「共同参画」2011年 10月号

「共同参画」2011年 10月号

寄稿

いまこそ父親力を
京都大学霊長類研究所認知学習分野教授
正高 信男

人間は、生まれた国や文化の違いに応じ、異なったことばを獲得します。しかしどのような場所で生活しようとも、幼い子どもに接する際には、無意識のうちに語りかけを独特に変化させるのが普通なのです。これが育児語と呼ばれる現象です。

具体的には、他の大人に向かって話すときよりも声の調子が高くなり、かつ抑揚の誇張が目立つようになります。そして赤ちゃんは実際にそういう高くて抑揚の聞いた声を生まれながらにして好むことがわかっています。なぜなら、世の中には音が氾濫しており、何に注意を向ければよいのか小さいころはよく分りません。そのため本能として、特定の音に注意が向くようにからだがつくられているのです。

男性と女性とで比べてみると、後者の声の方がもともと前者よりも高いのですが、育児語となるとそれが一段さらに高くなります。これは子どもに絵本や物語を読み聞かせるときも同じです。それがいっそう楽しく感ぜられる効果を子どもにもたらします。一方、男性の声はもともと低いので、高くなっても女性にくらべると効果はたいしたことはないものの、抑揚が大きく誇張されます。すると、こうした特徴の育児語は、怖い話などをより怖くするのに絶大な影響力を発揮します。子どもに安心を与えるばかりではなく、育児の場面では恐怖や危険を知らせて抑止することも必要なことが多々あります。そういうときには、男性が話しかける方がうまくいくことが多いように、私たちはつくられていると言えるでしょう。

ところで、現代日本の日常の親子のやりとりでは、育児語はどの程度使われているのでしょうか?調べてみると、母親ではおよそ9割の人が使用していることがあきらかになりました。ところが、父親の場合、とくに都市部では余り用いられていません。これは父親の影響力が希薄化していることの表れと考えられます。

高度成長期に入るまでの日本では、子どもはいろんな大人と接する機会があって、社会性や多様な価値を学んだものでしたが、今はそれもなくなりました。近年、イジメ、「キレる」など、様々な問題が日本の子どもについて起きています。そのたびに子育ての問題が議論されますが、母親の努力に関する限り、日本のそれは欧米に比較して遜色はありません。ただ、父親力は不足しているようです。

恐怖や危険に充ちた外界から子どもを守り、情緒的きずなを形成することで安全基地を提供するのが母性の役割であるのに対し、外の世界へと独り立ちすることを後押しし、社会のルールを教えるのが父性です。もちろん女性が父性を発揮することは可能なものの、要は母性と父性の相反する力をバランスよく子どもたちに与えてやることが大切といえます。

昨今、以前よりもおとうさんが子育てに熱心にかかわるようになったかの印象が濃厚です。しかし、よく観察してみると「ふたり母親」が家庭にいる状況ができていることが珍しくありません。せっかくふたりが育児にかかわるのならば、それぞれが違う役割を演じるようにこころがけることが大切でしょう。

その際、意識的に子どもにあたえるよう努めるべきものこそ、「父親力」なのだと私は考えています。

まさたか・のぶお/1954年大阪生まれ。1983年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。学術博士。現在は京都大学霊長類研究所認知学習分野教授。NPO法人発達障害療育センターの代表をつとめ、障害をもったこどもの支援にも積極的にかかわっている。「ケータイを持ったサル」「父親力─母子密着型子育てからの脱出」「あかちゃんすくすく絵本─語りかけ擬音・擬態語絵本」など著書多数。