「共同参画」2022年2月号

特集1

スペシャルインタビュー
津田塾大学学長 髙橋裕子氏にお話を伺いました
内閣府男女共同参画局総務課


“all-round women”の育成を目指して

林局長:新5000円券の肖像に津田梅子が決定しました。女子高等教育の先駆者である津田梅子と津田塾大学の歴史や建学の精神について、お話いただければと思います。ホームページを拝見して、特に驚いたのは「男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成」という津田梅子の言葉です。当時としては大変画期的かつ鮮烈なメッセージだったと思いますが、この背景にはどのようなことがあったのでしょうか。

髙橋氏:その当時、女性は帝国大学に入学できないだけでなく、旧制高校にも入学できず、女性の高等教育機関といえば女子高等師範学校しかありませんでした。旧制高校が目指していたようなリベラルアーツ教育に女性はアクセスできない、そういうものは女性には必要ないと思われていた時代です。女性は「“all-round women”となるように心掛けねばならない」という言葉は梅子が1900年の女子英学塾の開校式における式辞で述べたものですが、この言葉のとおり、梅子は女性たちがアクセスできなかった高等教育を提供して、学問の世界において男性と同等の機会をできるかぎり提供したいと思っていました。

「対等に力を発揮できる」に関しては、女性もリベラルアーツ教育の機会が得られれば、「婦人らしい婦人であって十分知識も得られましょうし、男子の学びうる程度の実力を養うこともできましょう。そこまで皆様をお導きしたいというのが、私共の心からの願いであります」と開校式の式辞を結んでいます。つまり、女性も男性と同じだけのレベルの実力をこの学校で身につけられるようにすると言っているわけです。そして、梅子は女性が男性と対等な自立した個人となって、広く世界で一市民として成長していくことを願っていました。彼女のその思想が“all-round”という言葉に表れていると思います。

女子英学塾開校前年の1899年に高等女学校令が施行されました。専門教育を受け、卒業後に英語教員となることで、女性も経済的に自立できるようになり、女性が専門職として働く場ができました。ですが、ただ専門教育をするのではなく、教養教育も提供するということを、梅子は目指していたのだと思います。

林局長:当時としては、非常に斬新な考え方だったと思います。

髙橋氏:そうですね。それはなぜかというと、2度目のアメリカ留学にあります。ブリンマー大学で体験したリベラルアーツ教育の中にモデルを見たのだと思います。

2度目の留学は華族女学校在職中でした。在職のまま給料をもらいながら留学するということは簡単ではなかったので、英語の教授法を学ぶと申請して渡米しました。しかし、実際はブリンマーでは生物学を専攻します。当時の最先端の学問分野である生物学を自分自身が学び、女性も最新の学問を学ぶことができるということを、身をもって体験することで、日本に帰って高等教育を女性たちに広めていく自信を得ることができたのだと思います。ちなみに、梅子の指導教授だったT.H.モーガン博士は、後にノーベル賞を受賞するような先生です。

林局長:そうだったのですね。

髙橋氏:モーガン博士は梅子が亡くなった後、1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。梅子はブリンマーで蛙の卵の研究をしていましたが、モーガン博士と共著で蛙の卵の発生に関する論文を出しています。

林局長:それは素晴らしいですね。

髙橋氏:これは日本の女性が英語圏のアカデミックなジャーナルに出した初めての論文だと言われています。大変高いレベルの研究を経験していたと思います。梅子の才能を惜しんだ先生たちからは、アメリカに残らないかと言われましたが、帰国することを選びます。最後の1年間は、自分に続く女性たちがブリンマーで勉強できるようにと8000ドルの寄付を集め、奨学金制度をつくりました。

