「共同参画」2020年12月号

特集

各国の男女共同参画の取組−各国大使館より−
内閣府男女共同参画局総務課

今回は、オランダ、ドイツ、フィリピンの3か国の大使館に、自国での男女共同参画への取組を寄稿していただきました。

駐日オランダ王国大使

ペーター・ファン・デル・フリート 閣下



オランダ王国
  • 人口 1,746万人
  • 面積 41,543平方キロメートル
  • 首都 アムステルダム
  • 言語 オランダ語
  • 宗教 キリスト教(カトリック24.4%、プロテスタント15.8%)、イスラム教4.9%、ヒンズー教0.6%、仏教0.5%、無宗教・その他53.8%

オランダにおける平等の権利と女性のエンパワーメントの推進

1871年は、オランダの歴史のなかで平等の権利と女性のエンパワーメントにとって重要な年となりました。その年は、アレッタ・ヤコブス氏が、オランダにおいて、大学への入学が正式に認められた最初の女性となった年だからです。彼女は、当時のオランダ首相トルベッケに手紙を書き、フローニンゲン大学への入学を認めてくれるよう求めました。こうしてヤコブス氏が医学を学ぶ許可を得た後、多くの若い女性が彼女の後に続き、大学に進学することになりました。ヤコブス氏は、志を同じくする男女(フェミニストを自認する者たち)とともに、女性の労働条件の改善や投票権の獲得など、女性の権利の平等のために生涯を通して戦いました。ヤコブス氏らの活動は、オランダでは、フェミニズムの第一の波と呼ばれています。1882年、ヤコブス氏は、アムステルダムで世界初の避妊指導クリニックを開きました。また、彼女が求めた女性投票権は、1919年になってようやく実現しました。

フェミニズムの第二、第三の波は、1970年代と1980年代に起こりました。「ドレ・ミナ(怒れるミナたち)」は、女性解放を求めてデモ行進を行いました。彼女らは、性と生殖に関する権利や、女性の経済的エンパワーメントを推進しました。1980年代に入ると、1980年機会均等法など、女性の権利に関わる多くの重要な法律が施行されました。

2020年には、オランダ史を編纂した公式な出版物である「ダッチ・カノン」が改訂され、オランダ史における女性の業績に対し、これまでよりも光が当てられるようになりました。アレッタ・ヤコブス氏の目覚ましい業績にまる1章が割かれるとともに、マルハ・クロンぺ氏など、他の女性も大きく取り上げられています。クロンぺ氏は、オランダ史上初の女性大臣で、低所得者層を対象とした社会扶助法を導入しました。

日本の歴史が「ジャパニーズ・カノン」として編纂されるとしたら、そこでは、女性のどのような業績が注目されるのでしょうか。私は、そうしたことについても興味があります。また、今から20年後の「ジャパニーズ・カノン」では、女性の地位はどのようになっているのでしょうか。


アレッタ・ヤコブス

世界(日本を含む)における女性のエンパワーメントの促進

過去数十年間に、女性のエンパワーメントには、かなりの進歩が見られました。世界的に見て、学校に通う女児数はかつてなく増え、指導者や管理職に就く女性の数も増えるとともに、より多くの法律がジェンダー平等を促進するために改正されてきました。

 こうした進歩にも関わらず、ジェンダー平等の実現は今なお道半ばです。オランダは、ジェンダー・ギャップ指数(出典:World Economic Forum 2020)において38位の国です。項目別ランキングでは、学歴のスコアは1位ですが、経済的エンパワーメントなど、まだかなり改善の余地があります。

ジェンダー平等に関する取組は、オランダ政府の優先課題となっています。オランダの政策のひとつの柱が、ビジネスにおける女性のエンパワーメントです。オランダ政府が、現在、取り組んでいるのが、オランダの上場企業上位100社において、監査委員会の地位(ポジション)の30%を女性にしなければならないという法案です。もはや自主的なガイドラインではなく、法的要件にしようとしているのです。

オランダは、全世界のジェンダー平等の向上に熱心に取り組むとともに、持続可能な開発目標の5番目「ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る」を奉じ、推進しています。この目標は、あらゆる人々の権利と機会を平等にすることを意味しています。ジェンダー平等は、基本的人権というだけではありません。平和や繁栄、発展に不可欠なものでもあるのです。人口の半数が抑圧されている状況では、世界が繁栄することなどできないのです。

