第14回男女共同参画基本計画に関する専門調査会議事録

  • 日時: 平成17年 9月9日(金) 13:30~15:30
  • 場所: 内閣府3階特別会議室
  1. 出席者
    岩男 壽美子
    会長
    古橋 源六郎
    会長代理
    石川 哲也
    委員
    鹿嶋 敬
    委員
    神田 道子
    委員
    五條 満義
    委員
    桜井 陽子
    委員
    住田 裕子
    委員
    寺尾 美子
    委員
    林 誠子
    委員
    原 ひろ子
    委員
    古橋 源六郎
    委員
    山口 みつ子
    委員
  2. 議事
    • (1)開会
    • (2)調査検討事項について
    • (3)ヒアリング
      • お茶の水女子大学名誉教授、男女共同参画会議議員 袖井 孝子 氏
      • UNDP(国連開発計画)東京事務所プログラムマネージャー石川 祥子 氏
      • 城西国際大学大学院客員教授、お茶の水女子大学名誉教授 原 ひろ子 委員
    • (4)その他
    • (5)閉会
  3. 議事内容
岩男会長
それでは、大変お待たせいたしました。
 ただいまから、第14回の「男女共同参画基本計画に関する専門調査会」を開催したいと思います。
 まだ遅れてお出でになる方もいらっしゃると思いますけれども、本日はヒアリングでございますので、進めさせていただきたいと思います。
 本日の調査会では、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等について調査検討をいたします。
 御案内のように、先般7月25日に男女共同参画会議で決定された答申「男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本的な方向について」におきまして、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現については、引き続き「男女共同参画基本計画に関する専門調査会」において調査を行うこととする、このようにされております。そのために本調査会において、ジェンダーの表現について、更に調査検討をするということになりました。
 その検討に資するために、本日は3名の講師の方々から、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等について、御専門分野の状況をお話しいただければ、ありがたいと思っております。大変お忙しい中お集まりいただきまして、ありがとうございます。まず講師の方々にお一人20分以内で御説明をいただいた後に、それぞれ10分程度の質疑の時間を取らせていただきたいと思います。
 それでは、まず、お茶の水女子大学名誉教授で男女共同参画会議議員の袖井孝子さんから、一般的なジェンダー概念についてということで、御説明をお願いいたします。どうぞよろしくお願いをいたします。
袖井氏
何か御専門の皆様方に今さらお話をするというのは、とても話しにくいんですが、ジェンダーという言葉が日本でどういう形で入っているのか。あるいはどの程度浸透しているのかという辺りを、特に私は社会学をやっておりますので、その辺の自分の専門領域の関連でお話ししていきたいと思います。
 ジェンダーというのは何かというのを今更議論してもしようがないのかなと思いますので、ジェンダーという言葉の日本への導入ということをまず最初にお話ししたいと思うんですが、一応レジュメに沿ってお話しいたします。
 多分、ジェンダーという言葉が最初に登場したのは、I.イリイチの『ジェンダー 男と女の世界』という本が翻訳されたときではないかと思うんです。これはイリイチさんが大学で講義なさったものを本にまとめたというもので、初版が1982年12月にニューヨークで出ていますが、それから83年に英語版、ドイツ語版などが出て、日本でも比較的早く翻訳が出て、玉野井さんという方が84年に岩波書店から出しております。
 ただ、このときのジェンダーというのは、今、一般的に使われているのと、ちょっとニュアンスが違っておりまして、今はセックスからジェンダーへという形ですが、イリイチさんはむしろジェンダーからセックスへという流れを指摘していらっしゃって「ヴァナキュラーなジェンダーの崩壊による経済を媒介とするセックスへ」というようなことを言っています。要するにヴァナキュラーというのは本来的という意味で、いわゆる近代産業社会とは逆なんです。むしろ伝統的というか本来的というものなんです。
 だから、ジェンダーというのは、彼の定義では、非対称的・両義的な対照的相補性というようなことを言っていまして、男と女は違うのだ、違うけれども、お互いに補い合う。それが本来的な姿だということを言っています。
 ですから、男と女とは物事のとらえ方も違うし話し方も違うということで、近代産業化社会以前の社会では、男と女というのはお互いに補完し合うことによって平等というか、別に差別ではなくて、むしろ産業社会になってから、いわゆる商品経済が導入されてきて、そこで賃労働とシャドーワーク、シャドーワークというのは不払い労働と言われる家事、育児などがそうですけれども、こういう近代産業社会になることによって、女性差別が発生した。これを彼はセクシズムという言葉で表現しているんです。ですから、むしろ彼はそういうものに対するアンチを提言して、経済活動の縮小を示唆した結果、反近代主義という批判を受けました。
 このイリイチさんの考え方は、フェミニストの中ではエコロジカル・フェミニストというような、そういう方たちにかなりアピールしたようです。20年ぐらい前の話なので、私もちょっとよく覚えていませんが、その当時そんなに反響はなかったように思います。シャドーワークはいわゆるアンペイドワーク、むしろそういう言葉の方がジェンダーという言葉よりも関心が高かったように思うんです。
 1つには、講義録をまとめた本なので、とっても読みにくい。ですから、84年に翻訳が出ましたけれども、そんなにジェンダーという言葉がどっと取り入れたというわけではないんです。80年代というのは、いわゆるジェンダー学という言葉は余り使われなくて、女性学とか女性という言葉の方が使われていたと言っていいかと思います。
 社会科学の研究書ですと、多分井上輝子さんの『女性学とその周辺』(勁草書房 1980年)が最も早いのではないかと思います。ウイメンズスタディーズというのをたしか女性学と訳されたのも井上さんではなかったかと思うんです。
 女性学研究会を、私や原先生、神田先生、井上先生などでつくったんですけれども、1980年にシンポジウムを行いまして、これで一番最初に『女性学をつくる』という本を出しまして、その後、講座女性学全4巻を刊行したんです。80年代には、もっぱら女性学と言っておりました。
 この『女性学をつくる』という本はシンポジウムに基づくんですが、このときに女性学とは何かということで議論しました。井上さんなどは、「女性の女性による女性のための学問」ということを言って、原先生はそれに反対なさって、「女性に限定されない、男女問わずだ」とおっしゃいました。その後はどちらかというと原先生の方向をたどっているようです。この80年代というのはまだまだ、「女性の女性による女性のための」というのを強調した方が戦略的には有効ではないかというような雰囲気がございました。この辺はちょっと違っていたら、原先生に後で訂正していただきたいです。
 つまり、80年代にはどちらかと言うと女性学、ウイメンズスタディーズという言葉が使われておりました。
 ジェンダーという言葉が登場するのは80年代の終わりごろからで、比較的早いのは江原さんなどが編者になった『ジェンダーの社会学』。新曜社で89年に出ております。内容的には性差別、性別役割分業、ジェンダー・アイデンティティー、セクシュアリティーとか、ジェンダーと日常生活、政治社会、家族、労働、感性リアリティー。こんなようなことが非常に網羅的に取り上げられておりまして、その後のジェンダー社会学でほとんど取り上げられたテーマがここでカバーされております。
 その後、目黒さんの『ジェンダーの社会学』が94年。上野千鶴子さんの『ジェンダーの社会学』が96年など出ておりますが、比較的、社会学の領域で早くから、このジェンダーという言葉が使われてきております。
