第17回男女共同参画基本計画に関する専門調査会議事録

  • 日時: 平成17年10月14日(金) 16:00~18:15
  • 場所: 内閣府3階特別会議室
  1. 出席者
    岩男 壽美子
    会長
    古橋 源六郎
    会長代理
    石川 哲也
    委員
    鹿嶋 敬
    委員
    神田 道子
    委員
    五條 満義
    委員
    寺尾 美子
    委員
    林 誠子
    委員
    原 ひろ子
    委員
    古川 貞二郎
    委員
    山口 みつ子
    委員
  2. 議事
    • (1)開会
    • (2)「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)の表現等について
    • (3)その他
    • (4)閉会
  3. 議事内容
岩男会長
時間になりましたので、ただいまから男女共同参画基本計画に関する専門調査会の第17回会合を開催いたします。委員の皆様大変お忙しいところを御参加いただきましてありがとうございます。
 本日の調査会では、「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)の表現等について調査検討結果を取りまとめに向けて審議を行います。本日が最終回という予定でございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 まず最初に資料について事務局から御説明をお願いいたします。
定塚男女共同参画局推進課長
それでは、本日の資料でございますが、資料1から3は過去の議事録でございます。
 「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)の表現等についての整理」という資料を御覧いただきたいと思います。こちらの資料は、前々回9月14日の会議の際にいただいた各委員の意見等も踏まえまして、取りまとめの案という形で整理をさせていただいたものです。
 表題については、「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)の表現等についての整理」といたしております。
 まず、本年7月25日の答申に書かれた記載についての経過を説明しております。
 次に、I「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)のわかりやすい表現等の例ということで記述をしております。
 まずジェンダーを短い言葉で言いかえる例です。こちらは前々回の議論を踏まえまして3つのものに絞り込んでおります。「社会的性別」(ジェンダー)、「社会的な男女の違い」(ジェンダー)、「社会的に作られた男女の違い」(ジェンダー)でございます。
 次の2は「社会的性別」(ジェンダー)の説明の例でございます。
 次のIIでは、「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)に敏感な視点」のわかりやすい表現等の例という記載にしております。
 「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)に敏感な視点」を言いかえる例ということで挙げております。
  • 「社会的性別」(ジェンダー)の存在を意識した視点
  • 「社会的性別」(ジェンダー)の存在を意識し、性差別や偏見をなくし、個性と能力の発揮を目指す視点(以下「社会的性別」(ジェンダー)の視点)という。)
  • 「社会的性別」(ジェンダー)に基づく差別や固定的役割分担、偏見に敏感な視点(以下「社会的性別」(ジェンダー)の視点」という。)
 です。
 次にこの説明の例でございます。
 生物学的な性別(セックス)だけではなく、「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)が存在することを意識することにより、性差別、個人としての尊厳の侵害及び個人としての能力の発揮の妨げにつながる性別による固定的役割分担及び偏見等は、社会的に作られたものであることに気づくことができる。
 このような物の見方が、「社会的性別」(ジェンダー)の存在を意識した視点」である、といたしております。
 以上が、表現についての言いかえの例、わかりやすい表現の例ということです。
 次に、(参考1)として「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)の考え方についての委員等意見ということで、まず【専門調査会委員意見】ということで、意見をまとめて記載しております。
 それ以下は、ヒアリングを過去2回いたしまして、5人の方から意見を述べていただきました。この有識者意見をまとめたものです。
