チャレンジ支援推進事業企画委員会 -北村 節子委員-■「くれない族」から「やったげる族」へ もう20年以上も前、「くれない族」という言葉がありました。亭主がかまって「くれない」、子供が言うことを聞いて「くれない」、世の中が私を必要として「くれない」・・・といったニュアンスで、要求は多いのに自分からは動こうとしない既婚女性を揶揄したものだったように思います。雇用均等法成立直前のお話でした。では各種法整備もされた今、それは解決されたんでしょうか? |
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半分ノー。半分イエス。企業社会は人材確保に懸命ですが、それも景気や団塊の動向を見ながら。 女性、特に既婚・子育て後の女性は調整弁の役割を帯びたまま最前線に投入されているように見えます。さて、そんな現実の中、あなたはどんな戦略で人生の後半戦に臨みますか?もちろん、新しく勉強し直して有効な資格を手に入れ、既成の労働市場の正面ドアから入る手もあります。私の知人で、高卒でスチュワーデスを寿退職し、専業主婦時代に通信教育で法学部を出て、司法試験に挑むこと10余年、検事になった女性がいます。そうそう、やはり主婦から猛勉強して公認会計士になった同級生も。しかしこうしたぴかぴかの通行手形はよほどの根性と時間、適性がないとむずかしいですよね。とりあえずパートやアルバイトで就職し、職場で実力を見せて正社員身分や役職を手に入れる方法もあります。中古書籍販売の大手、「ブックオフ」の社長は90年、40代で時給600円のパートで入って社長に登り詰めました。最近は、人口減少に伴い労働力確保のためにパートの正社員化を進める起業が出現しており、パートからの転身も期待できそうです。が、これも本人の実力に加え、それを認め評価する環境があってのことですね。
では、「ごく平凡なお母さんで」「家族や趣味も大事にしたい」けれど、「でもやっぱり世の中で働きたい」欲張り女性はどうしたらいいのでしょう。ここでおすすめしたいのは「とりあえず、手近な公的機関に出向いてみる」ことです。ハローワークでもいい、女性センターでもいい。そこにあるチラシをありったけ持ち帰って隅から隅まで読む。公的機関にビジター用に置いてあるパソコンで、おすすめページをじっくり読む。これは簡単なことですが案外多くの人が見過ごしています。世の中、再チャレンジしたい女性のためのあれこれは、人材確保という時代のニーズもあって実は今、案外多いのです。窓口の人と目が会ったら(会わせて)、「あの〜」と声をかけてみる。目標がそんなに明確な職でなくてもかまいません。あなたのもやもや希望を第三者(できればそうした声を聞く専門窓口の人)に、言葉にして投げてみることです。もちろん、PTAやお稽古ごとで、心許せる仲間がいればそこで語ってもいい。話すことが自分の中で星雲状態だった「なにか」を自分で整理することになります。もう一歩進めて、紙に書く。相談者に見せる。そういうプロセスを経て世に出た女性は少なくありません。
例を挙げましょう。名古屋在住のSさんは典型的な「閉塞主婦」だったといいます。まあ、くれない族だったわけですね。それが地域の女性団体に参加することで転換します。なんで私たちはこんな状況なの?という勉強会から始まり、「仕事するってなに?」という疑問をつきつめ、それを仲間で「言葉化」するうち、とうとう「自分たちでやろう」とNPOを設立。同市の女性センターの運営を請け負う指定管理者になりました。いま、年収300万円と言います。
京都在住のYさんは、近隣の商店がシャッター街になっていくのを残念に思っていました。一方で自分の料理や手作り品を売りたい女性はたくさんいる。それなら、とアイディアを企画書にまとめ、商店街に空き店舗提供をかけあい、両者を取り持ちました。商店街には「活性化になりますよ」、地元メディアには「話題になりますよ」と語りかけ、三方一両得を実現します。おもしろいことに、ここでごく数日ミニ店主を経験した女性たちは、その過程でいくつもの手続きを経験、「本格開業」へと旅立っていきました。つまり、商店街活性化活動は、女性たちの学校でもあったのです。
埼玉県のOさんは、農業男性と結婚、「農家の嫁」の苦労を味わいました。思い切って県の女性海外派遣事業に応募。欧州の農家の暮らしに刺激を受け、「もっと明るい農家経営を」と農業女性のネットワークに加わります。そこで「だらだらしゃべらずに考えを一分間で伝える」などの訓練を受け、「忍従の嫁」から脱出しました。さらに企業提供のIT講座でパソコンを習得。今では自分の畑から携帯経由で全国の契約消費者に作物の写真を送って注文をとる堂々の農業経営者です。
はじめの一歩を踏み出せば、情報や仲間は案外身近にあるかもしれません。世間が「女性のパワーを生かしたい」と言い出している今はいい機会です。また、企業の都合で調整される使われ方と別の形を示す機会でもあります。「くれない族」から、「そんなに私のパワーがほしいならやったげる族」へ。あなたのとにかく第一歩を待っています。
北村節子委員プロフィール
大学卒業後、72年読売新聞社入社。社会部、生活情報部を経て、01年現職の調査研究本部主任研究員に就任。山と旅を愛し、読売新聞ホームページ内の「北村節子の旅スケッチ」では独特のスケッチ画とエッセイを連載中。主な著書に『ピッケルと口紅 女たちの地球山旅』(東京新聞出版局刊)がある。