女性首長大集合! -地域・子育て・男女共同参画-

京都府与謝郡与謝野町、どこかなと思われるかと思いますが、日本三景の一つ天の橋立、そのお隣の町でございます。3町の加悦・野田川・岩滝の3つの町が合併して与謝野町ができました。この「与謝野」って、どこかで聞いたことがあるなと思われると思いますが、与謝野馨大臣のひいおじいさん、つまり与謝野鉄幹のお父さんの出身地でございます。与謝野さんが出家されまして、そのときにつけられた名前が「与謝野」でございます。地名としては、与謝村、与謝郡というものがございまして、与謝蕪村、あの方もお母さんが与謝野町の出身ということで、そこから名前が来ました。

この町は、名刺にも使っておりますが、丹後ちりめんの里でございます。皆さんの着物の生地をほとんどこの町でつくっております。しかし、御多分に漏れず大変不況という厳しい中、それにましてや着物というそのものが日常生活の中で着られなくなりまして、1千万反織っていたようなのが、もう今では40万反。4%余りにまで縮小してしまいました。この町を支えておりましたのは、ほとんどがそうした織物関係でございましたので、大抵の方は機を織っておられる、特に女性がそれの担い手でございました。今、そういう状況でございますので、女性も含め、日本中でも一番貧乏な町ではないかなと思うんですけれども、そうした中で、私自身、今一生懸命地方自治に長い間携わってきております。

といいますのは、なぜここに立てるのかといいますと、1975年の「国際婦人年」の年に、先ほど、3日前に決心したとかあったんですけど、告示のその日の朝に決心して立候補しまして、当選いたしました。当時は、まだ女性の議員そのものが立候補することすら少なかった時期でしたけれども、下から2番目の成績でしたが、おかげさまで議員にならせていただきました。その年の秋、市川房枝さんが、全国の無所属議員の方に呼びかけをされまして、この東京で会合がございました。そのときに、いろいろな各地域の議員の方々の活躍等々を見させていただいて、これこそ、簡単に立候補して議員になったけれど、大変だなと、そこで改めて気がつくような、そんな状況でしたけれども、1期しまして、2期目は子育てのために辞めました。それから、今度は、1994年、町長選ということで、非常にバブルの時期、大変町の財政が厳しくなっておりましたので、女性ならば財布のひもを締めるだろうということで、町長に立候補して、町長をやらせていただきました。それでしばらく行くかと思いますと、非常に厳しい財政状況だったんですけれども、今度は合併という問題が出まして、先ほど申し上げましたように、3つの町が1つになって、今進めて、与謝野町の町長をやらせていただいて4年たちました。

この3つの町がということで、男女共同参画あるいは少子化対策、これは先ほどから出ておりますけれども、特に小さい町では非常に厳しい状況でございます。少子化をどう進めていくかの中で、医療費を10年ほど前からやり始めております。おかげさまで、住宅施策等も成功して、子どもたちの数は微減におさまっておりますけれども、後期高齢化の中で、そうした老人の方たち、すべての皆さんが元気に過ごしていただけるような、そんなまちづくりを今一生懸命頑張っているところです。

まだまだ話したいことはありますけど、これで終わらせていただきます。