「共同参画」2008年 7月号

「共同参画」2008年 7月号

リレーコラム/男女共同参画のこれまでとこれから 3

「ばっかり人生」からの転換 男女共同参画会議議員 お茶の水女子大名誉教授 袖井 孝子

男女共同参画社会基本法が制定されて9年が経過した今日、「男女共同参画」という耳慣れない言葉も、ようやく市民権を得てきたように思われる。「参加から参画へ」というスローガンが掲げられるようになったのは、「女性の自立」が奨励され、「女性の時代の到来」が予測された1980年代の末頃であった。

男性中心社会の一員として認められることを求める「参加」ではなく、政策形成や方針決定に、男性と対等な立場で加わることを求める「参画」という言葉は、当時、新鮮な驚きを持って受け止められたものだ。しかし、「参画」が単なるスローガンから実践へと変化するには、かなりの歳月が必要だった。

古典的なマルクス主義の理論を持ち出すまでもなく、意識やイデオロギーで社会を変えることは難しい。多くの場合、経済的な必要性に迫られて社会は変わっていく。男女平等が実現されている北欧社会でさえ、女性の労働力を活用しなければ経済成長が難しいという認識が、職場における男女平等の達成や手厚い育児支援につながったと言われている。

日本の場合、その決めてとなったのは「少子化」であった。94年のエンゼルプラン以来、政府の少子化対策は、もっぱら雇用されて働く女性、しかも正規雇用の女性を対象とする仕事と育児の両立支援策が中心だった。しかし、そうした対策がいっこうに功を奏しないところから、今世紀に入ってからは、男性の働き方の見直しが行われるようになり、性別や世代を超えて、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の実現が目指されるようになった。

男女共同参画やワーク・ライフ・バランスというと、とかく働き盛りの男女あるいは子育て期にある男女の問題ととらえられがちだ。しかし、老若を問わず、男女共同参画やワーク・ライフ・バランスは必要である。

日本人の生活は、子どもの時は勉強ばかり、大学生になれば遊んでばかり、男は就職すれば仕事ばかりで定年退職すれば暇ばかり、女は結婚すれば家事育児ばかりの「ばっかり人生」といわれてきた。人生のあらゆる段階において、また人生全体を通して、仕事も勉強も遊びも、そして社会貢献も体験できれば、人生はより楽しくなるだろう。

今日、企業や社会における重要なポストを独占する男たちは、労働過重に陥り、ストレスにさいなまれ、あげくの果てに健康を損ね、自殺に追い込まれる。「夫は稼ぎ、妻は家庭を守る」という性別役割分業社会は、個人の自己実現やQOL(生活の質)の向上にとってプラスにならないだけでなく、女性の能力活用を妨げるという点では、経済社会の発展にとってもマイナスだ。

男女共同参画社会の実現は、女性にとってだけでなく、男性にとっても人生における選択肢が拡大することを意味する。「ばっかり人生」から脱却し、多彩でゆとりのある生活が実現できれば、少子化に歯止めをかけることも不可能ではない。

袖井 孝子
そでい・たかこ/国際基督教大学卒業、東京都立大学大学院博士課程修了。東京都老人総合研究所主任研究員、お茶の水女子大学助教授、教授を経て、現在はお茶の水女子大学名誉教授・東京家政学院大学客員教授。男女共同参画会議議員、公益認定等委員会委員、NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長。著書に『日本の住まい変わる家族』『変わる家族変わらない絆』(いずれもミネルヴァ書房)など。