「共同参画」2011年 10月号

「共同参画」2011年 10月号

連載 その3 女性首長から

男女ともいきいき活躍できるまちに
野木町長 真瀬 宏子

今年3月11日の東日本大震災による瓦礫処理や放射能対策では被災から半年経ちましたが、野木町でもまだ屋根上にブルーシートがのこり、瓦工事を待っている家が残っていますし、塀の復旧も修理が進まないところを見かけ、心が痛みます。しかし、野木町はまだ栃木県内でも被害が少ない方でした。もっと多く被災された東北3県の皆様には心よりお見舞い申しあげます。また犠牲となられた数多くの方々に、深甚なる哀悼の意を表すと共に、ご遺族には、心よりお悔やみを申しあげます。我々より遙かに困難な復興への道を、ぜひご無事に!と祈るばかりです。

さて、野木町は栃木県の南の玄関口に位置し、東京から北に60キロ、通勤圏にある静かな町です。JR野木駅を中心として住宅地が広がり、周辺部は緑多い農村地帯となっています。規模は小さいながら二つの工業団地があり、南北に4号国道が通って交通の便もよく、バランスよく配置された住みやすいコンパクトタウンです。

駅周辺の住宅地からは東京にも多くの人が通勤しており、サラリーマン家庭の形態をとっています。夫婦共働きも多く、その為、町では保育所、学童共に待機児童0を維持し、現在に至っています。ごく平凡で当たり前ですが、子育てしやすい環境、住みやすい環境を第一に据えて、施策を考えています。大震災以来、幸福の基準も微妙に変化したと思います。当たり前であることの幸せ実感は今なら国民の総意となることも出来るでしょう。行政指針の軌道修正もありかもしれません。

野木町では今年3月に男女共同参画プランを策定し「男女ともいきいき活躍できるまち」をめざして、まずその意識づくりをしているところです。そもそも我々の生物学的性差は否めないとしても、ジェンダー即ち後発的要因により社会通念上差別を受けることは、意識的に排していかなければなりません。私が学生の1960年代はジェンダーについて矛盾を声高く主張しなければならず、その時の女性教師の真剣な顔を忘れることは出来ません。しかし、今、私は自然に思うことが出来ます。改めて、相手を尊重し、自分自身を縛りつけることなく自由に解き放てば、恐らく誰でも生き生きと活躍出来るのだと言うことを。特に大震災後、支え合う事の大切さ、寄り添うことの幸せをみんなで共感していると思います。人として当たり前の幸せである子供を産み育てる事、それに対して協力体制がある職場、それが基本だと思います。我が町の農業士や農業委員の中で、女性がキラリと輝いて見えるのも誇らしいことです。

花とレンガのまち野木町
花とレンガのまち野木町

野木町長 真瀬 宏子
略歴等:1946年生まれ。東京芸術大学大学院修士課程修了。安宅賞受賞。1975年から2008年までアートスペース・カメラーテマッセを主宰し、高等学校教師として勤務するほか洋画家として個展30回開催。(日本美術家連盟会員、栃木県美術家協会理事、栃木県女流美術家協会員、アトリエピッコロ絵画教室主宰)。 2001年~2008年3月野木町公民館長を務める。2008年8月野木町長に就任。