帰国後、8年間華族女学校で教鞭を取った後、職を辞し、女子英学塾を開校することになります。華族女学校にいる時には女性としては非常に高い官位を持ち、高い年収も保障されていたにも関わらず、自分自身の教育理念、すなわち女性に真の学問を提供して男性と同じ力を身につけさせ、経済的にも自立できるための高等教育を実現するために、職を辞しました。辞めるなんてとんでもないと言われたと思いますが、自分の残りの人生、何をすべきかと考えていた時に、イギリスへ視察に出かける機会を得ます。オックスフォード大学で聴講生となったり、女子大学を視察したり、ナイチンゲールにも会ったりしています。こうした経験を通して、自分は「変革を担う」のだという思いを強くしたのだと思います。これからの残った時間、何をすべきかと考えて、華族女学校に残るのではなく、女性たちが個人として立つための高等教育を展開したいと思い、いよいよ決断に至ります。開校のための資金はアメリカで集めました。8000ドルの奨学金を集めた時の委員会が母体となり、寄付を募り、女子英学塾をスタートすることができました。

林局長:梅子は1864年生まれですから、当時まだ30代半ばですよね。30代半ばでそこまでの志を立てて、それを実現した力というのはすごいですね。


「変革を担う」ことこそ津田スピリット

林局長:梅子の志は大変素晴らしいです。この志は確かに成果を上げておられるのではないかと思います。例えば、最近お亡くなりになった、森山眞弓先生や中根千枝先生は津田塾で学び東京大学で学位を取られ、森山先生は労働省婦人少年局長から国会議員になられ、中根先生は東大で女性として初めての教授として御活躍されました。私は中根先生が東大の教授だった時に教えを受けたことがあります。大変厳しい先生でしたが、その厳しさも含め素晴らしい先生でした。

髙橋氏:中根先生は津田塾大学の評議員会議長でしたが、90歳を超えられてからもずっと明晰でいらっしゃいました。学長として打ち合わせすることも定期的にありましたが、全て頭の中に入っていて、立派に議事を進行してくださいました。本当に素晴らしい先生だと思います。

林局長:梅子が考えていたような、まさに自立した女性で、かつ男性と対等に力を発揮できる卒業生を多数輩出しておられ、梅子の夢が叶っているのではないかと思います。

髙橋氏:女子英学塾が20年、30年で終わるようなものだったら、津田梅子は新5000円券の肖像に選ばれていないでしょう。財務省のホームページに「近代の女性の高等教育に尽力」とあるように、本学が121年経った今も傑出した女性を輩出する高等教育機関として存在し続けているということが大きいと思います。1929年に梅子は亡くなりますが、そのスピリットは脈々と継承され、そういった中から森山先生や中根先生が現れています。赤松良子先生もそうです。

林局長:現在掲げられている、2030年に向けてのスローガンで「変革を担う、女性であること」とありますが、この方針を決められた背景、また、この方針を実現するためどのようなことをされているのでしょうか。

髙橋氏:梅子は教授法を勉強してくると言いながらも、生物学を専攻していました。これが梅子の「変革を担う女性」としての試みです。身を挺して新たなことに取り組んでみるという気概を感じます。この経験で、計り知れない自信を持つことができたからこそ、梅子は華族女学校を辞して、新たな教育を展開するビジョンを持つことができたのだと思います。

「変革を担う、女性であること」という言葉を、私たちは“Empowering Women to Make a Difference”と訳しているのですが、“Make a Difference”、すなわち、変革を生み出すような女性になっていくということが今とても重要であると思っています。現状は女性に対してあまりにもギャップがありすぎて、アンフェアな仕組みなどが多い。けれども、これを変えて行かなければならないということが、学校の建学の精神に埋め込まれているのです。そうなれるように気概を持っていこうというメッセージを込めています。

林局長:まさに「ジェンダー革命家」を育てているという感じがしますね。

髙橋氏:変革を担っていくということこそが、まさに本学のスピリットです。カリキュラムでは2019年に新設した多文化・国際協力学科において、一人ひとりが自身の課題・関心にあったフィールドワークを行うプログラムを用意しています。2017年に新設した総合政策学部では課題解決を中心にして、データサイエンスも必修にし、21世紀の新たな課題を解決できるように学生たちを指導しています。