 それはなぜかと言うことですけれども、やはり研究者の中に女性が多いということと、私も入っているんですが、家族社会学という領域は女性研究者が3分の2ぐらいを占めているんです。その領域におきましても、かねてより、性別役割分業や家族の在り方に対する批判というのが女性研究者の間に、70年代ごろからずっとあったんです。
 男性中心の性別役割分業の核家族というものが、あるべき家族像であるということに対して、女性研究者がかねてより、それに反対をしておりまして、そういうところからジェンダーという概念が比較的取り入れられやすかったのではないかということです。
 ほかの社会科学分野を網羅的にとらえたのは、原先生編の新生社の『ジェンダー』という本ですけれども、これはいわゆる社会学だけではなくて、政治学や経済学とか、非常に広い範囲で社会科学全体でとらえている意味で画期的だと思います。これは93年6月に開催された、第5回相関社会科学シンポジウムに基づくものです。このときに例えば、石田雄先生がお話しなさって、その後、本に書いていらっしゃるんですが、これは多分、日本の政治学で初めてジェンダーを取り上げたものだと思います。
 日本社会において伝統的に社会科学の王座みたいな経済学、法学、政治学というようなところでは、ジェンダーというものを取り上げたのは非常に遅いです。ですから、どちらかと言うと、社会学、教育社会学、教育学辺りは比較的早かったんです。
 この石田先生が報告なさったときに、ほかの政治学者の反応はどうだったかというと、何か非常に冷笑的というか、物好きだなという、男性の政治学者はそういう感じでした。何でそんなことをやるんだろうというのが一般的な反応でして、余り広く受け入れられたという感じではありませんでした。
 辞典とか辞書類にも「ジェンダー」が登場するのはいつかというと、1990年代でして、幾つかありましたが、代表的なものとして『新社会学辞典』有斐閣、93年とか、政治学辞典の98年というのがありますし、『広辞苑』で91年、第4版に初めて登場する。『新明解国語辞典』三省堂が97年という形で出てきています。ですから、一般的に広がってきたのは90年代ということだと思います。
 80年代のコペンハーゲンの国際女性年中間年から少しずつ変わってきて、特に90年代が大きな動きがあったと思いますけれども、男女平等の達成とか、性別役割分業の撤廃という動きが行政と研究運動共にあり、90年代後半以降というのは学問用語であった1つの分析概念とか、あるいは1つのパースペクティブですが、そういったジェンダーというものが行政や運動にも登場するようになってきて、割に目に付くようになったということです。そして、皆様御存じのように、99年に男女共同参画社会基本法、2000年に基本計画ができたというような動きがございます。
 ですから、ジェンダーという言葉自体が日本社会に登場したのは、それほど古いことではないし、それが広がっていったのは極めて新しいということです。
 最近のジェンダー・バッシングとか、あるいはジェンダーフリー・バッシングというようなことは皆様御存じですけれども、ジェンダーという言葉が男性と女性という二項対立的な構造から、より中立的な穏健な概念に広がってきたということで、最初のころは特に女性学などでもそうでしたけれども、やはり抑圧される女性、差別される女性、あるいは虐げられる女性。いわゆる弱者の視点。それから、権力、いわゆる抑圧者としての男性。支配、被支配。権力を持つ者と持たない者。持てる者、持たざる者というような二項対立的な構造のとらえ方もありましたが、特に80年代、90年代を通じて、より中立的な穏健な概念に変わってきたということです。変わってきているんだということが重要だと思うんです。
 固定的な性差観にとらわれないジェンダーという考え方。より中立的な考え方なんですけれども、性差には敏感な視点であるということで、いわゆる性による差がないということではないんです。
 最後に「男女共同参画社会の実現のために」ということで、この辺がとても難しいんですけれども、例えば、今回のあるグループからのジェンダーという言葉をやめろとか、いろいろな動きがございましたが、その辺のところをどうクリアーしていくかというのが、これから大きな課題だと思うんですが、ジェンダーという用語は学問的にはほぼ定着したと言っていいかと思います。
 いわゆるフェミニストの独占用語ではないということで、ほとんどの学問領域に今使われて、社会学もそうですし、政治学、経済学、それから、医学とか生物学とか、そういうところにも学問的にはジェンダーという言葉は定着してきたと言っていいかと思うんです。
 やはり幾つかの思い込みというのがあるわけです。例えば、このジェンダー概念を使うことによって男女の性差をなくしていくとか、性別を無視していくとか、そういうようなふうに誤解されることがありますが、むしろそうではなくて、性差というものを認めていくというか、それは差別ではないんですけれども、生物学的に性による差があるということを認めていく考え方だと思うんです。
 例えば、性差医療とかいう領域もありまして、いわゆる性別を無視するものではないんです。ですから、ジェンダーというのは、もののとらえ方というか総体的な概念。あるいは認識。物事をどうとらえていくかという分析視角、あるいは認識論だと思うんですけれども、これが実体概念としてとらえられてしまって、男はこう、女はこうとか、男女の差をなくしていくのではないかと言われてきてしまっている。そこら辺のところで概念とか、あるいは用語の使い方が混乱してきていると思います。
 これからジェンダーという概念を見直そうというか、定義を何とかしようということですが、私としてはやはり定義というのはシンプルかつ中立的であるべきだと考えております。ですから、いろんな条件を付けるということはおかしくなるし、ああではない、こうではない、何々ではないというようなことは定義としてはおかしいので、やはり非常にシンプルで、いわゆる社会的、文化的、歴史的につくられた性別でピリオドにしておいた方がいいと思うんです。
 男女共同参画社会を実現する上で、やはりジェンダーという概念は非常に有効だとは思いますけれども、そこでどういうふうにこれを使っていくか。やはりこのジェンダーというものが1つのパースペクティブである。物のとらえ方であって、これが目的ではない。目的は男女共同参画社会の実現であると思っております。
 私からはこの辺で終わらせていただきます。
岩男会長
ありがとうございました。
 それでは、ただいまの御説明について、何か御質問がございましたら、どうぞ御発言いただきたいと思います。
 鹿嶋委員、お願いします。
鹿嶋委員
レジュメの4と5について、ちょっとお聞きしたいんですけれども、ジェンダーの二項対立から中立的概念へというのがいまひとつ理解できなかったんですけれども、先生のおっしゃった、その中立的な概念へというのは、レジュメの5の最後の「シンプルかつ中立的であるべき」ということで一緒で、戦略として中立というふうに持っていくという意味なんでしょうか。それともジェンダーの二項対立概念が基本的に今、変わってきているんでしょうか。
袖井氏
あらゆる性ということを理由にして抑圧される、差別されるということをやめていく。
 ジェンダー階層論とかいうのも最近は余り言わなくなったんです。70年代後半、80年代ぐらいは言う方もいましたけれども。
神田委員
質問というより意見なんですが、女性学に関わってきた人間なものですから、その女性学からジェンダーへというよりも、依然として、私は今も女性学は存在しているし有効だと考えております。
 女性学の性格というのは、整理すると4つぐらいあるかなと思います。1つは、女性の生活経験ということを重視して、それに基づく研究を行うということ。
 基本にやはり性差別、女性問題があって、それを分析・解明すると同時に解決の方向性を出していきたいということの2点。
 3点目は、学問における女性の不可視性を見直す。そして、可視化していく。学問の中で女性がオミットされてきています。学問の内容としてもそうだし、学問をつくる人間としても女性が非常に少なくて、可視化されていなかったということ。
 4番目には、非常に実践性を重視した。この実践性の中心になったのは教育との関連だったわけです。
 そういう形でずっと来まして、そのジェンダーが80年代の末に登場してきたときに、一体それとどういうふうに関係しているのかというと、私は1つは、この女性学が提起した学問の不可視性。学問の見直しということとの関係がジェンダーだったと思います。つまり、この時期になると随分その研究が広がってまいりまして、いろんな学問の中に入っていくわけですけれども、女性学が思っていた女性問題とはとか、女性のためのというのでは、学問の中に広がりが見られなかったんです。
