「共同参画」2015年 1月号

「共同参画」2015年 1月号

連載

男女共同参画 全国の現場から(9) 衆議院選挙に思う
地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員 藻谷 浩介

急発進で始まった衆議院議員選挙が、急停止のように終わった。この稿を書いているのは投票日翌日であり、まだこの時点ではほとんど話題になっていないのが残念なのだが、女性の衆議院議員の数は改選前の39から45へと、15%増えた。女性の活躍推進という政府の大方針が、言行一致で前に進んだことになり、まずは喜ばしい。

とはいえ、改選前の女性議員の比率8.1%は、世界の189ヶ国の下院の比較で162位であり、先進国最低水準だったという(世界の国会議員でつくる「列国議会同盟」(IPU、本部ジュネーブ)が2014年10月に発表した調査結果を基にカウント)。今回これが6議席増えて、比率は9.5%になったのだが、各国比較での順位はそうは上がっていないだろう。ドイツの36.5%に遠く及ばないのはともかく、強固な男社会の面も持っている米国が18.3%、儒教社会の伝統色濃い韓国が15.7%というのだから、未だ二桁にも達していないというのは、残念というよりも恥ずかしいことだ。

問題の根は深い。そもそも日本の有権者の大多数は「性別は意識せず、政見や人柄や所属政党で投票相手を選んでいる」というだろう。政党も「性別は意識せず、見識や実績や選挙民への浸透度で候補者を選んでいる」というに違いない。議席の男女比は極端に偏っているが、日本社会にそこまで極端な男尊女卑意識が残っているわけではない、ということだ。

というわけでやはり、他国と違う日本の問題は、「候補者の予備軍」が圧倒的に男性に偏っているということなのだろう。政治活動にリーダークラスとして参加している層の中に、女性が非常に少ないということである。つまり問題の根は、社長でも自治会長でも諸団体の長でもはたまた企業の幹部でも、およそ○○長や○○役と名のつく立場が、ほとんど男性で占められているという日本の現実の中に、深く降ろされている。

そうであるとすれば、女性議員比率が1割未満であることは仕方ないことなのか。

「歯止めなき子どもの減少こそ、日本の経済や社会の根幹にある大問題である」というのは筆者の年来の主張だが、中高年の男性がほとんどを占める議員や官庁幹部や学者に対処を任せていて、進展が見込まれるものだろうか。子どもを産んだことも産むのを避けたこともない、振っても叩いても自分の体で産む・産まないという決断を迫られる可能性の一切ない男性が、少子化について議論しているのは、素人がプロ野球を見て「俺ならこのコースに投げる」と批評するようなものだ。そんなことだから、「子どもを産まない女に責任がある」というような、「売れないのは買わない客が悪いのだ」というのと同レベルの議論が何度でも蒸し返される。少子化だけではない。消費の不活性も、環境問題も、自ら生活者の視点を強く持つ人間が議論せねば先には進まないのであって、人口の半数強を占める女性が議論の場に少ないことは余りにバランスを欠く。

およそすべての○○長や○○役と名のつく立場に、女性をどんどん増やさねばならない。それぞれの企業や団体の中にある「ガラスの天井」を打ち壊せたとき、国政レベルのそれは雲散霧消していることだろう。その日が早く見たい。

藻谷浩介 地域エコノミスト・(株)日本総合研究所主席研究員
もたに・こうすけ/地域エコノミスト。日本政策投資銀行を経て現在、(株)日本総合研究所主席研究員。平成合併前3,200市町村をすべて訪問し、地域特性を多面的に把握。地域振興や人口成熟問題に関し精力的に執筆、講演を行う。政府関係の公職を歴任し、現在、男女共同参画会議専門委員。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」「しなやかな日本列島のつくりかた」等がある。