男性にとっての男女共同参画シンポジウム 福岡 「落語『百年目』と地域に必要な男性像」(2)

  • 第二部
  • パネルディスカッション
  • 「誰もが、仕事でも家庭でも地域でも活躍するために必要なこととは~第一部『百年目』を受けて~」

第二部は立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授 萩原なつ子氏をコーディネーターに、海老井悦子氏×川原正孝氏×古賀桃子氏×柳家さん喬氏によるパネルディスカッション。活発な意見が交わされました。

萩原なつ子氏のコラム「落語に発見! 男女共同参画」はこちら

  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡01
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡02
  • 川原正孝氏(株式会社ふくや 代表取締役社長):
    • “旦那”という言葉は商店でも会社でも死語となっているが、師匠の話を聞いて初めて意味がわかった。企業のトップとして社員に目配りしているつもりで、まだまだ意外と見ていなかったことに気づかされた。人を育てるというのは、そこまでわかっていなければできないことで、今、会社では合理化一辺倒で、人もぎりぎりでやっていて、それでいいのかと考えさせられた。
  • 海老井悦子氏(福岡県副知事):
    • 番頭が、番頭たるものこうあらねばと一所懸命奉公してきたけれど、隠れて遊んでいた。そこに、人間らしさというか、バランスを取るために仕事とは別の世界を持たないといけないんじゃないか、と思った。幸い旦那は、遊びというものを認めていて、人間は仕事一辺倒じゃだめだという考え方を持っていた。これこそ人の上に立つものの度量の大きさだと感心した。
  • 古賀桃子氏(ふくおかNPOセンター代表):
    • 一番心に響いたのが、番頭が旦那と出会ってしまった瞬間。当時も、誰もがいろんな側面を持ちながら生きていたはずで、固定的役割分担意識がはっきりしていた階層社会で、その違う側面が露わになるのは、大変なことだったかもしれない。
  • 萩原:落語家の方は自分で演目を決めるが、今回、こちらから演目をお願いした。
  • 柳家さん喬氏(落語家):
    • 落語を通して、皆さんがものの見方までも変えてくださり、落語家の表現の幅が広がる気がした。「あ、そういうふうに捉えてくださったんだ、じゃあこの噺はこういう展開もできるんだ」と新しい視点がもう1つ増えた。
  • 萩原:落語は伝統の世界だが、時代に応じて仕組みも変えておられると聞く。女性の落語家も増えたというが。
  • さん喬:
    • 伝統は守るだけでは世代交代も次の世にも伝えてもいけない。一方で、守っていかなければいけないこともある。噺家の世界も、1日でも弟子入りが早ければ、年下でもその人は先輩。また、落語の世界は男社会。女性が入ってくることは、つらいこと。その意味では、伝統というのは守るべきものでもあるし、崩していかなければならないものでもあると思う。