 そこでジェンダーという概念が出てきて、それを契機にして広がった。あるいは広がるということと関連してジェンダーという言葉が使われた。ですから、このジェンダーの登場と女性学が最初に提起した学問の不可視性を前提として学問を見直すという、この延長線上にジェンダーがあったというふうに思います。
 もう一つは、この段階で、実は女性学が非常に強く持っていた、その実践性の部分というのがちょっとあいまいになっている。学問にどんどん広がっていく。
袖井氏
女性学とジェンダー学は多分、後の原先生のところで出てくると思うんですけれども、やはり女性の女性による女性のためのというところだと、やはり男性主体の学問領域に広がっていかなかったのではないかと、私は思っています。
 確かに実践的な面、運動的な面では薄まってきたんですけれども、固陋頑迷な方たちでさえもジェンダーということを最近言うようになってきたということは、本当に日本の伝統的な社会科学というか、男性が中心の学問領域というのは、もしその女性学ということだったら広がらなかったのではないかという気がするんです。
神田委員
だから、実践性というのを、女性学はその教育との関係での実践性という形で広げていって、その部分がジェンダーの中ではジェンダーフリーという形で出てきて、学問における女性の不可視性の問題、見直しの問題は、ある意味では実践性と言ってもいいかもしれないんですけれども、それを広げていったのがジェンダー学だったというふうに思います。
袖井氏
ただ、不可視性ということも社会学などでもよく言われまして、例えば、家族社会学などは主婦の社会学ではないかと言われたんです。女ばかり調査対象にしている。でも、それを逆に言うと、例えば、労働社会学という領域は男ばかりしか調査してこなかったんです。
 だから、そういう総体的なとらえ方ということも、やはりこのジェンダーという概念が入ることによって、より深まってきたと思うんです。
岩男会長
いかがでしょうか。ほかに何か御質問は。
山口委員
伺っていて、自分たちが75年以後にやってきた女性運動とは何なのかなということを今、考えたんです。率直に申しまして、女性学を市民運動的な女性運動の中で余り明確に位置づけられなかった。むしろ性別役割分業だとか男女平等という形で進んできたことは確かです。
岩男会長
今日は全く違う角度からのジェンダーのとらえ方について、お三方に来ていただいておりますので、時間もございますので、次のUNDP東京事務所のプログラムマネージャーをしておられます、石川祥子さんから、国際社会でどういうふうにジェンダー概念が使われているのかということを中心に御説明をお願いしたいと思います。
石川氏
ただいま紹介に預かりました、UNDP東京事務所の石川祥子と申します。よろしくお願いします。
 今日、御依頼があったのは、国際社会におけるジェンダー概念。一般的に使用されている定義と使用状況ということでしたので、まず最初に国際社会で使われているジェンダーの定義ということで、こちらにいらっしゃる委員の先生方は皆さん既によく御存じだろうと思われますが、一般的には生物学的な性差に対して、社会的・文化的につくり上げられた性別をジェンダーと申しております。
 これはUNDPの方で95年に出した、人間開発報告書で取り入れた提言を申し上げたんですが、資料2-2ですが、こちらは岩男先生が5月に共同参画会議の方に御提出なさった資料と同じものを提出させていただいたんですが、そんなにたくさん新しい定義があるというわけでもないので、やはり今まで使われていた定義ということで見てまいりますと、先ほど申し上げましたUNDPの社会的・文化的につくり上げられた性別。これは基本計画の方でも使われております。
 あと、本当にみんな共通することを言っておりまして、それに少し説明を加えたものとして、例えば、WHOで「『Gender』は特定の社会が男性及び女性にふさわしいと考える社会的に構築された役割、態度、行動、属性を指す」ということです。また、その下の方に「Genderの特徴は異なる社会間で大きく異なる」ということが書いてあります。
 あとは同じようなことですが、UNFPA、国連人口基金の方は真ん中の辺りですが、「男性と女性が果たす役割及び人々にかけられる期待全般にわたって、社会間で大きく異なり、時間の経過と共に変化する」というふうに定義しております。
 これらの定義が国際社会の方で普及したのは、やはり95年の北京会議がかなり鍵となっておりました。北京会議の方では、北京宣言の中で、女性のエンパワーメントと地位の向上のためにジェンダーの視点に敏感な政策、施策が不可欠であるというふうに明記されました。
 また、宣言の中で、ジェンダー平等と女性のエンパワーメント、そして地位向上に対するすべての障害を振り払うべく最善を尽くすこと。ジェンダーの視点をすべての政策、施策に反映するために行動綱領を実施することなどが約束されました。
 この宣言は御存じのように、先進国、途上国の別なく、日本も含めて189 か国によって採択された世界的な宣言、国際公約でありまして、これ以降ジェンダーという言葉が専門家だけでなく一般の方々、特に途上国などにも広まったのではないかと思われます。
 この概念の国際的な使用状況ということなんですが、それを示すものとして、北京会議から10年の今年、国連で、北京+10世界閣僚会議というのが開催されまして、それに向けて事務総長がまとめた報告書によりますと、過去10年間の間にほとんどの政府が何かしらの形でジェンダー平等に向けての政策、施策を策定、見直し、改正したということです。
 このジェンダー平等への政策などは、やはり内容はそれぞれ異なりますが、具体的にどういうことがあったのかと言えば、例えば、2004年の末までに81か国が選挙法の改正によって国会に女性の枠を設けて、国会議員に女性の占める割合が99年の12.7%に比べると15.5%になりました。
 労働関係におきまして、ジェンダーに基づく不平等を是正する策として、イギリスを始めヨーロッパの多くの国が保育サービスの充実ですとか、あとは税金の優遇策を導入したりして、子どもを持つ女性が働きやすい環境の整備に努めたと報告されております。
 地域的なレベルで、例えば、EUなどでは欧州委員会で2000年の末に、ジェンダー平等に向けて、欧州共同体レベルでのフレームワーク・ストラテジー、戦略的な枠組みというのを採用しまして、2001年から5年間の間にジェンダー平等達成に必要な社会構造の変革をもたらすために、欧州の共同体レベルで活動目標が5つの分野で掲げられました。
 それらというのは、経済的な活動、政策決定過程への女性の参画の拡大、社会的権利の保障、市民生活、あとはジェンダーによる役割分担やステレオタイプの是正ということでして、このようにEUレベルでこういうストラテジーが組まれたということは、EU内の各国がジェンダー平等に向けての政策づくりをすることの後押しをしたという形になっております。
 EU内では、このほかに法令の整備の進んでおりまして、雇用機会の均等、労働条件や賃金、社会保障、産休の話ですとか、これらをまたEUレベルで法令化することによって、その後に各国レベルでそれぞれの法令の改正を進めるという形でかなり浸透してきている状況でございます。
 次に、では、UNDPでは具体的にどういう形でジェンダー概念への理解の拡大にかかわっているかということを申し上げますと、1995年の人間開発報告書はジェンダーと人間開発ということをテーマとしまして、人間開発をジェンダーの概念を使って掘り下げる試みをしました。
 そのときの報告書のメッセージが、人間開発はジェンダー問題が解決されない限り、危機に瀕するということでした。そのときに新しく導入された2つの指数が、皆様も御存じのように、GDI、Gender Development Index。日本語で申しますと、ジェンダー格差を表すジェンダー開発指数です。
 あとはジェンダー・エンパワーメント・メジャー。これはこのまま訳されていることも多いですが、男性と女性が同等に政治経済の場に参画し、決定に関われるかを測定したものです。
 これらの指標はジェンダーに関する政策提言を行う上で、世界各国で使用されております。人間開発報告書は今年のものが本当につい先日出たばかりで、新聞などでも取り上げられたのでごらんになった方も多いかと思います。残念ながら、日本はランキングが38位から43位に下がってしまったということで、これは女性の国会議員の割合が少し下がってしまったことが影響してしまったようですが、日本の基本計画改正に当たっての基本的な考えの中でもGEMという言葉は使われております。お隣の韓国にしても、ジェンダー平等省がGEMを2010年までに30位以内に上げるということを目標に掲げておりまして、いろいろな場面で国際的に使われております。
