「共同参画」2013年 2月号

「共同参画」2013年 2月号

特集

座談会 国連世界人権会議から20年を振り返って
内閣府男女共同参画局総務課

ご出席の方々

有馬 真喜子さん 特定非営利活動法人UN Women日本国内委員会理事長、元国連世界人権会議日本政府代表

阿部 浩己さん  神奈川大学大学院法務研究科教授(国際法)

橋本 ヒロ子さん 十文字学園女子大学教授(国際協力論)、国連婦人の地位委員会日本政府代表

林 陽子さん   弁護士、国連女子差別撤廃委員会委員

ことば

ジェンダー主流化:あらゆる分野でのジェンダー平等を達成するため、全ての政策、施策及び事業について、ジェンダーの視点を取り込むこと。(第3次男女共同参画基本計画(平成22年12月17日閣議決定)用語解説より)

国連婦人の地位委員会(CSW):政治・市民・社会・教育分野等における女性の地位向上に関し、経済社会理事会に勧告・報告・提案等を行うこととされ、経済社会理事会はこれを受けて、総会(第3委員会)に対して勧告を行う。2013年の年次会合は、ニューヨークの国連本部において、3月4日から15日まで開催される予定。

1993年6月、オーストリアのウィーンで国連が主催する世界人権会議が開催され、その成果として「ウィーン宣言及び行動計画」が採択されました。それから今年で20年。

世界人権会議やその後の国連の活動などに携わってこられた有識者の方々に、会議の成果がこれまでに国際社会や我が国の女性施策に与えた影響について振り返っていただくとともに、今後の国際的な潮流などについて展望していただきました。

画像

冷戦の終結と世界人権会議

有馬 まず、世界人権会議はどうして開かれたのか。当時の意義及び今日に及ぼしている意義をお話しいただきたいと思います。

有馬 真喜子さん
有馬 真喜子さん

阿部 私は国際法の研究者ですが、当時はNGOの一員として世界人権会議にかかわりました。

世界人権会議が開催された最大の要因は、冷戦の終結です。冷戦が終わり、これからは新しい世界秩序を築いていく、今まで実現できなかった人権に本格的に取り組んでいく、多元的な民主主義、平和を90年代に実現する。そういう流れの中で、この会議が構想されました。

ところが、90年代の幕が開くと旧ソ連が分裂しました。各地でナショナリズムが高揚し、旧ユーゴスラビアでは「民族浄化」が問題となりました。アフリカでも様々な形で民族間の紛争が生じました。同時に、アジアの国がそうでしたが、経済的な力をつけてきた国からも、人権は普遍的だという主張に対するかなり強い抵抗が示されるようになりました。

果たして世界人権会議が新しい時代を切り開いていくことになるのか。それとも、むしろこれまでのラインを後退させてしまうのではないか。そうした危惧すら持って、会議が開催されました。

阿部 浩己さん
阿部 浩己さん

世界人権会議の成果

阿部 この会議で「ウィーン宣言及び行動計画」が採択されました。

制度面での最大の成果は、国連人権高等弁務官が誕生したことです。

規範面では「女性の権利は人権である」という趣旨の文言が入りました。それまで重視されていなかった女性の人権が、「女性に対する暴力」をキーワードとして、人権問題の中に取り入れられていきました。その後、1993年12月に「女性に対する暴力撤廃宣言」が国連総会で採択され、1994年にその実施を監視していく女性に対する暴力の特別報告者が任命されました。

このように、人権の普遍性を保ったことに加え、「女性の人権」が人権問題として織り込まれたという点で、この会議が残したものは非常に大きいと思います。

橋本 私は当時、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)で女性問題を担当する職員でした。当時は主に開発途上国が「ヒューマンライツ」という言葉を先進国の価値観を途上国に押し付けると嫌っていたのですが、ESCAPでは、世界人権会議以降は使えるようになりました。

その後、「女性の人権」が1995年の第4回国連世界女性会議(北京会議)で採択された「北京行動綱領」の基本概念であり、「重大問題領域」の一つに入りました。「女性と武力紛争」も「重大問題領域」に入った結果、1998年の国連婦人の地位委員会(CSW)で議論され、2000年の国連安全保障理事会における「女性・平和・安全に関する安保理決議1325号」(安保理決議1325)の採択に繋がりました。