地域活動は肩書きのない社会

萩原:
川原さんは、地域にどんどん社員を出しておられる。今までの会社の伝統にはなかったと思うが。
川原:
創業者である父・川原俊夫は、世の中の役に立つようにとふくやを創った。私が継いだ時、時間とお金を会社が用意すれば、意思のある社員は、地域活動に出てくれるのではないかということで、地域手当を出すこと、勤務時間中でもOKということを決めた。 それでも社員の立場としてはやりにくいだろうと、こちらから「PTAの役員になりなさい」、「地域の役員になりなさい」、「せっかく昔運動部にいたんだから、子どもに教える時間がないのなら、時間を渡しますよ」とはっぱをかけた。今どんどん増えていっている。
萩原:
地域の中に社員さんもどんどん入っていき、ふくやの中も元気になっていく、そういう相乗効果もあるのでは。
川原:
肩書きのない世界で通用するには、ある程度力がないとできない。社員達は、肩書きのない世界で通用するようになって帰ってきてくれる。
萩原:
すばらしい。2007年問題は、団塊の世代が退職して地域に戻ってきた時にどうすればいいのか、という問題。よく私も「地域デビューの仕方」という講演を頼まれたが、“元の肩書きで語るべからず”という項目もあった(笑)。古賀さんはNPOで、そういう男性達の引き受け手として、どう捉えてらっしゃるのか。
古賀:
2006年頃、行政主催の「地域デビュー講座」や「ボランティアデビュー講座」とかが始まった印象だが、その後、そのまま参加できている方と、足が遠のいてしまった方など、実際は両極端かもしれない。ボランティアやNPOの世界は原則「さん」付けの世界。しかし、役職が徹底している組織文化から抜け出せない方がいらっしゃる一方、うまくなじめている方もいて、後者の方は自分が変わることで、これからの中高年の方にも参考になるだろうと意識して活動 されているようだ。組織文化から脱して、 新しい場に慣れることができるかどうか が大きい。
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡03
萩原:
地域活動は、ある種異文化コミュニケー ションかもしれない。 2007年問題の時、行政が積極的に男性達を地域に戻そうとしたが、福岡はどうだったか。
海老井:
具体的なことは、その地域の方々にお任せしていた。古賀さん達のような活動を通して、提言をいただきながら進めていこうとしているところ。うまくいっているところもあれば、悩んでいる地域もたくさんある。地域活動のために、男性の意識をどう変えていくか、あの手この手で検討している。
萩原:
組織文化から抜けられない、軟着陸できない人には特徴があると思う。落語の世界では1日でも弟子入りが早い人は、年下でも「兄さん」と呼ぶ、それはやはり意識を変えていく部分があるのでは?
さん喬:
それは芸人として、噺家として、大成するための大きな伝統だと思う。社会で学んだことが、一種閉鎖的な落語家の世界で通用するとは限らない。ところが、落語家の修業をした人間は社会に通用する。例えば師匠が咳をしただけで、弟子はティッシュペーパーとゴミ箱を差し出す。「そうしろ」と言われるわけでなく、弟子が自分でやる行為で、それも修行。小さなことが、成長の機会になる。
川原:
お話をうかがって、落語の世界は世の中に通じることがわかった。今は、そういうことが厳しくなっている時代。教育について、もう1回考えるべきかなという気がした。
海老井:
幼稚園や小学校で、暗誦用の読本ができているが、古典の内容がかなり入っている。落語を聞いていると、旦那と奉公人の関係がリアルに分かる。礼儀や言葉遣いの大切さの本質が何気なく盛り込まれている。子ども達も、教師も、一般の方も、落語を含め、古典の意味や価値をもっと見直したほうがいいのではないか。
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡04
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡05

『百年目』から読み解く男女共同参画-男性も自然と地域に入っていける場を

萩原:
『百年目』に話を戻すと、番頭たるものこうあるべき、という固定的イメージから自由になっていくストーリーが描かれている。男女共同参画でも、男はこうあらねばという思い込みの中で、実は不自由さを感じているところがあると思う。そこから自由になるためにはどうすればいいか。
さん喬:
番頭さんは奉公人としての道を踏み外し、恥ずかしさを感じていた。『百年目』の中で大切なのは、番頭さんに対して旦那が、お前さんに店を任そうと思っていたけれど、まだまだ他の人間が心許ないので延ばし延ばしにしていた、今までお前さんに辛い思いをさせて悪かったね、と逆に主人が謝るところ。あれが逆に主人が上から目線だと、成り立たない気がする。昔の人々は、ささやかなことを接点として、いつも上と下のつながりを大切に持っていた。
萩原:
今のお話で大事なのは、上から目線ではないということ。男女共同参画でも、「男性も意識を変えましょう」とか、強いことを言っていたがうまく作用しなかった。そこで、今日のように、落語という切り口から男性の方に多く来ていただいて、考えてもらおうという企画も生まれてきた。男性も仕事だけでなく、地域も家庭もやっていこうと呼びかけるときに、「ああしなさい」「こうしなさい」でなく、その人がやってみたくなるような場をつくっていくのが大事だと、実感した。
古賀:
公民館などでも『男のための料理教室』などのプログラムが増えているが、奥様連れでないと男性は参加しにくいなど、敷居の高い部分もある。退職して自由な身になったものの、自分が本当にやりたいことは何だろう、と挫折感を味わっている方も多い。受け入れる側は、プログラムを増やすことも大事だが、そこをうまく支える支援が必要だ。
海老井:
福岡県では、「子育て応援宣言企業」の登録をしているが、それぞれの企業が従業員の方の声をよく捉えていて、これなら助かるだろうなというユニークな取り組みをなさっている。これからは地域を活発にするような事業なども、宣言内容に入るといいかもしれない。
川原:
男性の場合、肩書きで働いてきて定年になり、家庭や地域に戻ろうとした時に、戻れる場所がない。男性社員に言っているのは、「定年でいずれ地域に戻った時、誰も知り合いがいないってさみしくない?」と。私たちの社員も70名ほどが地域活動をやっていて、定年退職後もスムーズに地域に入れると思う。会社側が、会社人間だけをつくりたくないから、地域活動への取り組みにも力を入れている。