 次に、またUNDPに関連していることですが、国連でミレニアム開発目標、MDGと一般的に言われていますが、そのMDGsが2000年に世界の189 か国のリーダーと国連機関の合意を経て、2015年までに達成するための8つの開発目標として定められました。
 その8つの開発目標の中で、ジェンダーに特に注目した目標というのが3番目のところにございます。ジェンダー平等と女性のエンパワーメントを促進するという目標ですが、そのほかにも貧困撲滅の目標ですとか、HIV・エイズの蔓延を防止する目標ですとか、いろいろ目標がございまして、UNDPとしては、それらのほかの目標を達成するためにもジェンダーの視点というのが欠かせないということは常々各国に申し上げております。
 活動といたしましては、UNDPの総裁は国連の事務総長から、MDGの達成のスコアキーパー、監視役というかモニター役という役目を任命されておりますので、そのミレニアム開発目標の進捗状況を各国が報告する報告書の作成を支援しております。
 その一環として、UNDPは2003年と今年、これもつい先日なんですが、それぞれ今まで出てきている報告書をジェンダーの視点から検証するという活動を行いまして、それぞれの8つの目標において、ジェンダーの視点に立ったモニタリングがいかにその後の政策対話、政策決定と予算の配分に重要であるかを勧告しております。
 この他2つばかり、ジェンダーの視点が最近強調されている分野ということで申し上げたいんですが、1つ目はごく簡単にですが「『女性に対する暴力』から『ジェンダーにもとづく暴力』へ」ということで、これは言葉の使い方だけのような気もしますが、女性に対する暴力の根底には、社会的・文化的な女性の位置づけ、つまりジェンダーに基づく不平等があるのだということを明確にした表現がジェンダー・ベースド・バイオレンスでございまして、それを使うことを好む機関が増えてきているようでございます。特にUNFPAやWHOは、ジェンダー・ベースド・バイオレンスという言葉を使って、ジェンダーの視点から対策を講じることの重要性を全面に押し出しております。
 そして、最近注目されてきている分野が、ジェンダーバジェット。ジェンダーに配慮した予算策定と日本語訳をされているようですが、こういう予算というような分野でもジェンダーの視点を取り入れていこうということが言われております。
 これは特に女性のために別の予算を立てようということではござません。国または地方自治体の予算をジェンダーの視点から分析して、その予算がどのように使われて、また予算の財源となる資金がどのように集められているのか。つまり課税制度とか公共料金の徴収の制度とか、そういうものが男性と女性にどのようなインパクトをもたらしているのかを把握しようという活動です。
 これに基づきまして、政府のジェンダー平等へのいろいろな政策やストラテジーといったコミットメントが実際に予算の配分や税制などに結び付いているのかを検証して、ゆがみがある場合には改善を提言する有効なツールとして広がっております。ジェンダーの問題を予算に結び付けることは、一見ジェンダーに中立的に見える予算策定が、女性と男性に異なるインパクトを及ぼし得ることに対する認識を向上させる上で効果的であります。
 これは1つの省庁の予算を取ってみてもいいですし、1つの施策に対する予算を取ってみてもいいです。あとは特定の税金の課税方法を取って分析してみてもいいですし、これらすべてをまとめてジェンダーバジェットと呼んでおります。これらは、途上国ですとUNDPやUNIFEMが力を入れている分野でありまして、開発計画の一環としてジェンダーバジェットという活動を取り入れて、国の予算づくりのときに提言をするのを援助しております。
 現在では世界の50か国以上で、政府主導または民間主導でさまざまな形で実施されておりまして、例えば、フランスでは99年に国会で2000年以降の政府予算案は女性の人権の擁護とジェンダー平等のための財政的な努力と実施計画をまとめた報告書を添付することが定められて、それは今年まで続いております。
 北欧のデンマーク、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンなど、北欧委員会の下で2001年~2005年まで合同のジェンダー平等推進プログラムというを実施しておりまして、その中で2003年に幾つかの分野。教育や福祉とかの分野でジェンダーバジェットが取り入れられました。国レベルでノルウェーは青少年関連の政策を含めた、子ども、そして家族政策ですとか、農業政策の分野にジェンダーバジェットなどを取り入れております。
 これらのことで感じられることは、ジェンダーの政策、開発への浸透というのは進んでおりまして、ジェンダーという概念についての迷いというよりも、むしろ手法としてのジェンダーの主流化というのは実際にどういうことをすることなのかということの議論が多かったのではないかと思われます。
 以上で、私の発表を終わらせていただきます。
岩男会長
ありがとうございました。
 これから質疑応答に移りますけれども、1つ伺いたいんですが、ジェンダーの主流化に対する反発があるという御指摘が最後にございました。御承知のように、日本でジェンダーという概念あるいは用語を使うことに対して、今、批判が出ているということで、こういう検討をするということになっているわけですけれども、例えば、「女性に対する暴力」と言うと、ターゲットは非常に明確になりますけれども、「ジェンダーに基づく暴力」へというと、その問題の原因とか、あるいは対策にしても伝える部分が多い、広がりのある表現だと思うんです。
 ですから、こういう表現をすることによって、問題がもっと的確に伝わるよい例のような気がいたします。しかし、UNDPあるいはそのほかの国際機関でもそういう主流化の問題以前に、ジェンダーの概念そのものを用いることに対する批判とか問題に遭遇されることはないのでしょうか。つまり、ちょっとわかりにくい言葉かもしれない。それを全く問題なくこれまで使ってこられたのか。それともやはりいろいろと途中、問題を解決しながらこられたのか。ちょっとその辺のところを教えてください。
石川氏
ジェンダーという言葉自体が特定の分野にしか該当しないのではないかというような反発と言いますか、そういう難しさはやはりございまして、例えば、少し前でしたら紛争予防とか平和構築とか、そういう場面において、どうしてジェンダーのことを語らなければいけないのか。そういう理解を得るまでの時間は本当に長くかかったと思います。
 それだけでなく、環境と女性の関連ですとか、それぞれの分野でのジェンダーの関連というのをつなげていくというのは本当に時間のかかる仕事であったと思います。今の2005年の時点ではそれぞれの国際機関でジェンダーという言葉を受け入れていないところはないと思います。どこの機関でもジェンダーストラテジーを、それぞれの機関でつくることが事務総長の方から通達されておりますので、そういう形でトップダウンの形ではありますが、そういうところからそれぞれの分野を見直してジェンダーアナリシスをして関連性があるということの理解は深まっていると思います。
 ただ、それがどういう形で実際の援助活動につながるのかというのは、また別の段階の話です。
古橋会長代理
ジェンダーイクオリティーを国連が進められているときにいろいろ困難があるかと思いますが、イスラム圏に対する普及の仕方というのはどういう方向でやっておられるんでしょうか。
石川氏
私はもともと国連の女性のための開発基金の方に勤めておりましたので、そこからの事例を申し上げますと、やはりそこの国に慣れ親しんだ者を基にして、つまりヨルダンの例を取りますと、女性に対する差別撤廃の条約を批准しようかどうしようかという議論に達したときに、そこのイスラム教学者の方ですとか、そういう学者の方を集めて議論をするということをしまして、そのイスラム圏一つをとりましても、やはりいろいろな考えを持っている方がいらっしゃいますので、北京綱領で言っているジェンダーということに近いことをおっしゃっている方の協力を得まして、イスラムという考えの中から、どういうふうにしてイスラム教の方たちの言葉を借りてジェンダーの平等という話ができるだろうかということで、なるべく現地に足の付いた形でジェンダー平等を進めております。
