「共同参画」2015年 2月号

「共同参画」2015年 2月号

連載 その2

男女共同参画 全国の現場から(10) 長岡にて
地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員 藻谷 浩介

上越新幹線で、群馬県の高崎駅から新潟県の越後湯沢駅へはわずか25分。だが、冬季の車窓の変化は劇的だ。冬でも陽光燦燦で色彩に満ちた関東平野から、天も地も水墨画のような雪の越後山中へと、別世界に瞬間移動した感じがする。

だが江戸時代には、現在の都道府県に換算してみて一番人口が多かった地域は、東京都ではなく新潟県だった。冬は雪に埋まる新潟の方が、夏の日照はふんだんなのに水不足もなく、秋の実りが豊かだからだ。

そして、この自然条件は今でも変わっていない。新潟県の食料自給率が100%を超えているのに対して、東京都は1%程度。新潟県に水不足という言葉はないが、都民の使う水の過半は、上越国境近くのダム群から送られている。首都圏のJRの電車を動かしているのも、新潟県内の水力発電所からの電気だ。

それなのに、学校卒業を機に新潟から上京する若者はひきもきらない。東京では絶対的に足りない水と食料と自然エネルギーをふんだん持つ新潟に、逆に住みたいと思う東京の若者はいないのか。

12月初旬、重苦しい空模様の新潟県長岡市で、「にいがた移住シンポジウム」に出席した。パネルディスカッションを繰り広げたのは、3人の20代女性。いずれも、新潟県内の山深い集落に選んで住んでいる首都圏出身者だ。どういうきっかけで移住してきて、今何をしているのか。それぞれがPCを使ってビジュアルに自己紹介をし、はつらつと議論する。話のテンポのよさと面白さに、聴衆は引き込まれた。

3人のうち2人は移住先で相手を見つけて結婚しているが、昔でいう「農家のお嫁さん」ではない。地場特産品の商品化のコンサルタント業や、地元情報を発信する出版業など、IT時代の大卒女性らしいソフトな事業を、自ら起業している。うち1人は壇上でこう話していた。「私が移住を決めたのは、東京の職場ではけっして巡りあえなかった真に尊敬できる人、自分が目標に出来る人に出会えたからです」。それは彼女の農業の師匠である70代男性のことで、彼女はその家に何ヶ月も住み込んで修行した後に、同年代の別の男性と結婚して所帯を構えたのだという。そう語る彼女を見る師匠の眼は、まさに孫娘を見る祖父のようだった。

すると、これから東京に進学するという地元の高校生が手を挙げ、「それでも自分たち若者は、退屈な新潟から東京に出て行きたいと思っている。あなたたちは逆に、新潟で退屈はしないのか」と質問した。壇上の3人は口々に「本当においしいものを自分で育てて暮らせる毎日なので、ぜんぜん飽きが来ない」「あなたも都会や海外で暮らしてみて、気が済んだら戻ってくればいいのよ」と答えていた。確かに、長時間残業が常態化した都会の職場の束縛を経験した彼女たちにしてみれば、今のほうがよほど自由に自分の創意を活かせるのだろう。

その晩から、この冬初めての大雪となった。だがこれから数ヶ月続く雪の圧迫が、春の喜びを際立たせ、生命燃え上がる夏を用意することを、彼女たちは知っている。

翌朝戻った東京には確かに白と黒以外の色彩があったけれども、空気は乾いて埃っぽかった。彼女たちの今後に、そして彼女たちに続くさらに若い世代の今後に、大いなる幸のあることを願う。

藻谷浩介 地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員
もたに・こうすけ/地域エコノミスト。日本政策投資銀行を経て現在、(株)日本総合研究所主席研究員。平成合併前3,200市町村をすべて訪問し、地域特性を多面的に把握。地域振興や人口成熟問題に関し精力的に執筆、講演を行う。政府関係の公職を歴任し、現在、男女共同参画会議専門委員。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」「しなやかな日本列島のつくりかた」等がある。