「共同参画」2014年 10月号

「共同参画」2014年 10月号

連載 その3 女性首長から

「誰もが人として尊重される男女共同参画社会をめざして」
伊豆の国市長 小野 登志子

伊豆の国市章


「反射炉のあるまち・伊豆の国市の市長です」とご挨拶するようになって1年と4カ月、その韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」の構成資産として、イコモスの現地調査も無事に終わり、世界遺産登録可否決定を1年後に控えている。伊豆半島の北部に位置する面積100k・、人口5万人の伊豆の国市は、平成17年に伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併してできたまちで、小さいながらも、今、世界に躍り出ようとしている。

幕末期、韮山反射炉を築造した江川太郎左衛門英龍は号を坦庵といい、文武に秀でた幕府直轄領の代官で、職務に勤しむ傍ら、蘭学で外国の学問や事情を学び、夥しいばかりの記録を残した。現存する書画、典籍、文書等はおよそ10万点にも及び、約4万点が重要文化財となっている。それらを保管する収蔵館の建設(公益財団法人江川文庫)が急がれる。

韮山は源頼朝配流の地であり、妻北条政子の父時政は頼朝の武運長久を祈念し願成就院を建立、そこに座す運慶作諸仏5体は昨年6月国宝に指定された。その一帯には時政邸や室町期の花の御所もあり、伊豆一帯を治めた北条早雲は韮山城で生涯を終えた。市内には6つもの国指定史跡があるというのに整備に手が廻らない。待ったなしの反射炉周辺整備を緒として、計画的に迅速に進めて行かなければならないのだ。これを幸せなこととして私は臨みたい。

昨年、市長に就任して間もない頃、安倍首相は日本の成長戦略に女性の社会参画を掲げた。女性の就労を促すとともに、働く環境を整えることを合わせて勧め、少子化対策、子育て支援の充実を言明、さらに指導的地位に在るべき女性の割合を30%として女性の登用を強く訴えた。このことを今、深く考えている。政治を志した原点に戻りつつ。

私の祖母は大正5年開業の助産師、母も18歳で保助看の資格を取得、結婚後も祖母と共に助産業に勤しんでいた。戦前、戦中、戦後とその仕事がどれほど多忙であったかは歴史が語る。私は昭和19年に生まれた。その時父は戦地におり、九死に一生を得て帰還、その父に戦争の匂いを嗅ぎ、私は怖くて父から逃げて回っていた。このことを思うと胸が痛む。復員後、父は農協に勤め、田畑も耕し働いた。祖母と母の経営する助産院は相変わらず忙しく、父は家事もせざるを得なかった。「共存共栄の世の中だから」と明るく受け止めて、私や妹たちの弁当を作ってくれた父だった。

時は流れ、私もまた子育てをしながら仕事に励んでいたが、夫には介護期を控えた祖父母、父母がいた。当然のことながら祖母も、両親も老いた。やがて看病、介護の長い日々が続くことになる。平成を大分過ぎた頃「男女共同参画」なる言葉が歩き出した。が、私には遠い世界のようだった。

女性は苦しみ抜いて子供を産む。生んだその時から育児と言う手抜きの出来ない日々が始まる。命を懸けて赤ちゃんを産んでくれた母親が守られる世の中でなければ…。そして、赤ちゃんもまた苦しい中から生まれてくる。生まれてきた尊い命は守られなければならない。女性も子供もお年寄りも誰もが、その存在を認められる社会を作っていかなければならない。その時、私は決心した。政治の世界に身を投じることを。

おの・としこ氏
おの・としこ/1944年生まれ/1967年日本大学芸術学部卒業。2001年静岡県韮山町議会議員、2003年静岡県議会議員を2期11年。その間、静岡県議会産業委員会委員長、厚生委員会委員長を歴任。2013年4月静岡県初の女性市長に就任。現在1期目。