古橋会長代理
そうするとジェンダー平等の推進の方法にはいろいろあるということですね。社会的・文化的差別の中で、その地域によってその程度が違うというふうに考えて、戦略論としてはできる範囲からやっていくということですか。
石川氏
そうですね。あとは例えば、アフガニスタンの例を申しますと、アフガニスタンで憲法の話をしますときに、どういう形でジェンダーを持ってきたらいいだろうかということで、やはり中東からの学者の方をお呼びして、通ずるものがあるところの力を借りてジェンダーの議論をしていくということをしております。
岩男会長
よろしいですか。
 鹿嶋委員どうぞ。
鹿嶋委員
アメリカの事情がわかれば聞きたいんですけれども、EUなどと比べるとアメリカはやはりジェンダーについて、余り熱心ではないような気もするんです。その辺は何かどういうふうなことなのか。
石川氏
UNDPとしては、開発途上国での活動が中心ですので、余りアメリカの中での状況というのは、残念ながら追っていませんけれども、確かに女性のための差別撤廃条約を批准していないということで、アメリカはよく話題になりますが。
寺尾委員
でも、セクシュアル・ハラスメントという法概念があそこの国で生まれたということは大事ですよ。
岩男会長
そのジェンダーという言葉を使わないようにというようなプレッシャー。つまり性差別とかそういう形で使えというようなプレッシャーはないんですか。
石川氏
国連の中でですか。
岩男会長
つまりアメリカなどからの代表から、ジェンダーという言葉を使わないで男女差別と言いなさいというようなプレッシャーはないんですか。
石川氏
ジェンダーの概念自体に対する否定というのはないと思います。国連の中でそういうプレッシャーがかかるよりも、それが意味する活動内容に対するプレッシャー。
岩男会長
ほかに何か御質問がございましたら。あるいはコメントでも。よろしいですか。
 それでは、また後ほど、全体討議の時間が少しございますので、ありがとうございました。
 原委員からのヒアリングに移りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
原委員
資料をごらんください。多数の辞書の中でこの3つを選んだ理由が特にあるわけではないですが、1981年のウェブスターのニュー・インターナショナル・ディクショナリーを見ると、文法的な意味で使われているごく狭い定義のみが出ておりまして、その下の方の「c」のところには「an inflectional form showing membership in such a subclass」というふうになっていて、女性とか男性とかの区分があると書かれております。また、ランダムハウスから1997年に刊行されたウェブスターには、少し下の方に1と2がありまして、2の初めが「sex:the feminine gender 」という使い方があります。つまり、セックスとジェンダーと互換性があるような使い方をしていることが示されています。
 そして、続く「b」に「the societal or behavioral aspects of sexual identity:gender studies 」というふうに書かれています。
 その次の2003年のオックスフォード・ユニバーシティー・プレスのオックスフォード・ディクショナリーは、一番初めが文法的な意味で、その次が「[mass noun ] the property (in nouns and related words)」となって、次の2のところで「the state of being male or female(typically used with reference to social and cultural differences rather than biological ones)」となっています。ここでもやはり男性であるか女性であるかという二分法になっています。しかし現実には、英語の世界で、こういう意味でmale or femaleという区分でジェンダーという言葉が使われていることが非常に多い。
 その下の方にある「USAGE」の欄では、ジェンダーという言葉は、14世紀から主に文法的な女性名詞や男性名詞といった名詞の性や、動詞にする場合などの活用を問題にする時に用いられると述べています。しかし、既に14世紀から男性であるか女性であるかといったような状態を指すときにも使われていましたが、それは余り広く使われていませんでした。そして20世紀中葉になって、ジェンダー研究、ジェンダー学などが言うところの「ジェンダー」という言葉の使い方が復活したといった説明が出ています。「ジェンダー」という語は非常に幅広い意味で使われているのです。
 国連でジェンダー平等とか、ジェンダーイクオリティーという場合には、今のところは人間を男と女に分けて、そこの平等を論ずるという意味で使われています。ですから、国連から出る統計は、ほとんど男と女に人間を分けて、両方の間の格差とかサービスのありようとかが、統計的に見ていかに見えるかという観点から、UNDPのGEMやGDIといったような指標がつくられてきているのです。
 このように、世界中のいろいろな国の状況を比較する際には、人間を男と女に二分して比較して、その上で遂行される、ないしは推進されるべき政策がどういうところにあるかといったようなことを国際比較しながら見ていくことが、現状では基本的に大事なことだと私は思っております。
 次の資料は、日本学術会議の第19期の「ジェンダー学研究連絡委員会」と「21世紀の社会とジェンダー研究連絡委員会」からの報告書についてです。
 「ジェンダー学研究連絡委員会」の委員長は社会学の江原由美子さん。他のメンバーの専攻を申しますと、柏木さんは心理学。佐藤学さんは教育学。長野ひろ子さんは歴史学。嶋津格さんは法律。池内了さんは天文学。高橋清久さんは精神医学です。
 「21世紀の社会とジェンダー研究連絡委員会」というのは、浅倉むつ子さんが労働経済学。辻村みよ子さんが憲法。戒能民江さんが民法。岩井宜子さんが刑法。岡本三夫さんは平和学。土佐弘之さんは国際学。若尾典子さんは家政学。御巫由美子さんが政治学です。こういう方がお入りになっています。
 この第19期というのは、2003年7月から始まっておりまして、210 人の日本学術会議の会員のうち、袖井孝子さんを含めて13人が女性です。
 10ページをまずごらんください。日本学術会議は、女性科学者の研究環境の改善などについて、1977年に第72回総会で「婦人研究者の地位の改善についての要望」を採択して以来、ずっとその積み重ねをしてきています。これは気象学の猿橋勝子さんをサポートする物理学の先生方が中心になってでき上がってきまして、その後、やっと第12期、1981年1月に猿橋勝子さんが初の女性の日本学術会議会員におなりになりました。
 学術会議というところは、今までのところ3年で1期を務めるということになっていまして、現在19期です。私は17期(1997-2000)と18期(2000-2003)に会員をしておりました。
 17期に「女性科学者の環境改善の推進特別委員会」が設置されまして、尾本恵市さんという人類学の方が委員長となられ、2000年に「女性科学者の環境改善の具体的措置について(要望)」と「日本学術会議における男女共同参画の推進について(声明)」が総会に出され承認されました。声明は、2010年までの10年間で10%までに女性会員を増やします、研究連絡委員会委員の女性比率も高めますというものでした。
 このときは、学問研究の場における女性研究者の位置づけとか抱える課題に取り組んでいました。その次の18期になりまして、ジェンダー問題多角的検討特別委員会が設置されました。つまり、ジェンダー問題というのは女性のためだけではございません。男性の研究者のためにもどうあるべきかなど、さまざまな問題を検討した委員会です。この委員会が設置され、男性の研究者の中にもジェンダー問題に関心をお持ちになる方が出てきたというわけです。
 そこで先ほどの資料の『男女共同参画社会 キーワードはジェンダー』というのは、これは18期のジェンダー特委のときにヒアリングをしてまとめられたものです。吉川弘之会長が序文を書いて、それからいろんな方が寄稿しています。
 日本学術会議というところには、人文科学から社会科学、自然科学の基礎、工学、農学、医学、薬学、看護学などあらゆる分野の学問を包括しているという建前があります。でも、会員210 人ではとても日本の学問のすべてをカバーできないんですけれども。