橋本 ヒロ子さん
橋本 ヒロ子さん

 女性の権利に人権法上の位置づけを与えたという意味では、世界人権会議は決定的に重要だと思います。

 「ウィーン宣言及び行動宣言」パラグラフ18は、文化、宗教、国籍、人種にかかわりなく、世界共通の基準としての「女性と少女の人権」を非常に格調高くうたい上げた点で、とても重要な文章です。

ウィーン宣言及び行動計画(抄)

(世界人権会議、1993年6月25日採択)

18.女性と少女の人権は不可譲、不可欠で不可分の普遍的人権である。女性の国内、地域及び国際レベルでの政治的、市民的、経済的、社会的及び文化的生活への完全且つ平等な参加、並びに性を理由とするあらゆる形態の差別の根絶は国際社会の優先課題である。

文化的偏見及び国際的売買に起因するものも含めて、ジェンダーに基づく暴力並びにあらゆる形態のセクシャルハラスメント及び搾取は、人間個人の尊厳及び価値と矛盾しているものであり、除去されなければならない。これは経済的及び社会的発展、教育、母性保護及び健康管理、並びに社会扶助の分野における法的措置、並びに国内行動及び国際協力を通じて達成することができる。

女性の人権は、女性に関連するあらゆる人権文書の促進を含めた国際連合人権活動の不可欠な部分となるべきである。

世界人権会議は、各国政府、機関、政府間機構及びNGOに対して、女性及び少女の人権の保護及び伸長の努力を強化することを求める。

(社団法人自由人権協会訳による)

また、1992年にブラジル連邦共和国のリオデジャネイロ市で開催された国連環境開発会議のころから、国連はNGOの参加を非常に広く認めるようになってきました。過去の会議は、国連に登録した世界規模のNGOしか参加ができなかったのですが、環境開発会議、世界人権会議以降、小さな問題に一所懸命取り組んでいるNGOもいろいろな文書のロビイングをできるようになり、それによって国連の会議が持つ価値というものがますます豊かになったと思います。

林 陽子さん
林 陽子さん

有馬 私は世界人権会議に政府代表として参加しました。林さんの言うとおり、NGOのロビイングが活発で、会場にいると本当にたくさんの文書が来ました。それらは非常によく勉強されていて、国連人権高等弁務官や女性に対する暴力の特別報告者の創設など、人権の推進・保障を進めるために何が必要か、という提言型の文書だったという印象が残っています。

また、女性にとって非常に大事な会議であったと同時に、障害者、先住民族、移住労働者、子どもといった、それぞれの人たちに人権がある。人権という漠としたものから、人権は一人ひとりの人にあることをはっきりさせたという点で、「ウィーン宣言及び行動計画」はとても意義深いと思います。

阿部 世界人権会議に参加した多くのNGOの中で、女性のNGOは最も戦略的に動いて、最も大きな成果を獲得しました。それが2年後の北京会議にも、ジェンダー主流化にも影響しました。

世界人権会議後の人権の発展

 女子差別撤廃委員会から見ると、「女性に対する暴力」の問題が、世界人権会議以降、中心的な課題として取り組まれるようになったと言えます。

1992年の女子差別撤廃委員会の一般勧告で「女性に対する暴力」は条約で扱う差別なので国家報告書審査にも入れるようにということは決まっていたのですが、世界人権会議においてそのことが強調されました。さらに、女子差別撤廃条約にとって重要なのは、「ウィーン宣言及び行動計画」に同条約の選択議定書の作成のための活動を支援するとの項目が入ったことです。選択議定書は実際に、1999年に採択され、2012年12月では104か国が批准しています。

なぜ「女性に対する暴力」を取り上げることが重要なのか。女子差別撤廃条約は、教育、雇用、家族法における地位などにおいて、男性と比べ女性が劣っている部分を向上させる枠組としては力がありました。しかし、それだけでは女性の権利は実現せず、エンパワーメントもされていかない。家庭内の暴力、職場でのセクシュアル・ハラスメント、地域の中のポルノグラフィ、人身売買などが、社会への女性の参画を阻害しているからです。