 次に(参考2)という位置づけでございまして、「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)と男女共同参画社会基本法、基本計画との関係を記載しております。
 説明は以上でございます。
岩男会長
ありがとうございました。それでは、ただいまの御説明につきまして、御意見等がありましたら御発言をいただきたいと思いますが、Iのところで何か御意見があれば御発言をいただきたいと思います。
鹿嶋委員
前回休んだので、前回出てきた意見なのかもしれませんが、「ジェンダー」の短い言いかえの例として3点挙がっていますね。その中の真ん中の「社会的な男女の違い」という訳語、これはどうなのか、いささか疑問に思います。これは男女の役割の違いということまで含めて考えられて、これはどうなんですか。社会的な男女の違いというものを提示することは、逆にこれが採用された場合、いろんな意味で……。
 私はこの中で一番いいのは「社会的性別」だと思うんですね。下の「社会的に作られた男女の違い」であれば、まだセーフかなという感じがするのですが、真ん中の言葉については、やはり問題あるのではないかという感じはします。
岩男会長
そうですね。これはどこから出てきたというと変ですけれども、いつから入っていたのか、私もあまり記憶してないのですが、前回もあったような気がします。ただ、私も同じように気になっていたのですけれども。
定塚推進課長
前回、「社会的な男女の違い」というのを掲載しておりまして、そのときに、「社会的に作られた男女の違い」でもいいのではないかという御発言がありました。
岩男会長
そこは私も記憶があるのですけど、今、問題になっているのは2番目の真ん中の分ですね。これは、今、鹿嶋委員が言われたように、逆にとられるおそれがあるので、むしろ載せない方が私はいいように思っておりますけど。どうぞ、ほかの方の御意見を。
原委員
私も2番目は絶対に示さない方がいいと思っています。3番目の「社会的に作られた男女の違い」を、「社会的に作られた男女の区分」とか、「区別」とか、そうするともっと意識のレベルが出る。違いというと、現象としてそこにあるというふうになってしまうから、3番目だとすると、違いを「区分」とか「区別」とか、そういう言葉で表現していただきたいなと思って、一番いいのは「社会的性別」ということだけにしてしまったらどうかというふうな気がしております。
鹿嶋委員
「区別」もまた議論が出るのではないですか。私は、ここは「社会的に作られた性別」でいいと思うんです。
古橋会長代理
片一方が生物学的性別ですから、「社会的性別」で、一番簡単な方がいいと前から思っているのですけれども。
岩男会長
このなかから1つだけということで、複数挙げられているのだと思うんですけど、そうすると「社会的に作られた性別」ですか。
鹿嶋委員
「社会的に作られた男女の違い」でもぎりぎりセーフだろうと思うのですが、むしろ「性別」の方がよりベターだと思いますけれども。
岩男会長
いかがですか、よろしいですか。ほかに。
山口委員
「社会的性別」の方は、「ジェンダー」を中国語に訳すと、そう言っていたけど、日本語で見ると説明を加えなければだめだなと思うので、「社会的に作られた性別」というならばまだわかる。ただ、問題は、短く短くと言っているので、一体5文字くらいで表せというのか、多少説明が要るのか、そこですよね。
岩男会長
短くと併せて、やさしくという御要望ですので。いずれにしてもこの2番目は削りましょう。ほかに御意見おありでしょうか。
原委員
「『男性に求められる行動』、『女性に求められる行動』を行うようになる。」というところの「求められる」は、「期待される」に換えられないかと思うのですけど。
岩男会長
実は私も事務局にそういうふうに申し上げたのですけど、ここで一応確認をしてということだったものですから、求められるよりも「期待される」方がずっと幅が広くなりますので、「期待される」の方がいいと思うんですね。
 ほかに、ここのところで、どうぞ。
原委員
最後のところなんですけど、「社会的性別」(ジェンダー)、こっちの左側がどうなるかは別にして、「中立的な概念であり」と書いてありますが、私は「価値中立的な概念」だと言いたくなるのです。しかし、「価値中立的」というと、また、ますますわからなくなるという人があるかもしれないから、どうするのかということが1つあります。
 次に「ジェンダー」はそれこそ概念なんですね。概念というのはものを見るときの道具ですよね。分析したりものを見るときの。ものというのは現象です。だから概念と現象を1つの文章で混ぜて言うのは修正が必要だと思います。
岩男会長
そうすると、どういうふうに物の方を直しますか。
原委員
「(ジェンダー)は中立的な概念である。」と文章を切る。
岩男会長