 次に資料の11ページですが、第19期、すなわち袖井孝子さんが入っている期で、第一部に「ジェンダー学研究連絡委員会」ができて、第二部に「21世紀の社会とジェンダー連絡委員会」というのがつくられ、いろいろな活動をしています。
 11ページの(2)「一般に社会政策は、求めるべき社会のイメージ、すなわち『価値理念』を含むものであるために、広い意味での『文化』と抵触することがあり得るかもしれない。しかし、広く『文化』と呼ばれるもののなかには、改革すべき『因習』に近いものから、長く守り伝えていくべき『文化』までが含まれている。社会政策を行うためには、改革すべきものを改革する勇気、守るべきものを守る冷静さ、そしてそれを見分ける英知を持つことが必要であり、そのような勇気・冷静さ・知恵を持ってこそ、日本社会の活力ある繁栄を維持しうる社会改革を行いうるのである」と書いてあります。
 日本学術会議は学者が集まっている組織ですが、象牙の塔の研究者のためだけの学術会議であってはならないというのが、第17期、18期の吉川弘之会長の下での自己改革の流れでございました。社会のための学術、学術のための学術、学術のための社会。つまり学術の発展のために社会はどうあってほしいかということも含めて、社会との間の関連性を直視し、象牙の塔にこもらない形でやっていかなければいけないという精神に立つことになりました。
 そういうことを前提として、この提言がまとめられ、社会に発信するという文書になっているといえます。
 元に戻って、表紙の次の紙ですけれども、要旨のところをごらん下さい。この文書の作成の背景、目的が書いてあります。主に男女平等社会あるいは現代の日本政府の示した価値理念の具体的なイメージであるところの男女共同参画社会の実現という目的に照らしてジェンダー学の意義を明らかにするとともに、ジェンダー学を大学において確立、普及すること。各学問分野におけるジェンダーに敏感な視点に立った研究成果の相互浸透を促進し、ジェンダー学の意義を役割を一層明確にするよう努めることという2点を、大学の教育・研究関係者及び広く国民に提言することを目的としています。
岩男会長
ありがとうございました。
 それでは、ただいまの御説明について、何か御質問がございましたら、どうぞ御発言ください。
 定塚さん、どうぞ。
定塚推進課長
この報告書の5ページのところで、ジェンダー学についてのジェンダー概念とジェンダーに敏感な視点というものが紹介をされているのですが、ここをコメントしていただけないかなと思うのですが、いかがでございましょうか。
原委員
今の推進課長のお話「(1)性差別問題とジェンダー概念」というところですが、ここでは、6ページの上の方に「資料1を参照のこと」となっています。
 6ページの「このジェンダー概念を使用して」という部分ですが、「生物学的性別・性差だけではなく、民族や文化、社会生活上の条件など社会文化的な要因から生じる性別・性差にも十分配慮する『ジェンダーに敏感な視点』が提唱されたことは先述したとおりであるが、以上のようなジェンダー概念の成立の経緯を受けて、『ジェンダーに敏感な視点』とは、特に、性別・性差についての先入見や偏見を排して、出来うる限り多様な視点から柔軟に問題を検討しようとする含意を持つようになっている。この含意ゆえに、『ジェンダーに敏感な視点』に立つジェンダー学は、特に男女平等や男女共同参画に関わるような重要な社会問題について、大きな成果を挙げてきている」ということです。
 この概念としては、今度は5ページに戻りますが、「社会的・文化的な要因が関与している場合でも、安易に生物学的な違いゆえの『区別』とみなしてしまい、政策的な是正の可能性を検討することすらなく、そのまま放置されることが従来多かった。」と。「このような議論に陥りやすい弊害を避けるために、生物学的性別を意味するセックス(sex)以外に、ジェンダー(gender)という語が社会的・文化的な存在としての人間の性別を表わす言葉として使用されるようになり、さらには国連文書等でも使用されるようになった。」ということです。こういうふうにこの文章をおつくりになった2つの研究連絡委員会は、文章として、この先生方が合意なさったということです。
 ここで私の個人的な考えを言うと、先ほど袖井さんが紹介なさいましたように、井上輝子さんとの間での論争と言われている、女性学は、女性による女性のための学問だとおっしゃった井上輝子さんに対して、原ひろ子は、その1978年当時にジェンダーという言葉はありませんでしたから、「女性学は、男女による、人間のための人間に関する学問であります。しかし、従来、女性に対する注目、着目が弱かったから、どちらかというと、女性により着目して研究を進めるのです」と、上智大学でのシンポジウムでは申したわけです。それは、岩男壽美子さんたちがお始めになって、私は後から入った国際女性学会の主張でありました。これは76年ぐらいから設立準備が始まって、78年に正式に発足して、国際会議の第1回東京会議を開催しました。
 そのときにも、「女性だけでする女性学ではございません」というので、初めから男性の会員もいらしたんです。当時、女性学をなさっている方々は、国際女性学会を批判なさいました。つまり、女性学は女性だけで、女性の視点に立って、それをシャープに研ぎ澄まして、世の中のありとあらゆる現象を見るべきだという批判です。そのうちにだんだんと、国際女性学会では具体的なデータを積み重ねなければいけない。だから、理論でやるというよりも実証的なデータを国内で積み重ねるというところで、例えば岩男さんが中心となって、働く母親を持つ子どもたち、つまり、働く母親の問題というのは、労働の分野の方々でなくてもたくさん言っていらっしゃるけれども、働く母親を持つ子どもが一体どう育っているのかということを実証的に調べましょう。その場合には、父子家庭にも着目するし、母子家庭にも着目するし、2人働きのところにも着目する。そのころ、専業主夫の方は余り例がなかったのですが、いろんなタイプの家庭において、特に母親が働いている場合に子どもたちがどういうふうに育っているかということを、保育園とか、幼稚園とか、学校とかで多角的にデータを集めて示していきましょうという研究をしました。また、中小企業の女性たちについての研究プロジェクトにおきましては、女性経営者や女性管理職者、それから中小企業女性従業員だけではなくて、男性の中小企業の経営者の方々をも研究対象にして、必ず対照群に男性の状況を入れて、中小企業全体が抱えている問題と、同じ経営者であっても、男性経営者で、娘さんがおいでの社長さんと、娘さんがいらっしゃらない、息子さんしかいない社長さんで随分見方が違うといったようなことをきめ細かく健闘されました。そのころはトヨタ財団とか日本証券奨学財団とか、非常に限られたところからしか研究費がいただけなかったんです。だんだん最近では文科省の科学研究費も申請できるようになってきましたし、男性の審査員の先生方も、これは大事だといって採択するように世の中は変わってきました。そういうところから始まって、ジェンダーという言葉が定着してきて、さきほど袖井さんが御紹介になったような状況になりました。
 さらに、ジェンダー学という言葉が出るころに、今度は男性学という言葉もできてきまして、日本男性学会というのもあります。
 これは、女性だけが社会的・文化的に規定されて行動しているのか、いや、男性だってそうだよと。そこから来る男性の人生が、人間らしさから阻害されているという部分もあると。これをしっかり言っていこうという方たちがあります。お茶の水女子大で私が修士論文の指導をした女子学生の中に、「男性の視点で父親のことを研究したいんです」という人がいた。そこで、男性学会で毎月1回の京都での研究会に行ったらと助言したのですが、「ここは男性だけで話し合うところで、女性は来てはいけない」と言われたそうです。そこで、男性学の会には混ざらずに、「あなたの立場から父親研究をするしかないか」といっていました。最近は日本ジェンダー学会というのができておりまして、今や男性学の方々も女性を排除しなくなっています。
 でも、ときには、やはり女性だけで集まり、現象をしっかり眺めてみる。それから、ときに男性だけで集まって現象を眺めてみることが重要だと思います。それは何も女性、男性だけでなく、いろいろな状況の人たちが、多様性の共存や共生社会とは申しますけれども、ときにはある種のカテゴリーの人たちが、まず自分たちで突き詰めて、いろいろな状況をしっかり検討して、次に共有の知識として、世の中全体で共有できるようにするといったような作業も、きっと永遠に必要なことだろうと私は思っています。
