女性首長大集合! -地域・子育て・男女共同参画-

七夕で有名な人口26万人、神奈川県平塚市の2期間目市長大藏と申します。私は、4期16年無党派の市会議員をやってまいりました。私がなぜ市会議員に出て行ったかということから入りますと、「核兵器廃絶平和都市を求める」という行動の中で、どうしても住民運動を共にする仲間の中から女性の市会議員を誕生させようという行動が起こりまして、「世の中男と女半分こ、議会も半分こしませんか」と選挙カーから訴えて市会議員になった人間でございます。4期やって、後継者も決まって、私は辞めようとしておりましたが、当時の3期目を目指す市長に対立候補が出ないということになりました。選挙は政治の入口です。政策論争がなくて、当時人口25万人のまちの首長が決まるのは、市民力が問われると私は思いました。そして、それを受けて、市長選に立候補をさせていただいたわけでございますが、何と言っても、市民の参加・参画で協働によるまちづくりを実現したい。そのためには、当時、焦点にもなっておりました、三市三町による政令都市湘南市合併の運動が起こっておりましたが、首長たちが旗振りをして合併をするものではない、それに反対をして、大方の予想を覆して、3期目を目指した現職に勝って私が市長に当選いたしました。

しかし、議会というところにいましたが、行政に入ってみると、議会対策がいかに難しいかということを痛切に感じました。そして、大きなまちの職員組織をどうやって運営していくかということも大変だなと思いました。私が最初にやったのは、自治基本条例をつくるという行動でした。それをつくるにも、すべて公募の市民に検討していただくことをやりました。また、ほぼ同時ぐらいに、平塚市の総合計画をつくるのも、「未来市民会議」を立ち上げました。あるいは、都市計画上の様々な条例も整備しなければならなくて、すべてを公募したんですね。公募市民だけでまず検討をしていただいて、だんだんと詰めていって、私は議会に提案しようとしたんですが、ことごとく反対をされました。「自分の選挙運動を担った人たちがやっているではないか」という声もありましたが、決してそうではないのです。私を担ぎ出した人たちは、一歩退いて、側面から支援をしようということに徹頭徹尾やっておりましたから、いろいろな市民が参加してきました。市民が立ち上がって、市民がけんけんがくがくやりながら、自治基本条例をつくるつくらないということを含めて、一緒になって議論をするという公募市民会議でしたが、そんなことで議会からも厳しい意見もありました。2期目の選挙では、国会議員が推した若手ジャーナリストとの言ってみれば一騎討ちみたいな選挙になりましたが、それに勝ったことで、まちの様子も議会の雰囲気も変わりました。総合計画が最後の議会で、継続で認めてもらえなかったのに、当選した6月議会では、全員一致で可決するという、そういう状況になってきました。

私は今何をするかというと、市民の力、地域の力で、自治力のあるまちづくりを進めたい。それは市民が協働をすることだ。私は消費者運動や平和運動や子育て活動やということで、いつも市民とともに行動をしてきました。市民の目線で政治をする。それが地方自治だと考えて、自治の仕組みづくりに今精一杯努力をしている最中でございます。その私に一番の勇気を与えてくれているのは、2期目の市長になっても、「女性市長と歩みたい」という市民グループが一生懸命事務所を構えて、ニュースを発行して、市民に呼びかけ、いろいろなマニフェスト検証会議を開いたりという行動を続けてくれていることです。市民とともに歩く市長を私は貫き通したいと思っています。

以上です。