「その見方には」というふうな、「その中には」としないで。
原委員
(ジェンダー)という概念より、「照射されて見えてくる諸現象のうちには」とか。しかし、そう言うとまるで論文を書いているみたいですから、これをすっとわかるような文章に変えていただく必要がある。
 そこのところで、もう一つ、中立的な概念であるということを説明する際、どういうわかりやすい文章にするかの課題が残ります。「社会的性別」(ジェンダー)は中立的な概念である、つまり「ジェンダー」という概念は、人間のあり方、社会のあり方についての善悪の判断を一方的に断定するものではない。中立的というのを説明するとそうなのかなと思ったんだけど、でも長過ぎる。「(注)」でつけられるのか、それともどうするのか。
寺尾委員
言い方の問題なんですが、ここで見直していくことが適当と考えられるものと、その必要がないと考えられるものの2つがあると言って、専門調査会の意見として、こういうことは見直した方がいいし、こういうことは見直しは要らないのだと言っていますよね。言われる側からすると、こちら側が見直すべきものと見直さなくてよいものを決めて、それを押しつけているというふうな感じを受けるかもしれないと思います。私たちが言いたいことは、1つには、ジェンダーという社会的な性別があるということをみんな気がつきましょうと。それが個人の能力などを開発していく上で障害にならないようにするようにしましょうと。それについてみんなで考える、考える道具としてこういうものを提示しているんですよというだけであるというのが私の理解です。ですから、そういう2つを踏まえた上で、皆さんどう思われますか、普通に考えたら、そんなところへ行くはずないですね、と言えばいいのであって、それは専門委員会として見直す必要がないというのは、かえって、誤解を生むような気がするんです。
岩男会長
私もその点にはかねがね引っかかってはいたのですけれども、恐らく実際に、そういうところから問題としていろいろと批判をされるという事実を踏まえて、こういうふうに言っておかないといけない、そういうことではないかと私は理解したんですね。
原委員
「中立的な概念である」で切ってしまって……。
岩男会長
切ってしまっておいて、もし入れるとすれば、寺尾委員が今言われた場所で入れるかどうかをもう一遍検討すると、そういうふうにしたらいかがでしょうか。
古橋会長代理
ジェンダーは中立的な、価値中立的とおっしゃるけど、「価値判断について中立的な概念であり」と言ったらわかるんじゃないですか。そして、この概念を利用することによって、世の中の事象の中には、見直ししていくことが適当と考えられるものと、その必要がないものとがあるということが判断、見分けがつくとか、判断されるとか、要するにジェンダーそのものは概念であって、そのものの中には見直しをするなんていう概念はないんですね。
原委員
ないです。
古橋会長代理
今まで私の考えていたのは、「ジェンダー概念の考え方の導入によって」というか「活用によって」とか、そういうようなことだと思うんですけど。それを原先生、うまく言ってくださいよ。
寺尾委員
私、今、文章考えたのですけれども、先ほどの原委員のおっしゃられた「中立的な概念である」で切って、その後「この概念についての社会の理解が進んだからといって、社会的な男女の区別をすべてなくそうということになるわけではない」とか、「そういうことになるわけではない」とか、それは言わない方がいいですか。社会的な区別はよくないでしょうか。
岩男会長
どうでしょうね。
寺尾委員
結局大事なことは、こういう社会的な性別があるのだということを、その概念、あるいはその道具性について、こういう道具なんですよという道具の存在と使い方を、皆さんにお教えして、その道具を使って、皆さんがどういう区別を残して、どういう区別は残すのをやめるかというのは、それは民主主義ですから、皆さんでお決め下さいということなんだと思うんですね。
鹿嶋委員
私はこの文章を読んでジェンダーについてやっと理解したと思うのであれば、むしろわからないのは「中立的な概念」という、そっちの言葉の方であって、むしろ「その中には、見直していくことが適当と考えられるものと、その必要はないものと考えられるものとの両方が含まれる」とあった方が随分わかりやすいですよ。これを取ってしまうと、初めてという人はわからないですよ。むしろ逆にこの言葉があった方がわかりやすいんじゃないですか。だから、ジェンダーよくわからないという人に読んでもらうには、中立的な概念をむしろ入れられた方が。そうでないと、なんだいこれは、となってしまいます。これをもうちょっとかみ砕かないと。
古橋会長代理
道具と考えるか、社会的な存在そのものと考えるか、そこのところなんですよ。
鹿嶋委員
私は、さっき原先生が言われた、むしろ道具なんだというふうな、そういう表現の方がピンときますけれども。
原委員