複数の顔を持とう(仕事とは違う顔を持つことで地域に入っていける)

萩原:
ピーター・ドラッカーは『パラレルキャリア』の必要性を説いている。複数の顔、複数の名刺を持つことが、これから大事になるのではないか。ワークライフバランスということを内閣府も進めている。落語では、番頭さんは着替えて別の人格に変わったように思えたが。
さん喬:
着替えるということで、二面性をはっきり持てるという面もある。噺家でも、芸の後の席にお邪魔するときは全く別の顔を見せなくてはならない。肩書きをなくすことで、1人の人間としての顔になる。“芸人はうまいもじょうずもなかりけり 行き先々の水に合わねば”という言葉があるが、要求されていないものをいくら押しつけても、楽しいものにはならない。肩書きをとる、そして参加することによって、絆というものが出来上がっていくのでは。
海老井:
教育現場に長くいたが、子どもは教室の中にも、外の世界の問題をいろいろ持ち込んでくる。それに対応するためのマニュアルはなく、教師の人間性が問われる。授業以外のものをどれだけ持てるかが非常に大事。どれだけ背景にさまざまな世界を持って子どもや保護者に対していけるかが、いかに重要か、教師の仕事を通じて痛感した。教師は、肩書きをかざしてはつとまらない職業だといえる。
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡06
萩原:
古賀さんはNPOとして、さまざまな立場の方をコーディネートされているが。
古賀:
人間として接するという部分を大事にしている。その方のもう少し深い部分を知りたい思いがあって話してみると、「実は今地域のことに関心があって」「ここの活動のボランティアをしている」ということが聞けたりする。踏み込んで聞くと『あの人とあの人は重なる部分がある』と、人と人を繋ぐことや、その方の新しい活動につながることもある。先ほどの落語でも、主人は番頭さんを一人の人間として見ているからこそ、涙が出るような感動的な噺になった。
萩原:
関係性というところで言えば、川原さんの会社には『網の目コミュニケーション室』というものがあると聞いた。
川原:
いろんな会のお手伝いをする部署。同窓会などの会の事務局をやって、その社員さん達が、そのメンバーと仲良くなり、また次のメンバーと一緒にやる、いわば遊びなのだが、これが役立つ。ふくやが情報が早いといわれるのは、人が亡くなった時と、お祝い事。事務局に一番に情報が入ってくる。
さん喬:
いいですねえ、情報を早く知ると、対処ができる。今遊びとおっしゃったが、決して遊びでなく、大きな情報収集だと思う。今日も大勢の方がお越しになったことも、内閣府ではいかに皆さんが生活に仕事に、よりよく暮らせる社会を作ろうとしているかを、少なくともここに来てくださったお客さまはお分かりになり、情報として広がっていく。これが必要だと思う。
古賀:
30代や40代の働き盛りの方もNPO活動されている方が多く、異業種交流の感覚で関わっている部分もあるようだ。地域貢献やボランティアというより、仕事に生かせる人脈やノウハウが得られる場所として捉えていらっしゃる方も増えている。独自に名刺をつくり、「地域コーディネーター」という肩書きを作っている方もいて、そういうスタイルもヒントになるのではないか。
萩原:
行政とNPOの協働もすごく進んできているし、行政職員の意識改革も行われてきているのでは。
海老井:
行政も行政の論理だけで動いていたのでは駄目な時代。職員が外に出て吸収することを応援していきたい。
萩原:
迷っている人を後押しする仕組みがとても大事。川原さんは、そこをうまくやってらっしゃる。
川原:
会社組織は男性社会だから、男性は居心地がいい。ところがそれを外れて、地域や家庭に入った時に、強いのは女性。特に地域で活躍しているのは、ほとんど女性。おろおろしている男性、という構図をずっと見てきて、男性社員が、第2の人生を迎えた時に、はつらつさがなくなるのはイヤだな、と。今日のテーマは『男性にとっての男女共同参画』だが、男性が第2、第3の人生で女性が強い社会に入れるだけの強い気持ちを持ってほしい、今日はこれだけ言いたかった(笑)
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡07
さん喬:
落語の世界でも、女性が強い噺は多い。江戸時代は、実は女性が主導権を握っている場合がほとんど。というのは、言葉というものがなかった。「何言ってやんでえ、てめえ」という男言葉はあって、それを女性も使っていた。後に女言葉ができて、女性のほうがおしとやかなんていうイメージができたけど、実は絶対女性のほうが優位。今なんて、渋谷などを歩けばもう女性の街。男が入っていくのは難しいけれど、実際に入れば、結構楽しかったりする。語らずのコミュニケーションがあれば、歳も関係ない。男が女性の社会に入るのではなく、元々は昔から同じもので、そこに今帰ってきてるんだ、と思う。