そうした現象を示すのに「女性に対する暴力」という言葉は非常にわかりやすかった。条約には明文がないのですが、それこそが女性の平等権を阻んでいる大きな課題である、とされたことで、様々な取組が行われるようになりました。

阿部 世界人権会議以降、国際人権法では、私的領域、私人間の問題にいかにして人権保障の仕組みを及ぼしていくかというところに議論が発展していきました。

 これと女性の人権論とがうまくかみ合う形になり、国際人権法の考え方では、私的領域、生活の場で起きる男女間の不均衡を是正する法的義務が国家にはっきりと課せられるようになったのです。

有馬 身近なところでは、私人間で起きる問題、例えば家庭内暴力について警察は家庭には介入しないという立場だったのが、日本でも国際的な流れに呼応して少しずつ変わってくる。地域の男女共同参画センターなどと一緒に研修会をするとか、随分時代が動いてきたなと感じました。

その基になっているのが「女性に対する暴力撤廃宣言」ですね。私は準備委員会に参加したのですが、暴力の定義や内容に加え、暴力が女性の自信や生きる力を奪い、社会的な活動や幸せな生活を阻害することが、6条ほどの短い宣言にちゃんと書いてあります。

橋本 障害者の行動計画をアジアで作り始めたのも、世界人権会議に向けてのプロセスです。

また、私は南アフリカにおける女性の政治参加を促進する要因の調査に関わっていたのですが、南アフリカの憲法第9条には、いろいろな属性の人たちを挙げて、差別をしないというのが明記されているのです。

このように、「ウィーン宣言及び行動計画」は、各国の憲法にも影響したと思います。国際的な会議だけではなく、国家の基本になるものに影響しているのではないか。そういう意味では大きな成果がありましたね。

阿部 それまでは、女性が男性に追いつくというのが平等の一つの典型的な考え方でした。世界人権会議以降、追いつくのではなくて最低ラインの平等が保障された上での多元的な人間像というのでしょうか、それが一つの社会の中で実現されるべきだという流れが大きくなってきたような気がします。

 例えば、障害者と健常者を考えた場合、障害者は健常者にならないと平等にならないのかというと、同じになる必要はないわけです。社会の一員として対等に生きていけるように、社会を変えていく。

有馬 「ユニバーサルデザイン」という考え方ですね。いろいろな人がいてそれでいい、という考え方になっていく。世界人権会議はその発端でもあったということになるのでしょうね。

(参考1) 世界人権会議後のうごき

日本の女性施策への波及

 国内に目を転じると、2000年の国連特別総会「女性2000年会議」の成果文書の中で、女性への暴力の加害者を処罰する法律が必要であることが盛り込まれたこともあり、2001年に日本で、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(配偶者暴力防止法)が施行されました。まだまだ数は足りないですが、全国津々浦々にシェルターが公立で設置され、保護命令の違反については刑事罰が科されるという日本の法制史上でも非常に画期的な法律ができました。

日本の法律、制度の中で、一番女性たちが必要としているものを女性たちの国への働きかけによって作ったという意味で、配偶者暴力防止法ができたことと、その後の男女共同参画基本計画にその視点がきっちり入ったということはとても大きな成果だと思います。

橋本 配偶者暴力防止法の制定過程では、NGOやシェルターなどが法案に対し、実態に基づいた意見を出せたのは画期的だと思います。ほかの法律ではなかなかそれができないのですが、内閣府男女共同参画局は女性の問題についてNGOの意見をずっと聞いています。

有馬 私の記憶だと1995年の国連の調査では、例えばアメリカや北欧では国内にあるシェルターの数は500とか1000か所でしたが、日本はわずか5か所でした。今ではシェルターも各地にでき、国の支援もあり、自治体や地域の支援もある。そういう点では、日本はかなり急速に伸びたという感じですね。

阿部 90年代は世界人権会議から人権保障の流れが強まり、95年の北京会議でジェンダー主流化が明確になって、その5年後に「女性2000年会議」が開催されました。その過程で日本の法制度、仕組みも変化し、男女共同参画社会基本法ができています。このように、世界人権会議の影響というのは、我が国の施策の中に「女性の権利は人権だ」という概念が取り込まれていったことだと思います。