だから、ものを見る道具とした場合には、見直していくことが適当と考えられるもの、ものは現象だから、ここをどうやって……。
岩男会長
考えられる対象ですよね、道具を使うその対象。
鹿嶋委員
そういう対象に言葉かえて、こっちの言葉はあった方が、見直していく必要がある対象、あるいは必要がないと考える対象、あった方がわかりやすいですよ。ジェンダーを全否定しているのではないとかね。だから、このレポートを書く趣旨からすれば、これはつけた方がいいのではないですか。
原委員
そうすると文章はどうなりますか。
鹿嶋委員
中立的な概念をどう表現するかで、あとはその中には見直していくことが適当と考えられるもの、あるいは対象というふうにしていけばいいのではないですか。中立的な概念はね……。
神田委員
見直していくことが何とかの観点から必要なのですよね。個人が能力を発揮するとか、そういう観点から。
鹿嶋委員
そうですね。
寺尾委員
男女共同参画社会の形成のために……。
神田委員
適当と考えられるものということにして、方向をちゃんと。
鹿嶋委員
そうですね。そういうのをちょっと入れた方がいいですね。
岩男会長
それを一言入れておいた方が、その中には男女共同参画社会形成に向けて見直していくことが適当と考えられる対象とその必要がないと考えられるもの、あるいは対象との両方が含まれる。
鹿嶋委員
あるいは男女共同参画の前文のところからの言葉をとって、個性と、能力を発揮するとかありましたね。
神田委員
個性と能力を発揮する上で。
岩男会長
中立的な概念というところは私はこのままで残した方がいいのではないかという気がしているのですけれども、どうですか。ほかに。
古橋会長代理
原先生の「もの」というところだけ「対象」とすれば、対象というのを価値判断の対象ということにすれば、論理的で間違ってはいないということになると思いますが、いかがでしょうか。
原委員
今、神田委員、鹿嶋委員がおっしゃったように、基本法の文言の中から……。
神田委員
「個性と能力を発揮する上で見直していくことが適当と考えられる対象」と。
原委員
というふうに入れた方がいいか、そこをちょっとやめておくかというのがまだもう一段階、判断があるかなと思います。
岩男会長
入れた方がいうことに反対の方いらっしゃいますか。私はむしろ入れた方がはっきりすると理解しましたけれども。
寺尾委員
前文で対応するところの文章は、「男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い」、ここは入れなくてもいいかもしれませんが、「性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画の実現は」という文章になっています。今は前文の部分でございます。
定塚推進課長
今の議論は、ジェンダーの存在を意識した視点の説明の例の中に、これを意識することによる性差別、尊厳の侵害、能力の発揮の妨げにつながる性別による固定的役割分担及び偏見等はということで、ここでは性差別とか、個人としての尊厳の侵害とか、個人としての能力の発揮というこの3つを取り上げているのですけれども、それとの関連でどういうふうにするかということも併せて整理していただくとありがたいのですが。
鹿嶋委員
それであれば、私は、「男女共同参画社会の形成を推進する上で」とか、そっちの言葉を持ってきた方が。
岩男会長
「形成に向け」でいいのではないかしら。
古橋会長代理
「個人の能力の発揮」だけでなくて、個人の尊厳の確立の中にもジェンダーという考え方が必要なんですよね。だから、「男女共同参画社会の形成の促進の観点から」とした方が、全体が入るから、私はその方がいいと思います。
岩男会長
そうですね。では、そのようにしましょう。よろしいでしょうか。
 1つだけ、まだ結論が出てないと思いますのは、1ページの真ん中の例は抜けたわけですけれども、「社会的に作られた男女の違い」というのをそのまま残していいかどうかという、そこで、さっき御異論がありましたけれども。
古橋会長代理
あとは政府に任せたらどうですか。「違い」としておいて、政府はいろいろあった方がいいんでしょう。
定塚推進課長
2つか3つくらいは。
古橋会長代理
「性別」にしたっていいですよ、あと、政府がいろんなこと考えて言われて。「社会的に作られた性別」というふうにしたって、それはいいし、「違い」ということで通るならそれでいいし。
定塚推進課長
では、また、検討させていただいて、会長代理とも御相談させていただきます。
岩男会長
お任せということで。
 これはひっかかる方がおかしいと言われればそれで引き下がりますので結構ですが、1ページのIの1の「基本的には適切なものであると考える」、この「基本的には」というのは必要なんですか。
古橋会長代理
要らないかもしれませんね、確かに。
岩男会長