岩男会長
残りの時間は、どなたに対する御質問でも、あるいは御意見でも結構ですので、御発言をいただきたいと思います。
 どうぞ、寺尾委員。
寺尾委員
皆さんもそうだと思いますが、今起こっている状況を一体どう考えたらいいのかという、今日だけではなくて、ずっとここのところ考えております。ジェンダーという言葉が、言わば言葉狩りに遭っているわけですね。
 これから申し上げることは、ジェンダー学とか、女性学ということを専門にやってこなかった人間の、勝手な理解かもしれません。今、「ジェンダー」という言葉をめぐって起こっている問題は、明治以来の日本における知のあり方や学問と社会の関係、あるいは日本の近代社会の形成のされ方の特徴といった、ちょっと大仰な言い方ですが、いわゆる大局的な見地から、広がりのあるコンテクストの中で、問題をとらえる必要があるのではないかと思っています。
 日本の近代化は、欧米の技術、社会制度、文化等々を、国、あるいは「官」を媒介として効率的に輸入し移植する形で行われました。学問もまた、これに奉仕してきたわけです。トップダウン型の近代化です。このため、政府の文書の中に「ジェンダー」という言葉がなくなると、そうした言葉が狩られると、大学からも狩られ、大学からなくせば、中高の教育からもなくなるだろう…。しかしそれは、本来の学問のあり方から言えばおかしいと思います。本当は、そうした学問のあり方こそ問い直されるべきなのですが。
 この国を挙げての近代化、欧米化の流れは、言葉について言えば、欧米の言葉を輸入し、翻訳し、このごろでは、カタカナ語のまま使用し、新しい考え、制度を移入し、移植してきた。このため、日本人は、舶来言葉に弱く、外来語に弱い。「国民の意識改革」「啓発」といってやってきた。「あなたは『○○』という言葉を知っている?知らないの?遅れてますね…」と。
 人間はやはり急激な変化というのは望みませんから、保守的になる人たちは一定の数どこの社会にもいます。それが宗教とか、伝統的な価値観とか、文化とか、そういうものと結び付いて、変化に対してノーということは、どの世界にでもあることです。しかしそれが、「ジェンダーという言葉を使うな」という形ででて来ている。言葉の採否をめぐって政治的対立が生じているのは、変化を求める側、或いはこれを実現しようとする側が、安易に言葉に頼りすぎたからかもしれません。「知っている」「知らない」、「進んでいる」「遅れている」という心理メカニズムを通じて、いわば言葉を切り札にして、利用しようとした。少なくともこれに反対する人たちはそう感じているのではないでしょうか。理解し、納得して、変わっていくのではなく、切り札的言葉に切られて譲っていかされる。そうしたあり方に対する「ノー」が出ているのだと思います。
 こうした動きに対して、国際社会がこうなんだから日本もそうしろという議論はそれ程説得力を持たないのではないでしょうか。なぜならそれは、「日本は日本だ」という議論なわけですから。
 私が、今の日本社会の不安定要因として感じるのは、若い人たちが抱えている非常に深刻な問題です。従来の私たちの世代の理解ではとても理解できないような認識の問題、人間形成の問題、判断の問題が起きてきている。そうした人々の割合が増えております。効率的近代化のために、長いこと自分で判断するな、自分の意見は言うな、自分で考えるなといって人間を育て、管理してきたツケが、今、回ってきているように思うんです。 さっき階層社会の問題が出ましたけれども、例えば今の日本の社会の不平等化というのは、従来の切り口とは違うところで進行しています。
 こうしたことに対して、知的な営為に携わる人間たちが、ジャーナリストであれ、学問をやる人間であれ、非常に敏感にならないと、この「ジェンダー」をめぐって表面化したような問題は、解決されないように思っています。
 先日男性の美容師さんと話をしていてなるほどと思ったことがあります。美容師という職業は、ほとんど女性ばかりを相手にするお仕事です。そういうお仕事をする男性から話を聞くと、とても勉強になりますね。たまたま『関白宣言』の話になりました。彼は、あれは今ははやらないでしょ、と言う。なぜはやらないか。別にそれは、女性が解放されたというわけではない。今の男の子は、まず最初に、奥さんに働いてもらわないと食べていけないという現実があります。それから、そう言わないと女の子にもてにくいという現実もあります。そういう中で、そういう現実に合わせているだけ、ただわかったふりをしている人はとても怖いんです。
 さっき石川先生が、イスラムの人でも近いことを言っている人がいたら、その人に理解してもらうとおっしゃいましたね。つまり、ジェンダーという概念とか、言葉を知っているより以前に、何がいけないことで、何がいいことで、何がより人間を大事にすることかということを知っていることの方が、「ジェンダー」という言葉を知っているけれど、なぜそうした言葉が必要になったかを理解しようとしない人よりずっといいんです。私はそう思います。
 結局、今、反発している人たちは、自分たちの認識体系が壊れるとか、大きくぐらつくことが非常に不安で嫌なんです。だから、聞きたくない、見たくない。自分に自信がある人は、「見たくない」「聞きたくない」なんて言わないんです。自分の知にチャレンジを受けることを「快い」と感じることができる人間を、どうやって少しでも増やしていけるか。「ジェンダー」という概念、あるいは認識は、それが切り拓いた新たな学問分野の広がりの広大さが示すように、とても大きなインパクトを持った、また奥行きの深いものです。今までの受験教育の中で、覚えろ、覚えろと言われて、勉強が嫌だと思い込んでしまっている人たちに、新しい認識を持つ、本当の意味で勉強するとか、学問するというか、知るということは喜びを伴うことだということを分かってもらえるようにならないと、この問題は本当には解決できないと思います。
岩男会長
住田さん、どうぞ。
住田委員
時間がないので、私は一言だけ申し上げます。
 ここから資料の上の方に書いてありますが、ジェンダーという言葉は、もともと学問上の用語であり、使用しやすく、明快なため、今回広く使用されるようになったものですから、耳慣れず奇異な感じをお持ちの方がいらっしゃるのは不思議ではありません。知らなかったんだけれども、どういう意味なんだろうかと、善意から聞いてくださる方に対してどうするか。
 その一方、こういうジェンダーという言葉が象徴している社会的な事象とか、社会的事実を認めたくない、あると思いたくないという方に対してどうするか、ですね。この場合は、男女共同参画とか、ジェンダーとはどういうことかということを理解していただくということが先決で、ジェンダーの定義を幾ら言ったって、なかなかおわかりいただけない。この2つの方向性があるんだろうと思いました。
 そうしますと、今、ジェンダーという言葉自体、それなりの定義がされ、男女共同参画とともに、そういう意味では至るところに使われて浸透してきて定着しつつある。学問的には成熟した言葉であるということを前提にして、この言葉がどういうことを意味するかということについて考えてくださいという方向で行く方が私は生産的ではないかと思います。セクハラだとか、ストーカーとか、DVとか、別の切り口から言われていたことを、この言葉を持つことによって、社会的な事実について初めて問題意識が出てきたのと同じような部分がジェンダーという言葉にもあると思うんです。
 ですから、余り詳しく定義をして、これを一目で聞いてわかりましたというぐらいだったら、男女差別の問題ですくらいにしてしまった方が、私はかえってわかりがいいのかなという気がいたしました。
岩男会長
ほかに、いかがでしょうか。
 どうぞ。
原田大臣官房審議官
多分、石川さんに御質問する格好になると思うんですけれども、1979年に国連で女子差別撤廃条約が採択されたときに、国連の中でジェンダーという概念は、多分広く扱われなかったと思っているんです。
 その後、最近の女子差別撤廃委員会、我が国に対しても、いわゆる勧告の中でジェンダーの概念をきちんと反映させなさい、考慮しなさいというジェンダー概念が非常に強く打ち出されてきています。
 1979年の女子差別撤廃条約の中に盛り込まれている固定的役割分業の見直しということの意味するところ、そのときにはジェンダー概念は必ずしも国連の中で明確に意識されていなかったんではないかと。しかし、その後、ジェンダーが概念として非常に強く打ち出されてきたと思います。
 ではジェンダー概念は、女子差別撤廃条約が求めている固定的役割分業の見直しとの関係でどう考えるべきなんでしょうか。
