「共同参画」2009年 2月号

「共同参画」2009年 2月号

スペシャル・インタビュー

宇宙で働く夢を現実に~宇宙飛行士という仕事~ Yamazaki Naoko

今回は、来年に打上げ予定のスペースシャトルに搭乗することが決まった、日本女性としては2人目となる山崎直子宇宙飛行士にお話を伺いました。

仕事も子育てもコミュニケーションが一番大事。本当にそう思います。

─ 幼い頃から宇宙への憧れを持たれて、宇宙飛行士への夢も割合早い段階から志されていたとお聞きしていますが、そのきっかけをお聞かせください。

山崎 最初のきっかけは、小学生の低学年の頃に星を見るのが好きだったんです。近所で星を見る会というものがありまして、天体望遠鏡で見た月のクレーターや土星の輪がすごくくっきりと美しく見えたのが印象に残っていて、そういうものを通じて宇宙は好きだなと思ったのが原点だったと思います。

その後、兄と一緒によく宇宙もののテレビ番組、例えば「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を見て、普通に大人になったら、皆が宇宙に行けるんだろうと単純に思っていました。

中学3年生の時に、たまたまテレビのニュースでスペースシャトルの打ち上げを見る機会がありました。チャレンジャー号が打上がって、数十秒後に爆発してしまったんですが、ブラウン管を通じてみた光景に大変驚き、自分の中ではアニメの世界ではなく、本当にスペースシャトルや宇宙飛行士が実在しているということを実感しました。

それで、宇宙が好きだったのと、図画工作が好きだったので、航空宇宙工学を大学で勉強することになったのです。

そして、好きなことを続けているうちに、今度は航空宇宙の本場であるアメリカに留学してみたいと、大学院生のときに1年間留学しました。今思うと、その一つひとつが宇宙飛行士になるために役立っていたと思います。

─ 航空宇宙工学の分野では女性は非常に少なく、そして苦労されたこともあったのでは。

山崎 航空宇宙工学科は50数名いましたが、やはり女性は1割もいなくて、確か3名でした。私はお茶の水女子大学附属高校出身で、全体の40%ぐらいは理系の進路に進んでいたので、自分の中では当然という感覚だったのですが、いざ入ってみると、女性が余りに少ないことに驚きました。

でも、男女差というものを感じたことはないですね。ただ、女性の人数が少ないので、欠席すると目立ってしまうとか、トイレの数が少ないとか、不便だなと思ったことはありましたけれども(笑)。

─ それでは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に就職されたのは、自然な選択だったんですね。

山崎 そうですね。やはり宇宙にまつわるような仕事をしたかったので、最初はエンジニアとして、昨年宇宙に上がった「きぼう」日本実験棟の開発チームの一員として働いていたんです。その部署で初めての女性エンジニアだったんですが、男の人と同じように仕事をさせてもらうことができ、すごく恵まれていたと思います。

途中で子どもを出産したときにも、産休と育休の制度が整っていたので、きちんと取ることができました。

─ 9年前に宇宙飛行士の候補者になられたわけですが、長く厳しい訓練の中で、特に印象深かったことは。

山崎 本当に毎日をやりくりすることが精一杯で、考える間もなく駆け続けてきた9年間だったというのが印象です。宇宙飛行士の候補者になったのが1999年の2月で、その2年半後に正式に宇宙飛行士になって、その翌年に長女を出産して、夫も宇宙船を地上でコントロールするフライトコントローラーとして働いていたんです。

それはそれはたいへんでしたね。お互いに育児休暇を交互に取り合ったあと、娘が1歳弱のときに保育園に行きだしたんですが、送り迎えを今日はどちらがどっちをやるとか、保育園から呼び出しがあって、熱があるので直ぐに迎えにきてほしいと言われても行けないので、1時間ごとに交代で休みをとったりとか、両親や友達にも助けてもらったりしてやりくりしていましたね。

娘が1歳になったとき、7か月間ロシアに訓練で行くことになったんです。ロシアだと生活環境も分かりませんし、1歳の娘を連れていくのは無理と判断して、日本に残すことにしたんです。そのため、夫は働きながら子育てをし、そして当時、夫の両親がそれぞれ介護状態だったため、ものすごく大変な日々を過ごしていたんです。私は、その間、訓練に集中することができ、すごく有難かったんですけれども、その分、全部夫にしわ寄せがいってしまいました。

