「共同参画」2008年 4・5月号

「共同参画」2008年 4・5月号

リレーコラム/男女共同参画のこれまでとこれから 1

男女共同参画社会基本法の再評価を 男女共同参画会議議員 実践女子大学人間社会学部教授 鹿嶋 敬

男女共同参画社会基本法が施行になって9年。施行当時の社会・経済状況の変化を、基本法は「少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等」と前文で表現しているが、9年を経て改めて振り返ってみると、その2語では収まりきれない当時の急激な時代変化が鮮明になってくる。

施行年の99年前後は、時代の大きな転換期であった。後に失われた10年、15年などと表現されるこの時代は、就職難などがもたらす生活格差や男女間の価値観格差等々によって社会にきしみが生じた。例えば自殺者は1998年から3万人を突破し、今なお、減少する気配はない。離婚率は基本法が施行された99年に2.00に達し、西欧先進国並みになった。さらに2000年の国勢調査は、50歳時点で一度も結婚したことがない男性の比率(生涯未婚率)が12.57%と、5年前よりも3.58ポイントも増えたことを明らかにした。要するに8人に1人弱の男性は天命を知る年頃になっても、結婚していない(2005年国勢調査結果ではさらに増え、15.96%に達した)。

したくないのか、できないのか。それは90年代半ば以降、人件費削減の切り札としてパートや派遣社員など非正規雇用労働者のウエートが高まっていく状況と無縁ではあるまい。男は稼いで一人前という、男性に重くのしかかるジェンダー・バイアスによって雇用不安が増幅する中、結婚を躊躇(ちゅうちょ)する男性が増えても不思議ではない。

そのような時代状況の中で登場したのが、男女共同参画社会基本法だった。今だからその意義が見通せることを承知で言えば、同法は若い人たちの年収が300万円という時代の到来を結果的に読み込むことになり、それだからこそ、社会のあらゆる分野で男女が共に責任を持って活動することの必要性、家庭の運営も男女が相互の協力によって運営することの重要性など、条文に盛り込まれた文言の一つひとつが現実味を帯びて迫ってくる。

もっと平たい言葉で言えば、年収300万円時代は高度経済成長期の片働き型が経済合理性を失い、共働きでないと家計が切り盛りできない時代が到来したことを意味する。高度経済成長期であれば、年収が300万円でもまじめに働けば、辛抱して頑張れば賃金は上昇した。だが年功にではなく職種、能力が対価の対象になりつつある今は、職種の転換を図らなければ賃金アップの可能性は少ない。

グローバル化、ICT(情報通信技術)化の進展も、賃金の構造を高度成長期型とは異なるものにしている。開発途上国には安価な労働力が存在し、ICT化は補助的な仕事を量産した。そのような状況下、高い賃金を得る人、得られない人という構図が鮮明になり、いわゆる格差社会が出現した。この格差は構造的なものだけに、景気の好転で改善するとかしないという問題ではない。

経済の枠組みが変化する中では、当然夫と妻、男と女の間にも新たな関係性の構築が必要になる。その手掛かりが男女共同参画社会基本法であった。施行後10年近くたとうとしている今、同法の趣旨を理念としてだけとらえるのではなく、そのような視点での再評価がなされていいのではなかろうか。それが次の新たなステージで、どう男女共同参画社会を形成するかを考えるにあたっての出発点になるはずである。

男女共同参画会議議員 実践女子大学人間社会学部教授 鹿嶋 敬
かしま・たかし/千葉大学卒業。日本経済新聞社入社。編集局生活家庭部長、編集局次長兼文化部長、編集委員、論説委員等を経て、2005 年より実践女子大学人間社会学部教授。男女共同参画会議議員、次世代のための民間運動~ワーク・ライフ・バランス推進会議代表幹事なども務める。著書に『雇用破壊 非正社員という生き方』『男女共同参画の時代』『男女摩擦』(いずれも岩波書店)など。