また、女性の起業家に国の支援を提供して、国際的なビジネスを通して経済的な潜在能力を発揮してもらうべきであると、オランダは考えています。2019年12月、オランダは「Grow beyond Borders(国境を越えた成長)」キャンペーンを始めました。国際進出の野心を抱くすべての女性起業家に呼びかけるもので、「地平を拡げ、国際市場を探り、海外でビジネスをしよう!」という明確なメッセージを発信しています。私たちは、百聞は一見にしかずと信じています。経験豊富な女性起業家にスポットライトを当てることで、若い女性の海外ビジネスへの意欲を引き出すことができると考えています。つまり、異なる世代をつなぎ、お互いに学び合うことです。


日本の民間企業の女性経営者との円卓会議

ビジネスにおける女性のエンパワーメントは、駐日オランダ王国大使館にとっても重点分野です。東京都の女性ベンチャー成長促進事業(APT Women)やイー・ウーマン(E-women)という組織と協力して、能力のある女性起業家によるビジネス展開を支援しています。今後も日本のパートナーと緊密に連携し、実業界において女性が一層活躍できるよう強化を図っていきたいと考えています。

ジェンダー平等の現状

■ジェンダーギャップ指数:38位(2020年)


駐日ドイツ連邦共和国大使

イナ・レーペル 閣下



ドイツ連邦共和国
  • 人口 8,320万人、うち女性は4,210万人(2019年)
  • 面積 357,340平方キロメートル
  • 首都 ベルリン
  • 言語 ドイツ語(公用語)
  • 宗教 キリスト教64%、無宗教27%、イスラム教3%(2018年)

外交の現場でも拡大する女性の役割

私が1988年に外務省に入省したとき、同期は男性が51人、女性が9人でした。それでも当時としては女性が多いと言われました。ましてや省の幹部職に就く女性は例外的で、初の女性事務次官が誕生するまでに当時から20年以上の歳月を要しました。

当時、外交は男性の領域と見られており、そこで働きたい人は男性のルールに従うことが期待されました。2002年、ある重要なポストに就くための面接で「午後はお子さんを幼稚園に迎えにいかなければ、というようなことはありますか」と尋ねられたことがあります。もしそうであるならこのポストは難しいですよ、というメッセージが言外に込められた質問でした。

このような質問は今では全く考えられなくなりました。外務省は変わりました。先日オンライン形式で開催された大使会議で、女性の大臣室長主催により女性の大使と総領事が参加する女性だけのミーティングが催され、かなりの参加人数となりました。現在、世界中に226あるドイツの在外公館のうち、47公館で女性がトップに立っています。

さらに今年の夏には特別なケースも誕生しています。夫婦で一緒にスロヴェニアに派遣され、大使ポストを二人でシェアしている事例です。外務省にとり、家庭と仕事の両立は重要な課題となっています。それは、同省が優秀な男性・女性にとってこれからも魅力的な職場でありたいと考えているからでもあります。

その背景にはドイツ社会の変化もあります。父親による育児休暇の取得は、今では普通のこととなりました。大抵は母親ほど長くは取得しませんが、それでも前進です。双方の親が少なくとも一定期間、育児休暇を取得した場合に限って休業手当が満額支給されるといった法制度も追い風となりました。

こうした社会の変化は、東京のドイツ大使館でも観察できます。大使館4階に、1952年以降の歴代駐日大使の写真が飾られているコーナーがあるのですが、全員男性の写真です。この状況は、私が離任してはじめて変わることになるでしょう。オフィスに目を向けてみると現状はすでに全く違います。職員の男女比は31対40で女性のほうが多く、男性は少数派となっているのです。

ユリア・コルネリウス

ドイツ大使館法務領事部にて、日本国内の刑務所に収容されたドイツ人受刑者の支援等を主に担当。


私は旧東ドイツの出身です。東ドイツは、人々が広い世界を見たり、自由に意見を述べたりすることのできない、矛盾に満ちた国でした。同時に東ドイツの女性たちにとっては、壁の向こう側の西ドイツにはないある自由が「上から指示された当たり前のこと」として存在していました。すなわち、労働活動への完全な参画という自由です。1989年、東ドイツでは労働生産人口の女性の就業率が91%に達するという世界最高水準にありました。私の母は道路のトンネル工事現場で働き、その間私は保育園、幼稚園、全日制学校で過ごしました。

他方、1989年の西ドイツの女性の就業率は51%でした。今日、統一ドイツにおける女性の就業率は72.1%、日本もほぼ70%です。両国ともに家庭内のケアワークは、今も女性がその大半を無償労働という形で担っています。