ロシアから戻ってすぐ、今度はアメリカで最低2年間訓練を行うことになったんです。そのときは本当にどうしようかと思いました。またこのような生活が続くようではとてももたないだろう、と。アメリカであれば、いろんな子育ての環境も整っているし、私もずっと娘と離れていて寂しかったのもあり、娘をアメリカに連れて行くことを検討しました。けれど夫は私がアメリカに何年いることになるのか分からない中で、ヒューストンで何とか仕事を続けられないか検討したんですが、結局、手立てがなく、夫にとっては苦渋の選択でしたが、会社を退職せざるを得なくなってしまいました。

─ どういう選択をするかというときに、夫婦間のコミュニケーションが重要だったと思いますが、何か心がけたことは。

山崎 アメリカに渡るという4年前のときには、直前までロシアにいて、正直言って、コミュニケーションはなかなか取れなかったですね。反省しています。夫が自主的にいろいろこうしたらいいだろうと察して、自分でやってくれたところが多かったと思います。私がせめて心がけていることというのは、日々「ありがとう」と「ごめんね」を何万回言ったか分からないんですけれども、やはりお互いの立場にたって、できるだけ考えようと思っています。実際、できているかどうかは反省ばかりなんですが、言い訳はしないように注意しています。

─ 子どもとの関係で気をつけていることは。

山崎 私は娘のことを尊敬していますし、いろいろなことを子どもから教えられますね。子どもは何事にも一生懸命だし、例えば親のことをすごく映すんです。私たち親に余裕がなかったり、ちょっといらいらしていると、娘も機嫌が悪くなったり、自分たちがゆったり構えていると、娘も落ち着いているような感じがするんですね。そういう形で自分のことを映してくれているようで、はっとします。

─ 宇宙飛行士というのは知識、技術だけでなく、精神的な強さも重要だと思いますが、日頃、どのように心がけて仕事をされていますか。

山崎 日々、いろんな訓練がありますが、その中でやはり心がけていることは、コミュニケーションですね。国際共同プロジェクトで国際宇宙ステーションを作っているので、いろいろな国の人と一緒に仕事をするんです。その中では、当然、文化も違うし、あうんの呼吸も通じないし、ちゃんと言葉に出して、自分はこう思うということを伝えないといけないし、かつ、相手がどう思っているかをちゃんと聞かないといけない。だから、本当にコミュニケーションがすごく大事だなと思います。

─ 女性の環境づくりに関し、お感じの点をお聞かせください。

山崎 気持ちで頑張ってやりたいと思っても、私なども実際、制度の壁というものを感じたことがあるんです。

例えば、宇宙に行く前には、遺言状を準備するんですね。万が一のことがあったときに対応できるように危機管理でやるんですが、いろいろ調べていくと、私が万が一事故死した場合、夫は今退職しているんですが、国民年金の遺族基礎年金を支給されないんです。子のある妻か子どもしかもらえない。遺族厚生年金の方でも、妻は無条件で支払われても、夫は55歳以上か高度の障害がないといけないとか。

女性が働く機会は増えていますが、女性が大黒柱になるようなケースは社会から守られていないのだなあと実感しました。想定外ということで制度が追いついていない例は、まだまだあると思います。同じように子育てをされておられる皆さんも、それぞれケースは違うでしょうが、いろいろなことを多分悩んでいらっしゃると思います。是非、多様化してきている実態に合わせて、制度も柔軟に変わっていってほしいと思います。

─ 最後に、これから夢を実現するようにチャレンジしようとする少女たちへのメッセージをお願いします。

山崎 子どもたちには、自分が好きなことや、興味を持ったことを大事にしてほしいですね。きっかけはすごく小さなことだと思います。星が好きだとか、動物が好きだとか、恐竜が好きだとか。好きだなという気持ちを持っていると、どんどん、より好きになっていくし、もっとほかの新しいものにつながっていくかもしれません。自分の将来の夢のヒントというものが、そこから見つかってくるのではないかなと思います。けっして焦る必要もないし、夢は一つである必要もないし、それは途中でいろいろ形を変えていくかもしれませんが、自分の道はやはり自分で切り開いていってほしいし、自分たちで未来をつくってほしいと思います。そのためにも、チームワーク、コミュニケーション、感謝の気持ちを常に大事にしていきましょう。

─ 本日はお忙しい中、ありがとうございました。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士 山崎 直子
宇宙航空研究開発機構(JAXA)
宇宙飛行士
山崎 直子

やまざき・なおこ/千葉県松戸市生まれ。1996年、東京大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1996年より宇宙開発事業団(現JAXA)に勤務。1999年、宇宙開発事業団(現JAXA)よりISS(国際宇宙ステーション)に搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者として選定され、2001年、宇宙飛行士として認定される。2008年11月、スペースシャトル「アトランティス号」への搭乗が決定。2010年2月以降、アトランティス号に搭乗し、ISSへ約2週間飛行する予定。