石川氏
女性に対する差別の撤廃条約ができました79年の時点で、言葉としてのジェンダーという言葉は使われていなかったんですが、根本的な考えとして、ジェンダーのアプローチというのは、その時点からあったわけです。
 それがやはり、先ほども先生方から申し上げられたように、学問的な分野から実際に開発の実践的な分野の方に導入され、開発だけじゃないですけれども、国連のような実践的な活動をする分野に入ってきた経由というのは、やはり女性のそれぞれ国での活動家の努力があったんであって、でも考え方が決してなかったというわけではないので、フレームワークとしては、ジェンダー平等と不一致なものでは決してないと認識します。
原田大臣官房審議官
もう一つは、固定的役割分担等を見直していくというときに、固定的役割分担という事象そのものは、ジェンダーを持ち出さなくてもあり得ると思うんですけれども、固定的役割分担を見直していくというアプローチをジェンダー概念が、私なんかは非常に有効に作用していると思っているんですが、そこのところのジェンダー概念を考えなくても固定的役割分担さえ見直していければいいんだという理解が通るんでしょうか。
神田委員
ストレートに今の話の答えにならないと思っていますけれども、男女共同参画社会の実現というのは重要であることは明らかなんです。もうそこは外せないんですね。そのときに、やはり研究と実践活動の相互関係ということが、一つの大きな特徴だと思うんです。学問は学問、実践は実践と分離してやるんではなくて、相互に関係し合って、実現していくところに今までにない新しさが私はあると思うんです。ただ、それは直接的になるのか、もう少し距離を置くのか。
 例えばさっき山口さんが、女性運動と女性ワーク、ジェンダーワークは、必ずしも関係しないと言ったんですけれども、私はそう思っていないんです。ジェンダーワーク、女性ワークが、今の性別役割分業ないしは性役割の解明をしたんです。そのことは、私は、ものすごく大きかったと思っているんです。
 だから、やはり分けて、こっちはジェンダーを使う、こっちは違うというやり方ではなくて、何かそこに打開する道を見つけることではないかと私は思っています。
袖井氏
国連はジェンダーイクオリティーという言葉は使っていますか、ジェンダーイクイティーという言葉は余り使っていないですか。
石川氏
余り使っていないですね、イクオリティーですね。
袖井氏
何か、ここ数年、イクイティーというのを使う人も増えるわけですね。公平ということで。
名取男女共同参画局長
皆様、御存じのとおり、公平か公正かというのは、1995年の北京会議のときに大変話題になりまして、イスラム諸国の方がイクイティー(公正)を使いたがったんです。
 それは、どうしてかというと、例えば相続は女児の場合は男児の2分の1、それでもう公正だというわけです。要するに、平等じゃなくてもいいと、公正でいいんだと、だからイクイティーを使いたいと。それで、その議論がかなりありましたんですけれども、やはり1995年のときには、やはりイクオリティー(公平)を使ったということがございまして、大体西側は御案内のとおりイクオリティー(公平)を使っているということがございます。
岩男会長
どうぞ。
原委員
審議官の御質問につながるかとも思いますが、79年の女子差別撤廃条約ではジェンダーという言葉は使われていなくて、94年のカイロ文書には入っているんです。
 その間に、国連の場でジェンダーという言葉がどの種の文書に出てくるんだろうか。つまり、国連の人口・開発会議の第3回準備会議では、すでにジェンダーという言葉は使われていました。しかし、その前とどういうところで使っていたのかを検索しなければいけないと思っています。
岩男会長
その辺、恐縮ですけれども、後ほど何か資料をいただければ、ありがたいと思います。
 もう一つ、ちょっと関連すると思うんですけれども、例えば事務総長が最近のステートメントの中でおっしゃっていることの解釈なんですけれども、つまりこれは改めておっしゃらなければいけないぐらい、ある意味でジェンダーが主流化していない事実を示していると解釈すべきなのか、それともみんなが受け入れて進めていきましょうという雰囲気というか、そういうものが既に醸成されているので、ごく当たり前のこととしておっしゃったのか、その辺りですね。
 つまり、女性関連の人たちは、みんな言っていますと、しかし、国連のメインのところでどうなのかと、そういうことなんです。
石井氏
やはり、そこは強調しなければいけないから、してくださっているというのが正解でありまして、来週から始まりますサミットの成果文書の案も大変女性の活動家の方、皆さん注目しておりまして、一番最初の案というのは何もジェンダーに関すること、女性に関することがなかったということで、やはりいつまでも言い続けることが必要、それが事務総長のレベルからしていただけるということは、大変重要だと考えております。
寺尾委員
国連という組織自身がそうなる構造を持っていることは弁えておく必要があると思います。つまり、どんな小さな国でも一票持っていますね。その構造ですから、その構造ゆえに、弱い者の味方という議論に弱いんです。建前を論じる側から攻められたら、はい、はいと言うんです。でも本当はしなかったりする。国際社会はパワーポリティクスの場ですから。ただ国連でやっているからというだけで動くようではだめだと思います。
岩男会長
どうぞ。
山口委員
今、審議官が言われたけれども、女子差別撤廃条約の79年のときには、私どもが推薦した代表が女子差別撤廃条約の国連の採択に賛成投票を政府代表として入れているんです。
 そのときに帰ってきて翻訳をしたときに、一番インパクトを与えたのは、意識、慣習までを含めて差別をなくすということ。このとき私たちは、本当に強力なバックができたなと思いました。それはある意味では、女性学よりも全然早く、そういう影響、つまり政治的な状況を取り入れるということ。それまで私たちは、役割分担がどんなに根強いか、女性運動をする中で壁に当たっていたけれども、どうしていいかわからない。結局は、法律や制度的に改正するしかないという運動だったんですが、それから後は、やはり意識改革もそういうことに取り組んで、かつ一般的にキャンペーンをしつつやろうという方向になってきたんです。
 ですから、多分ジェンダーという言葉は、もしかしたら使われていなかったかもしれないけれども、やはり相当いろんな国の人たちの中で、共通語としては役割分担が根強いということは、共通の理解になったという議論は、私は当然あると思います。
岩男会長
どうぞ。
林委員
私たちは、運動の中でジェンダーという考え方が出されたことが、非常に進めやすくなったということだけを述べたいんですが、それは女性に対する差別があるということは、ずっと長い歴史の中で感じてきた。だけれども、それは男と女という雄雌性に基づくものなのか、そうではないのかというときに、雄雌性に基づかないものであるということに気づかせてくれたのが、この考え方だったんです。
 でも、それがジェンダーという言葉でなくても、ここのジェンダーとはという言葉でたびたび語られているように、社会的に文化的につくり出された性別という社会的な規範と言うんでしょうか、そういうものだと言われることで、つくられたものであるならば、つくり変えることによって、我々が受けている差別というものをなくすことができるのではないかと、そういう考え方で運動を進めてこられたと思うんです。
 その意味で、今すぐ私はジェンダーという言葉をこういう状況の中で、あえてどうしても使わなければいけないかどうかという問題については、若干戸惑いもありますが、つくられたものなんだということをいかに事例をもってわかってもらうかということに力点を置きながら、差別をなくしていくことを努めていくと。だから、このもののとらえ方については是非とも取り入れていってほしいと思うし、つくられた性別というものは、時代とともに変化するけれども、概念や定義は変わらないという受け止め方を私はしています。
岩男会長
この概念の意味するところは、間違いなく盛り込むというか、ここは動かないという合意は、何回も確認しておりますけれどもできているわけです。
 ですから、表現とか、あるいはどういうふうに現実の政府の政策を進める上で入れていくかといったところについては、まだ今後、それを含めて検討するということですので。
 今日は大変お忙しい中を御説明においでいただきまして、ありがとうございました。
 それでは、本日は、長時間にわたりまして、どうもありがとうございました。これで終了させていただきます。

(以上)