男性にとっての男女共同参画コラム 「父親に贈る言葉」

今回は、若手の男性職員が、普段の生活の中で考えることをご紹介します。退職した父親に対する想いを、メッセージの形に綴りました。

友人と話していて、自分の結婚式の話になりました。色々な話がありましたけど、みんなが一番印象に残っているのは、なんと「新郎父挨拶」だそうです。確かに、厳格で仕事でも家でもお固かった親父が、あんなに家族愛に溢れた「いい話」をするなんて、当時は全く予想できませんでした。しかも笑いまで取りながらです。おかげで、美味しいところをごっそり持って行かれることになっちゃったんですけど。

私が子どもの頃、親父は家ではいつもむすっとしていて、破裂しそうな爆弾みたいだったイメージしかありませんでした。特に平日、親父が帰宅すると、家じゅうが緊張に包まれたものです。しかも、たいがい早く帰ってくるから始末が悪いというわけ。テレビはNHK、音楽は演歌、それ以外は認めません。もちろん漫画も禁止です。学校でテレビや音楽の話題についていけなくて苦労しました。

休日は一緒に野球をしてくれたり、時には遊びに連れて行ってくれたり、それはそれで楽しい面もありましたけど、緊張感と隣り合わせの団欒でした。何しろ専制的で、何をどうするかいちいちうるさいし、いつも命令口調で、ちょっと嫌な顔すると怒るし。そういうところから「優しさ」とかを感じる余裕はなく、どちらかというと人生修行みたいな感じだったと思います。

そんな親父が一線を退いたのは僕が結婚した翌年のことです。それから数か月、まるで別人のようになっていました。全体に柔らかくなり、命令口調がなくなりました。なんでも自分で決めるのではなく、周りの考えを聞くようになりました。可愛げすら感じられるようになったのです。親父にのボケに突っ込みを入れて家族で爆笑、なんてあのころは想像もできませんでしたよ。興味の幅も広がりました。演歌以外の音楽をかけたら顔をしかめていたくせに、僕の妻のお父さんにジャズのコンサートに連れて行ってもらって感動冷めやらず、「お前たちもジャズくらい聞いた方がいいぞ」とか言っている始末です。「誰やねん」って突っ込んであげたくなりましたよ。

でも、今にしてみれば、これが彼の本来の姿だったんでしょうね。僕らが小さかった頃も、本当はこんな感じで家族と接したかったんじゃないかって、近頃は思います。責任感が強い親父のことだから、仕事をする上での緊張感が職場の外でも抜けなかった上に、家でも「一家の長・父親として頑張らなければ」と思っていたんだろうと思います。そんなこんなで、家にいるときも張りつめていたのかもしれませんね。そういえば、あれだけひどかった肩凝りも、今ではすっかり治っちゃったそうじゃないですか。本当に、長い間お疲れ様、と、今ならば言えそうです。もっとも、「父親かくあらねば」なんて考えず、最初から肩の力を抜いてくれればよかったのに、とも思いますけど。

ま、残った人生もまだまだ長そうですし。好きなこともたくさんあるみたいですし、今みたいに楽しんで生きてほしいと思います。
照れくさくて直接言えませんけど、今の親父、悪くないですよ。