企業などの活動、社会への波及

有馬 女性の人権への取組を、国や地域のレベルだけではなく、私的な分野、特に企業の活動に取り入れていこうという動きも始まっています。

2011年のUN Women発足によって特に加速しているのが「女性のエンパワーメント原則(WEPs)」の取組です。国連が作成したWEPsに賛同する企業の経営者が、企業として、機会の均等、健康・安全、暴力の撤廃、教育と研修といった女性のエンパワーメントを進める取組を、企業経営として行うことを署名するものです。

 人権を守る義務は、国家だけではなくて、企業にもあるというように発展してきています。2008年には、国連人権理事会が「ラギーレポート」という、企業と人権についての報告書を採択しています。

 2010年には国際標準化機関(ISO)が社会的責任の手引きとしてのISO26000を発行するなど、企業と人権をめぐる急速な広がりもあり、その中でやはり女性の人権というのは重要だとされています。日本の企業の方も企業の社会的責任(CSR)を担当している方々は大変熱心に勉強をされています。

阿部 制度を改善していくことによって公正な秩序、実質的な平等を実現していく一方で、別の角度から見てみると、偏見や意識、あるいは制度を取り巻いている社会環境が本質的に変わっていかないと、もぐらたたきのような状況から抜け出せないのではないかとも思います。

国連では、有害な慣行にも関心を持ってきており、また、2010年にできた女性に対する差別を扱う人権理事会作業部会では、法律上だけでなく実際上も平等が実現されているかを調査します。ただ、様々な社会の中で培われてきた根強い慣行を根絶していくのは、なかなか成果の出ない課題ですね。

 人権理事会の作業部会は、差別的な法律と実践、慣行を扱っています。現在は、女性の政治参画の問題を扱っています。やはり女性の政治参画が少ない、女性の政治的なリーダーが少ないということは、結局その差別的な法律や慣行をなくす障害になっているという認識なのだろうと思います。

世界人権会議の開催時配布資料
世界人権会議の開催時配布資料

国際的な視点からの今後の展望

有馬 2000年の安保理決議1325を受けて、その国内行動計画を作りましょうという動きが各国では活発ですね。

橋本 例えば自衛隊、警察の国際平和協力活動(PKO)での海外派遣への女性の参加、和平交渉への女性の参加を促進しましょうというのが安保理決議1325の考え方です。政府開発援助を実施する際にも、そういう視点で実施していくことが求められます。日本でも国内行動計画ができるといいと思います。

有馬 現に日本ではPKOにも女性が選挙監視団などに参加しておりますし、災害などでもいろいろなところで女性が活躍しています。

他方、2012年のCSWでは日本政府や橋本さんがご尽力された「自然災害におけるジェンダー平等と女性のエンパワーメント」が決議されました。日本がCSWで決議を提案したのも、政府代表としての橋本さんのステートメントがニュースで放映されたのも初めてのことでした。

橋本 安保理決議1325は紛争からの復興の取組ですが、災害でも同じような問題が起こってきています。国内行動計画を策定する際には災害復興の視点も入れた方がいいと思います。自治体もトップにやる気があれば、地域の防災会議の委員に女性を増やすことができています。

阿部 国際法の観点からも、これだけ規模の大きい災害が立て続けに起きると、経済や安全保障など、国家間の安定した関係に深刻な影響を及ぼすことから、新しい法体系が作られようとしています。日本の経験は、国際的に貢献できると思います。

 女子差別撤廃委員会でも、幾つかの国の国家報告書審査では、地震やハリケーンの後の復興の過程に女性が参画していないことが問題になりました。

災害の問題は世界共通の大きな問題であることから、委員会では、その一般勧告を作るため、2011年に作業部会ができ、私は部会長になっています。日本には、今までの国際社会における取組から、大きな期待を持たれています。

有馬 2013年のCSWのテーマは、「女性に対する暴力」です。世界人権会議から20年ということでもありますね。

橋本 今年のCSWでは各国の意見が分かれるのではないか、非常に大変だなという気がしています。

有馬 その原因は何ですか。

橋本 人工妊娠中絶との関連で性と生殖に関する健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)や有害な慣行等が議論になると思います。