2017年、東京のドイツ大使館に異動して以来、私の日常生活は子供のころから馴染んでいた形とは違うものになりました。つまり、私が一家の大黒柱として働き、夫が専業主夫となったのです。

夫が、スクールバスで下校する娘を迎えにいくと、ときどき「今日はお仕事はお休みですか?」と尋ねられるそうです。私は、一人で家族を支え、「女性は何だってできるのだ」ということを娘に示せて誇りに思います。これまでとは異なる視点を得られたことをありがたく思いますし、周囲からもたくさんの応援の声をもらいます。夫の置かれている立場に対しては、2020年の今でも怪訝そうに見られることも多く、驚いています。

パンデミックを克服した暁には、私たちはまた、行きたいところにほぼどこでも旅行ができる自由を手にするでしょうし、今も発言したいことはほぼ何でも言える自由があります。しかし私が自由を最も強く感じたのは、家族のための責任を夫と平等に分担したときでした。これは、子どものころから馴染んできた役割分担のモデルであり、娘も将来、こうしたモデルを実践できるようになってほしいと願っています。

アンネ・クルザフスキ

ドイツ大使館武官室勤務


ドイツ連邦軍において、女性の勤務は2001年まで衛生部隊や軍楽隊で認められていましたが、戦闘部隊への配属は認められていませんでした。それが、欧州司法裁判所の判決によってはじめて、軍のあらゆる職域を選ぶ道が開かれ、制限が撤廃されました。

私自身は2003年4月、海軍に入隊しました。海軍の新入隊員は総数約120人で、女性は7人でした。厳しい基礎訓練課程から離脱した女性隊員は一人もおらず、修了後は全員、海軍の艦艇に配属されました。フリゲート艦「メクレンブルク=フォアポンメルン」号に配属された私の任務は、潜水艦の探索でした。

男性隊員たちは、特に当初女性がいることに慣れていないようでしたし、逆もまた然りでしたが、今思い出すととてもよい経験ができたと思います。大半はちょっとしたことでしたが、実にさまざまなことを確認していかなければなりませんでした。例えば、男性と女性は同室で寝てもいいのか、シャワーやトイレは分けるのか、見張り勤務交代の際、女性が男性を起こしてもいいのか、などです。これらの問題は全て、徐々に解決していきました。シャワーやトイレは、入口に男性・女性のどちらが使用中かを示すスライド式のプレートを取り付け、共用できました。男女同室は例外に限られました。反対する人がいなければ、女性が寝ている男性を起こしてもよいことになりました。今では、女性はドイツ海軍艦船における当たり前の存在となっています。

後から見れば、女性への門戸開放を余儀なくされたことは、ドイツ連邦軍にとって逆に幸運なことでした。兵役義務が停止され、出生率が低迷するなかでも国の防衛を確実なものとするため、連邦軍は女性入隊者も必要としているのです。現在約2万2,500人の女性兵士が勤務しています。将来、初の女性海軍大将が誕生するのが楽しみです。

ジェンダー平等の現状

■ジェンダーギャップ指数:10位(2020年)

■女性と政治
  連邦政府における女性閣僚の割合:40%
  連邦議会における女性議員の割合:31.2%(現在の議会期)

■女性と仕事
  1時間あたり平均賃金:
    女性:16.59ユーロ、男性21.00ユーロ(2018年)
  パートタイム:
    20歳以上64歳以下の働く女性の47%がパートタイム勤務(2017年)

■女性と家庭
  合計特殊出生率:1.54人(2019年)
  ひとり親世帯220万世帯の84.4%が母子世帯(2019年)

■女性と教育:大学入学資格取得者のうち53.7%が女性(2019年)


駐日フィリピン共和国大使

ホセ・C.・ラウレル・5世 閣下



フィリピン共和国
  • 人口 1億98万人
  • 面積 299,404平方キロメートル
  • 首都 マニラ
  • 言語 フィリピノ語、英語
  • 宗教 キリスト教(カトリック83%、その他10%)、イスラム教5%、その他2%

フィリピンとジェンダー平等および全ての女性・女児のエンパワーメントに対する長期にわたる同国のコミットメント

フィリピンは、ジェンダー平等と全ての女性・女児のエンパワーメントというグローバルアジェンダに、先頭に立って取り組んできました。事実、フィリピン人女性は、女性の権利に関する画期的な国際文書の起草・採択において非常に重要な役割を果たしました。

