男性にとっての男女共同参画シンポジウム滋賀「イクメンってどんな存在?女子会トーク」(1)

  • 第一部

2012年2月18日、第3回男性にとっての男女共同参画シンポジウムが滋賀県大津市の大津プリンスホテルにて開催されました。今回は、「ファザーリング全国フォーラムinしが」の後援イベント「分科会」としての開催となりました。題して、パネルディスカッション 「イクメンってどんな存在?~女子会トーク~」。4名の女性パネリストに男性コーディネーターがスイーツをサーブするというスタイルに、会場は終始なごやかな雰囲気に包まれました。 当日の概要は下記の通りです。

  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 滋賀01

コーディネーター&パネリスト紹介

  • 渥美 由喜
    • 株式会社東レ経営研究所 ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長。厚生労働省イクメンプロジェクト、内閣府男女共同参画会議基本問題・影響調査専門調査会委員。これからの人口減少社会の中、いかにして日本社会が活力を維持するかというテーマで、少子化対策などに取り組んでいる。 二児の父であり、2回、育児休業を取得。家事・育児のほか、老父の介護、次男の看護などに取り組み、ワークライフバランスと格闘している。
      コラム「これからの時代のイクメンが考えていくべきこと」もご覧ください。
  • 浜田 敬子
    • 雑誌「AERA」副編集長。2006年に出産。当時朝日新聞社で管理職の女性の出産は初めてのケース。10ヶ月後に復職すると同時に、同じ朝日新聞社に勤める社会部記者(当時)の夫が、入れ替わり3ヶ月の育児休業を取る。 現在は両親に隣に住んでもらい、イクメンの夫に加え、いわゆる『イクジイ』『イクバア』のサポートによりジャーナリストとしての激務をこなしている。
      浜田氏執筆のコラムもご覧ください「非婚化進める結婚損得論」
  • 小室 淑恵
    • 株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長。900余りの企業の働き方を見直すコンサルティングを実施。内閣府仕事と生活の調和連携推進・評価部会委員などを兼任。一児の母。
  • 稲村 和美
    • 兵庫県尼崎市長。兵庫県議会議員のときに出産、鋼材会社を経営する夫と、お互いの仕事やライフスタイルを尊重しながら子育てしている。
  • 廣瀬 香織
    • 滋賀県の子育て情報誌「ピースマム」編集長。第1子を出産後、フリーペーパーのライターの職に就き、徐々にキャリアを築いてきた。
  • 画像:男性にとっての男女共同参画シンポジウム in 滋賀02
渥美:
今日は、アフタヌーンティーパーティーの趣向で、私はボーイになって、おいしいものを出しながら、お題を出す。会場の皆さんが、ぜひこれも話してほしいというテーマがあったら、どんどん投げていただきたいと思っている。 イクメンは、研究テーマの1つでもある。よく見かけるのが、妻の方は家事・育児を6割しかやってないからと何か肩身が狭い。夫は逆に、4割もやってる俺はすごい、と思っている。「あなたの夫ってイクメン・カジダンですごい」と言われる妻はストレスだろうし、夫婦仲が悪くなったりすることもある。当たり前に家事・育児を分担すべきというのが私の基本認識。
浜田:
ニュースがあれば、どこにでも飛んで行くし、毎週の締切前には徹夜して記事を書くという生活を20年以上続けている。副編集長になった2年後に子どもを産んだ。管理職の女性が出産するのは初めてのケースで、会社としてもどう扱ったらいいんだろう、という空気があった。結果的には、6月に出産をし、翌年の4月にまた同じ副編集長のポストで復職した。そのときに、夫が私とスイッチして3ヶ月育休を取った。その後、うちの会社でも男性の育休を取る人が増えて、「どうでした?」と聞かれると「1週間はちょっと短い、1ヵ月は取ってほしい」などとアドバイスしている。
育児の得手不得手は、性差じゃなく、自分が当事者だと思うかどうかだと感じている。例えば子どもが夜泣きしても全く起きなかった夫が、育児休暇中は泣くか泣かないかの瞬間に起きるようになった。その3ヵ月の経験は、今もすごく役立っていて、娘はパパが大好きで、何かあると、ママよりパパの方がいい、となるので、しめしめと思っている。
今は両親に隣に越してきてもらい、母がお迎え、食事、お風呂、寝かしつけなどをしてくれる。イクジイ、イクバアで成り立っている生活。イクバアを休ませるための週1のお迎えは夫の担当。私はほぼ何もやっておらず、イクメンについて毒舌で言える立場でもないが。育児に熱心なAERA読者の皆さまの声を代弁できたらいいと思っている。
小室:
私は現在、企業の働き方見直しのコンサルティングの会社を経営している。長時間労働の企業に入った時に一番感じるのは、1人1人の孤独さ。大変優秀な方々が、極めて孤独に仕事をしている職場、それが今の日本の企業。チーム力で解決できることも、1人1人が長時間働くことで解決しているためロスが多い。8ヵ月間のコンサルを終えると、見違えるようにチーム力が上がっており、以前より格段に幸せそうな状態になっている。個人では時間あたりの生産性が高く、チーム力があり、他者を信じている職場を作りたい。私は出産後3週間で復帰し、起業した。子育てと会社経営を同時にやってきて、今でこそ落ち着いた日々だが、産後3ヵ月のころは大変だった。夫は経済産業省に勤めており、当時の平均帰宅時間は深夜2時。儚い命を1人で見ていることの怖さで、子どもが泣くと私も悲しくなり一緒に泣くという毎日だった。
でもそのとき諦めずに夫と話し合ったことが大切だと感じる。いろいろな解決策が取れるようになり、今は大体1日あたりの家事育児の時間は、私と夫で同じぐらい。朝の家事をはじめ、月に5回以上のお迎えと、月に3日は早く帰ってきて、全員で食事を取る日を作るなど、非常に努力してくれている。
また、子どもが保育園でモテモテ。朝食を作る夫の姿を見ているので、保育園のおままごとでパパの役をやると、率先して朝ご飯を作っている(笑)。バレンタインデーに7個のチョコをもらってきた。このモテ力は、やっぱりイクメンを見て育ったからだと思う。子どもが男の子なので、父親が家にいることで良い影響を受けているという充実感がある。
稲村:
私の夫は、証券会社でOLをやっていたときの会社の先輩。私はその後会社を辞め、兵庫県議会議員になり、議員のときに出産。夫も鋼材屋の家業を継いだ。私が市長選挙に出るとき、夫婦がどちらも替えのきかない仕事をやっていくということで、ほんまにやれるやろうか、とさすがに話し合いをした。私は結構楽天的なので、しんどさをわかり合える夫婦も珍しいんやから、それはそれで前向きに捉えていこうと現在に至っている。議員は実は、非常勤という形式。仕事全体に対する報酬なので、産休とか育休という概念がない仕事だということになる。結局、6月に出産をし、産後2ヶ月から公務に復帰、年明けからは子どもを保育所に預けて、地域活動や自分の活動に全面的に復帰した。
地域の方は普段働いていて、土日に地域の活動をしたり、様々な勉強をしているから、そこに参画していこうとすると、議員や市長はどうしても土日に仕事や活動が入ってしまうということで、私は土日家にいないお母さん。夫は朝5時に起きて、5時半ぐらいには出勤する。夜、子どもと同じぐらいの早い時間に寝るので、お風呂に入れて寝かしつけるのは、夫がやってくれる。私は夜以降は、あまり子どものことを気に掛けずに、自分の仕事をすることができる。お互いのライフスタイルに合わせて自然と役割分担が決まっていった。夫は、今日会場にいらっしゃるイクメンの皆さんとは違って古風なタイプ。自分のことをイクメンだなんて思ったこともないだろうし、そもそもイクメンという言葉を知っているかどうかも怪しい。でも、浜田さんが子育てに性差がないと仰ったとおり、夫もまた非常に子どもの面倒を見るのが得意。子どもは現在すっかりお父さんっ子になった。
夫は家事は一切やらないが、子どもを連れ出してくれたら、私も家を効率良く片付けられる。食事を作るのは私の方が得意なので、家事は私がメインでやって、子どもの世話は、土日はもとより、夜中心に夫がやってくれる。合理的な役割分担ができたため、本人達の自覚がなく、イクメンがここまでうまくいったという、ちょっと珍しいパターン。
廣瀬:
滋賀県で、子育て情報誌「ピースマム」の編集長をしている。働くママを応援するというコンセプトで作った、年4回発行の情報誌。私は結婚前は普通の営業職。結婚して仕事を辞め、1人目の妊娠の時は、悠々とマタニティライフを楽しんでいた。第1子を産んで2~3ヵ月の頃、子どもだけと向き合う毎日を、いつまで過ごすんだろうと思ったとき、自宅でできるような仕事がないかとふと思った。全然業界のことも知らずに、マタニティ雑誌や子育て情報誌を見ていると、記事を書くのはパソコンがあればできるのかな、子育てと両立しながらやったら格好いいな、ぐらいの感じで。
滋賀県にはフリーペーパーがいろいろあり、その中の1 つに、ライター募集が出ていた。動かないと何も変わらないという思いで電話をして、行った会社が、たまたま女性の社長で、子どももいらっしゃる方だった。「やってみたいんやったら、やってみたらいいよ」で、子どもも「まだちっちゃいんやろ、連れてきたらいいよ」と言ってくださった。初めの頃は、自分で取材先を取ってこないと、給料はもらえないという状況。でもあなたならできる、やってみたら、と言われて、まずはここを乗り越えてみようということで始めた。
一時保育を使いながら、徐々に仕事を増やしていき、今度は1 年、定期的に保育園に預けて、自分の仕事も少しずつ広げながら、というペースで今に至る。