林局長:自分の足で立って、自分の頭で考える学生を育てていらっしゃるのですね。


ジェンダーギャップ解消に向けて

林局長:ジェンダーギャップ解消に向けて、相当に速いスピードで取り組まなければならないと感じます。意識、制度、慣行の問題など、多くの問題があると思いますが、特に今注目しているのが意識、アンコンシャス・バイアスの問題です。私ども内閣府が調査した結果では、特に50-60代の男性を中心に「女性は家事育児を担うべき」とか、「男性は家計を支えるべき」といった「べき」という考え方が強く、それに女性も、また男性自身も縛られている側面があります。自身のバイアスに気づいてもらうことに加え、バイアスの再生産を止めることも必要です。一例ですが、日本は科学技術先進国でノーベル賞受賞者も多数いるにも関わらず、女性のノーベル賞受賞者が一人もいません。元をただせば、理系に女性の研究者が少ないことがありますが、その背景には女子中高生が進路選択をする時に親御さんが「女子は文系」というアンコンシャス・バイアスを持っていることも影響している可能性があると思います。親御さんへのアプローチも含め、アンコンシャス・バイアスの解消に向けて、どのような取組が必要だとお考えですか。

髙橋氏:国内だけでなく海外も含めた多様なロールモデルを親御さんたちや、中高年の方にも見せていくことが重要だと思います。

さらに、女性がセンターに置かれ、女性にフォーカスされ、インベストされる。つまり全て女性を中心に回るような経験をすることが必要なのではないかと思います。女子大学はまさにそのような経験ができる場です。人生のうち4年間でも自分がセンターに置かれ、フォーカスされ、インベストされる経験をすることで、セルフエスティーム(自己肯定感)が根源から高まると思います。自分は期待されている、成長できる、もっとチャレンジできる、前進してもいいのだというメッセージを受けられる空間であるというところに女子大学の存在意義があると考えます。社会に出てからはそういう空間はありませんので、女性が励まされ、中心に置かれ、フォーカスされる経験ができるようなプログラムを力強く展開しています。

林局長:自信をつける、セルフエスティームという言葉は、今後日本の女性が活躍していく上で大変重要なキーワードだと思います。確かに日本では女性がセルフエスティームをつけるための場というのは少ないかもしれませんね。

髙橋氏:女性を周縁に配置するような社会であればあるほど、女性が<主人公>になれる時間を若いうちに経験することが非常に重要だと思います。

林局長:本当にそう思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。


後ろに掛かっているのは女子留学生がアメリカへ旅立つ様子を描いた屏風絵。左から二人目が津田梅子。
後ろに掛かっているのは女子留学生がアメリカへ旅立つ様子を描いた屏風絵。
左から二人目が津田梅子。


津田梅子についてさらに知りたい方へ

津田塾大学図書館には、津田梅子ゆかりの資料や女子高等教育に関する資料を収蔵した資料室が併設されています。インタビュー中で触れられていた、カエルの卵の発生に関する研究論文の原本や、梅子がナイチンゲールからもらった花束で作った押し花も展示されています。また、2022年9月30日まで「津田梅子 本とひと」と題した企画展が開催されています。本企画展は日時予約制となりますので、詳細は津田梅子資料室までお問合せください。

蛙の卵の発生についての論文
蛙の卵の発生についての論文

蛙の卵の発生についての論文
蛙の卵の発生についての論文

蛙の卵の発生についての論文
蛙の卵の発生についての論文


津田梅子資料室
https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/data-room.html


Profile

髙橋 裕子氏
髙橋 裕子氏

1980年 津田塾大学学芸学部卒業
1983年 カンザス大学大学院修士課程修了(M.A.)
1984年 筑波大学大学院修士課程修了(国際学修士)
1989年 カンザス大学大学院博士課程修了(Ph.D.)
1990年 桜美林大学国際学部専任講師
1993年 桜美林大学国際学部助教授
1997年 津田塾大学学芸学部助教授
2004年 津田塾大学学芸学部教授
2016年 津田塾大学学長

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