有馬 世界の情勢としては、「アラブの春」といわれる様々な変革が起こりましたが、逆にイスラム原理主義的な傾向も強まり、外から言われたくないという抵抗があるのでしょうか。

有馬 「アラブの春」で、女性の政治参加が結構後退している国も多いですね。クォータ制がなくなっている国もありますから。

阿部 どういう時間的なスパンで考えたらよいかにもよるのですが、例えばアラブ、中東の問題などでも、多分欧米の経験に照らしても、一挙にすべてが変わっていくというよりも、前進後退を繰り返しながらいくと思います。よくなっているように見えたけれども、今は後退している。でも、これは次にまたジャンプしていく力が蓄えられているかもしれないし、私は変わり始めたと思うのです。

他方、東南アジアに関しても、問題を含みながら、流れとしては人権保障の方に進んでいくと思います。

時間の軸をもう少し長く取る。短期的に見ると確かに揺り戻しがきているというのは、ある意味で90年代から大きな前進があったからです。

国内の視点からの今後の展望

有馬 最後になりますが、私たちの課題、日本は今後どういうようなことに取り組んでいったらいいでしょうか。

 女子差別撤廃委員会の日本政府に対するフォローアップ勧告では、民法改正とあらゆる分野における「暫定的特別措置」が出ています。

政治だけでなく、経済、学術、教育の世界まで、あらゆる場においてこの「暫定的特別措置」が行われることはとても重要なことです。EUでは、取締役会の非常勤役員を4割女性にするという指令ができています。また、フランスは憲法を2度改正してパリテ法(公職の候補者名簿の男女平等)を実現しました。ほかの国でも抵抗勢力というのは当然あるわけですが、そういうものと闘って次のステップに進んでいる。そういう元気が日本にないと、このグローバル化の時代に、ますます世界から遅れをとってしまいます。

それと、固定観念を打ち破るようなメディアの役割は大きいと思います。例えば男性が「女性に対する暴力」に取り組み、自ら何か行動をとることが、ヨーロッパでは「すばらしい行動だ」と賞賛される。「女性のために行動する男性」というロールモデル、それがいいことだという文化ですね。

有馬 「イクメン」もそうですね。

 日本でも少しずつ出てきていると思いますが、もっともっと加速していかなくてはと思います。そのためにはメディアの役割はとても大きいのではないかと思います。

阿部 男性はいつもリーダーになって引っ張っていくという意識を刷り込まれてきましたが、それは男性にもつらいところがあると思います。それより、女性をサポートするほうが楽しいとか、自分らしいという人はいっぱいいるはずですので、そういう役割を我々の世代の男性はやっていかなければいけないと思います。

それと、「暫定的特別措置」を明確に、明示的に打ち出すことで風景が変わる。それまでは、異様と感じなかった男性だけの会議なども、あれはちょっとおかしい、と感じる人が増えていけば、意識の変化、社会が変わることにつながると思います。

ただ、これにはものすごい時間がかかる。だから一喜一憂せず、取り組み続けていくということだと思います。

有馬 一進一退しながら、やはり進んでいる。いいお話ですね。

橋本 教育の役割も大きいと思います。学校教育だけでなく、教員養成課程、司法研修所、公務員や企業の職場の研修もあります。日本は、教育の場での取組が遅れていると思います。研修者への研修(トレーニング・オブ・トレーナーズ TOT)もあまり行われていない。男女共同参画センターがTOTでは、大きな役割が果たせます。それをもっと進めるようにすれば変わっていく可能性はあると思います。

阿部 女性施策は、国際と地域がこれまで数十年にわたって連携をとってきていますので、それを今後も続けていくべきだと思います。その観点から、例えば女子差別撤廃委員会の一般的勧告などをうまく政策の中に、意識的に取り入れていくようにしたらいいと思います。上手に国際的な水準を取り入れていく。その素材を国際人権諸機関は提供してくれているので、どう生かすかは現場の知恵です。

有馬 男女共同参画局でも、地域や企業でこうやって女性を登用しているとか、表彰制度などを行っているし、厚労省も表彰制度はありますね。そういうよい例(グッド・プラクティス)を挙げてPRしていくという方法は依然として大切ですね。

 ちょうど時間ですので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。