ヘレナ・ゾイラ・ベニテス氏は、国連女性の地位委員会(CSW)の議長を務めた最初のフィリピン人です(1966年)。1973年に『女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)』の最初の作業草案を取りまとめるに当たっては、ロシアから参加していたタチアナ・ニコラーエワ氏の協力を得て、同胞のフィリピン人外交官、レティシア・ラモス・シャハニ氏を忠実に支えました。女子差別撤廃条約は、その後、女性の権利に関する国際法と見なされるようになるとともに、フィリピンで制定された『女性のためのマグナカルタ法』の土台となりました。ラモス・シャハニ氏もまた、1974年に国連CSWの議長となり、1985年にはナイロビ(ケニア)で開かれた第3回世界女性会議を事務局長としてリードしました。


フィリピン下院(代議院)は、女性月間である3月を祝って開かれた特別議会で、
フィリピンにおける女性の地位向上にダイナミックな役割を果たしたとして、
ヘレナ・ベニテス元上院議員(中央)に敬意を表しました。
写真提供:Philippine Women’s University/span>

ロザリオ・G・マナロ大使もまた、1984年に国連CSWの議長を務めたフィリピン人外交官です。女性の権利に関する専門知識が豊かであることから、彼女は、1999~2002年、2003~2006年、2017~2020年の3期にわたり、女子差別撤廃委員会の委員に選ばれ、締約国における女子差別撤廃条約の実施状況の監視に当たりました。女子差別撤廃委員会の委員を務めたフィリピン人女性専門家としては、他にアイリーン・R・コルテス判事、オーロラ・ジャバテ・デ・ディオス氏、テレシタ・キントス・デレス氏があげられます。


ロザリオ・G・マナロ大使は、女性の権利に関する専門家で、
国連の女子差別撤廃委員会の活動に30年以上にわたり直接関わっています。
写真提供:DFA Philippines

1995年、パトリシア・B・リクアナン博士は、第4回世界女性会議の主要委員会において議長を務めました。同会議では、女性の権利促進のための標準法、北京宣言・行動綱領の協議が行われました。リクアナン博士は、第4回世界女性会議の準備期間中の1994~1995年、国連のCSWの議長を務めるともに、その後も引き続き北京宣言・行動綱領の実施状況の定期的レビューを主導しました。


フィリピン女性委員会(PCW)元議長のパトリシア・リクアナン博士(中央)は、
PCW45周年式典において、改めて北京行動綱領に全力で取り組むとともに
「北京を忘れない」よう皆を激励しました。
写真提供:PCW


2015年6月10日、フランクリン・M・ドリロン上院議員は、レティシア・ラモス・シャハニ元上院議長代行に、
立法者、外交官、教育者、女性の権利の啓蒙活動家、市民社会リーダーとしての彼女の貢献を讃えてお祝いを述べました。
「写真には、ローレン・レガルダ上院議員(右)、フェルディナンド・マルコス・ジュニア上院議員(右から2番目)、
元上院議員の息女、リラ・ラモス・シャハニ氏(左から2番目)も映っています。
写真提供:Alex Nueva España, Senate PRIB, NPPA

上記は、フィリピンにおける女性運動の先駆けとなり、ジェンダー平等に関するグローバルアジェンダの形成に携わったフィリピン人女性のごく一部に過ぎません。彼女たちが確立した女性運動のリーダーとしてのフィリピンの地位は、今なお引き継がれています。

フィリピンは、世界経済フォーラムが公表した『世界ジェンダー・ギャップ指数2020』において、アジア太平洋諸国の中では2位、全世界(150か国以上)では16位に位置しています。フィリピンは全ジェンダー・ギャップの78%を解消するとともに、指導者や管理職の地位に就いている女性が男性を上回っています。また、賃金の平等も高いレベルで実現され、女性・女児の教育や健康に関しても優れた成果が得られています。同指数によると、フィリピンは、アジアの中では群を抜いて、最もジェンダー・ギャップが小さい国とされています。


東京のフィリピン大使館は、毎年、女性に対する暴力(VAW)の根絶のための18日間のキャンペーン(11月25日~12月12日)に参加しています。
昨年のテーマは「VAW-free community starts with Me(VAWのない社会は私から始まる)」でした。

フィリピン政府は、女性・女児の地位向上に向けた総合的取組を実施しています。具体的には、各種の国際的なコミットメントを遵守し、女性・女児の貧困やリソースへのアクセスの制約をもたらしている互いに交錯する種々の要因への対処、女性・女児に対するあらゆる種類の暴力の根絶、女性・女児の性と生殖に関する健康・権利の促進・保護、無給の育児・介護・家庭内労働の認識・削減・再配分、教育および適正な労働に関する女性・女児の権利の促進を推し進めています。