まとめ-もっと男女が自由になるために

萩原:
今日は、固定的な性別役割分担からどう自由になるかというのもテーマのひとつ。皆さんから一言ずついただきたい。
古賀:
地域はそれこそ女性が引っ張っている世界。会議の進め方も、お茶話から始まって、当初予定されていた2時間の会議時間もが3時間になったりする。男性からすると違和感があるので、女性も意識していく必要がある。自分を透明化して地域にいきなり参加するのは、男性にとってはむずかしいことなので、まずは先ほどのお話のように、オリジナルの名刺をつくって、自分自身をPRしながら活動するやり方もいい。
萩原:
自分の帰属する企業の名刺の他に、いろいろ複数の名刺を持つのは、私もぜひお勧めしたい。
川原:
どちらかというとふくやは、女性を大事にしている結果、男尊女卑ならぬ女尊男卑と言われている。いい面では女性がのびのびと動き始めた。悪い面では男性がなかなか入って来なくなってきた。男も女もあまり関係ないよ、という会社を作りたい。
海老井:
これまでは、男“対”女という意識で男女共同参画が捉えられてきた面があった。しかしそれがある程度進むことにより、男性の立場も女性の立場も、あまり差がないのではないか、無駄な対立を長くやりすぎたのでは、と思う。 一流の企業に勤めていた方がリストラにあったりすると、家族にそれを言えず、毎日スーツを着て出ていって、1日公園の辺りにいるうちホームレスになる、そういう人が女性より男性に圧倒的に多い。自殺者も男性が多い。男たるもの一家を背負い、家族を養わなければ、という考え方が、男性を追い詰めていることに、女性も気づき始めた。男も女も、いかにして人間的に暮らしていけるのか。そういう地域を、職場をつくらなくてはというように、意識が変わり始めている。21世紀になり、固定的性別役割分担意識は、確実に変わりつつあると思う。
さん喬:
皆さんのお話をうかがっていて、ふと感じたのは、意地を張っているのは男だろうか女だろうか、と。海老井さんのお話を聞くと、ひょっとしたら女が男を受け入れるのを拒否しているのかも、と思うし、川原さんのお話を聞くと、いや、男が女の中に入ることを照れくさく思っているのか、と。名刺をたくさん持つことにより、男も女もなく一緒に生きていけるのが、重要なことだと思った。落語については、うちの師匠が見事に一言で表現しました。「女だって、上手けりゃいいんだよ」と。それを男のほうが優秀だとかいうのは、男の照れであり、浅はかさ。男と女の壁を取っ払うのは、お互いの勇気であり、優しさであり、絆なのかもしれない。
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 福岡08