議会議員がいらっしゃったのです。自分と同じように子育て中の方が地域のために議員として頑張っているということが衝撃でした。
大好きな町を守っていきたいという思い、また、子育てとキャリアに関する悩みが膨らむ中、このまま目の前の課題に不満を言うだけではいけないと思いました。自分には市議会は大きすぎるけれど、少し頑張ったら、財産区に女性議員が一人もいないという課題が一つ解決し、さらには、城崎の未来を少しだけ変えられるのではないかという前向きな気持ちが芽生えてきました。
◆選挙の葛藤と、女性議員誕生への追い風
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もともと政治にご関心を持たれていたのでしょうか。 |
井垣さん:大阪に住んでいる頃、政治は私の人生において全く身近ではありませんでした。政治はとにかくクリーンであれば良いなくらいの考えでしたね。でも、移住してから、人口の少ない城崎では政治の力に頼らないと成り立たないと思うことがたくさんあることに気が付きました。
例えば、道路を整備するにもこの人口でお金を出し合ったところで到底、実現できません。また、遡ると、大正14年の北但大震災で城崎温泉街が壊滅状態になった際、驚異的な復興ができたのは、国に働きかけることのできる政治家の影響力があったからだと聞き、政治に対する見方が変わりました。
クリーンであることは大事、だけどそれだけではなく、実際に地域をより良く変えていける力が政治には求められるのだと考えるようになりました。
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選挙に出たいと言ったとき、ご家族の反応はいかがでしたか。 |
井垣さん:それが一番の心配でした。結婚して以来、自分は古い言葉で表現すると「嫁に来ている」という感覚があり、もはや個人の好きなように生きているわけではないと思い込んでいました。私が勝手に行動することで家族に迷惑をかけてしまうのではないかということを何より心配していたのです。
そんな時、コロナ禍の豊岡市長選で市長交代という大きな出来事が起こりました。ジェンダーギャップ対策はどうなるのか、少子化対策はどうなるのかと、これまで以上に多くの関心が集まる中、市長選と同年に行われた豊岡市議会議員選挙では、20代を含む若い方がたくさん立候補した上、トップ当選を果たしたのはなんと女性でした。こうした女性議員誕生への追い風も受けて、夫、夫の両親、子どもたちからも「頑張れ」と言ってもらいました。
でも、いざ出馬すると決めてからは自分自身の方が揺らいできて…今だったらまだ引き返せるかなと思うことも正直ありました。自分に対する周りの態度が変わってしまうのではないかと、とても怖かったのです。お金もかかりますし、自分の顔のポスターを町中に貼ることに抵抗感もありました。それでも家族や周りの方の支えがあり、当選することができました。
井垣さん提供
◆実は女性にとって働きやすい面も
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財産区議会では具体的にどのような活動をしていますか。 |
井垣さん:財産区は日本中にありますが、議会まで設置されているところは限られています。城崎は明治の合併の際に温泉や山林等の資源を守るためにできた議会で、町村レベルと同じ法律で選挙が行われます。経営管理を定める条例を作ったり改正したりしています。コロナ禍の議会では、温泉街における感染対策と景観の維持の両立について、自分で撮った城崎温泉街の写真を持ち込んで質問しました。
井垣さん提供:(左)財産区が管理する7つある外湯施設の一つ「まんだら湯」
(右)ロープウェイ山頂から見た温泉街
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議員になって気付いたことや、今後の展望について教えてください。 |
井垣さん:周りの議員の方々からは、女性にも議員になってほしいと思っていたと感謝していただくことが多いです。ただ、「新鮮だ」、「女性はそう考えるのか」と聞いてくれても、結局のところ、議会は多数決なので女性一人では厳しいな、もっと仲間が欲しいなと日々、感じています。
また、地方では議員のなり手不足が課題となっていますが、私は議員になってみて、実は女性にとって働きやすい面もあると思っています。①時間調整がしやすく、②パートと同程度の収入をもらえる上、③地域のためにやりがいのある仕事だと考えているからです。
振り返ると、移住当初は、まさか自分が選挙に出るとは思いもしませんでしたし、今でもまだ「政治」という言葉には慣れません。でも、自分の身近なことを何か変えたい、良くしたいと思ったら、それは政治につながっていくと思います。「豊岡みらいチャレンジ塾」が教えてくれた、目の前の問題を傍観するだけではなく、自分が少し頑張ることで状況を変えていくのだという思いを持ち続けて、これからも城崎のために頑張っていきたいなと思います。