2009年、フィリピンは『女性のためのマグナカルタ法』と呼ばれる画期的な法律を制定し、フィリピン人女性の人権の保護・促進のために、さらに大きな一歩を踏み出しました。「女性のためのマグナカルタ法」は、女子差別撤廃条約を現地化し、女性、とりわけ社会の周縁に位置するセクターに属する女性の、以下のような公民的、政治的、経済的権利を保障したものです。

  • ●食料の確保および食料生産のためのリソース(土地保有や、財産管理契約・特許の発行に関する平等の権利を含む)
  • ●雇用、生活、融資、資本、技術(女性の出稼ぎ労働者への提供を含む)
  • ●技能研修、奨学金
  • ●地域、全国、国際レベルの政策決定機関または意思決定機関を代表、および、これらの機関への参加(平和や開発に関する議論を含む)
  • ●女性関連政策に関する情報へのアクセス
  • ●社会的保護
  • ●教育、健康、栄養、技能開発における女児に対するあらゆる種類の差別からの保護
  • ●高齢女性の保護

フィリピン女性委員会は、「女性のためのマグナカルタ法」の履行の監視・監督やジェンダー主流化の推進を図るとともに、法で定められた女性・女児の権利の促進義務を遂行する法的資格が政府機関に確実に与えられるよう支援する義務を担っています。

フィリピンにおいては、「女性のためのマグナカルタ法」以外にも、多くの政策がジェンダー・ギャップの解消に役立ってきました。1997年先住民族権利法、包括的農地改革プログラムの延長措置、1998年漁業法を通じ、フィリピンは、先住民族女性が、あらゆるレベルの意思決定プロセスや社会開発に参加できるよう保証しています。また、教育省や高等教育委員会は、女性・女児の学習へのアクセスを支援する政策を打ち出してきました。労働雇用省も、女性の労働条件を改善する法律やプログラムを導入するとともに、女性の起業を支援する法制度を成立させました。さらに、保健省は、母性死亡率など、女性・女児の健康上のアウトカムの向上を支援しています。加えて、農地改革省や環境天然資源省も、土地所有証書を本人・配偶者両方の名義で発行するよう義務付けています。

ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ大統領政権が発足した2016年以降も、女性の医療サービスへのアクセスの改善、経済・政治への参加の促進、安全・安心の確保を目的に、追加の法整備が行われています。そうした法制度としては、国民皆保険法、出産休暇延長法、街路・公共空間安全法、バンサモロ基本法があげられます。

2020年6月26日に開かれた第36回ASEAN首脳会議、デジタル時代における女性のエンパワーメントに関する特別首脳会合において、ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ大統領は、女性のエンパワーメントおよびジェンダー平等に関するフィリピンのコミットメントを再確認しました。声明の中で、ドゥテルテ大統領は次のように強調しています。「私たちは、サイバースペースの安全を確保し、女性が安全に接続し、学び、イノベーションを起こすことができる場にしなければなりません。ジェンダーに基づくあらゆる種類の暴力や虐待は、許されるものではありません。実世界と同様に、仮想世界においてもそうした行為は間違っているのです。そして、その責めを負うべきは、絶対に犠牲者ではなく、唯一加害者だけなのです。」


ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ大統領は、2020年6月26日に開かれた第36回ASEAN首脳会議、
デジタル時代における女性のエンパワーメントに関する特別首脳会合において声明を発表。
写真提供:PCOO

また、2020年10月1日に開かれた第4回世界女性会議25周年記念ハイレベル会合においては、テオドロ・L・ロクシン外務大臣が、フィリピンの外交政策などにおけるジェンダー平等の促進と女性のエンパワーメントの向上強化への確固たるコミットメントを、強く示す声明を発表しています。

2020年は、北京宣言・行動綱領25周年と持続可能な開発目標の実施5周年を祝う年であり、ジェンダー平等やあらゆる女性・女児のエンパワーメントが加速する転換点となる年です。フィリピンは、真のジェンダー平等を志向し誰も取り残されることのない社会を実現するプロセスのあらゆる側面において、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントを追求してきました。そうした先駆的なフィリピン国民による画期的な活動をこの先も推進するというコミットメントを堅持し続けます。

ⅰ https://reports.weforum.org/global-gender-gap-report-2020/the-global-gender-gap-index-2020/results-and-analysis/

ⅱ https://pcw.gov.ph/republic-act-9710-magna-carta-of-women/

ⅲ https://twitter.com/pcooglobalmedia/status/1276453156256223233

ジェンダー平等の現状

■ジェンダーギャップ指数:16位(2020年)

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