基本的でないもので問題があるかと言われると私は困るのではないかというふうに心配をして、むしろない方が問題は少なくないかと思ったんですけど。
古橋会長代理
それは例外を認めない方が。
定塚推進課長
「基本的には」は、次の行以下に言いかえをするということがあるので入れてあるのですが、削除した方がいいということであれば、削除ということで。
岩男会長
それでは、次のIIから3ページにかけて、何か御意見が。
古橋会長代理
「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)に敏感な視点」というのは、基本計画の1箇所でしか使われてないんですね。22ページの1カ所、あと、ほかのところでも言い直さなければいけないようなところありますか。
頼本男女共同参画局企画官
現行計画では、ほかのところでも、例えば教育分野の第10分野の高等教育機関のところで、「ジェンダーに敏感な視点が組み込まれるように」とか、ほかでも使っている部分はございます。
定塚推進課長
答申の方では「ジェンダーの視点」という言葉はかなりたくさん出ています。
古橋会長代理
答申で「ジェンダーに敏感な」は入ってなくて、「ジェンダーの視点」というのはありますか。
定塚推進課長
「敏感な」は、第2分野だけでございまして、ほかの分野で「ジェンダーの視点」という言葉は国際分野を中心に。
古橋会長代理
「ジェンダーの視点」と言ったら、「社会的な性別の視点」ということで読まれちゃうんじゃないですか。「ジェンダーに敏感な視点」というのは、ちょっと調べておいていただけますか。
定塚推進課長
例えば、答申のODAの部分で、GADイニシアティブで「ジェンダーの視点」ということを使っているものですから、そこのGADイニシアティブの内容を引用しているような部分とか。
古橋会長代理
それは「ジェンダーに敏感な視点」という、この文章で読みかえるんですか。もしそこが「ジェンダーの敏感な」と書いてなくても、この文章で読みかえるんですか。
定塚推進課長
そう考えております。
古橋会長代理
それでは「社会的・文化的に形成されたジェンダーに敏感な視点」あるいは、また「社会的・文化的に形成されたジェンダーの視点」を言いかえる場合と、こういうふうに書かないといけないんですね、正確に言えば。例だからあれだけれども、そこのところをちょっとよく整理して下さい。私はODAやなんかで書いたときは、ジェンダーの視点というのは、ジェンダーの存在の視点と、こういう意味で、自分では考えてつくったつもりだったんですけれども、「敏感な視点」でも、それはさらにいいんですけれども、「敏感な視点」というと、3番目のところに、存在を意識した視点だけではなくて、固定的役割分担などが入ってきているものだから。
原委員
2ページの一番下のところですか。
岩男会長
ここでは実際に行動するというところまでは入ってないのですけど、後の方で入ってきて、そこは問題だと思うんですね。見直しをするというような、ですから、それは取らないといけないと思いますけど、この段階では、恐らく3番目を問題にされているのだと思うんですけれども。
古橋会長代理
存在の視点と、敏感な視点と両方……「社会的性別の存在を意識した視点」というのは何ページでしょうか。
定塚推進課長
「存在を意識した視点」というのは基本計画にありませんで、ここで初めて「敏感な視点」の言いかえという形で「存在を意識した視点」という。
岩男会長
私、ちょっと今間違えて、恐らく2番目の「・」のところがむしろ問題なのではないんでしょうか、3番目よりも。
古橋会長代理
性差別や偏見をなくしとかね。
岩男会長
なくしとか、何々を目指すという、ここまで入ると、さっき中立的というふうにしたのにもかかわらず、ちょっと矛盾してきますから、この2番目の問題で、むしろ入れない方がいいのではないか、どうでしょう。
石川委員
「ジェンダーを意識した視点」というのを、意識というのを「ジェンダーの存在に気づくという視点」という言い方の方がわかりやすいのではないかなという気がするんですけれども。「意識した視点」、何か言葉的に……
岩男会長
「ジェンダーの存在を意識した視点」ですよね。
石川委員
「ジェンダーの存在に気づくという視点」、おかしいですか。
古橋会長代理
「気づく」というと、よそから言われてはっと気がついたということになって受け身になる。「意識」というと、主体的なことがかなり出て、よいと思います。「気づく」というと。
岩男会長
そうですか、そこまで。「気づく」は、先生、主体的にも気づくことありますよ。
古橋会長代理
そうですか。気づくという感じですよね、言葉の重さ。
石川委員
はい。
古橋会長代理
存在の意識というよりも、私は常に存在を認識したというような、逆に強めに言った方がいいような気がするんだけれども、そこのところはお任せします。皆さんの御意見に。
原委員
2ページの下の方のことと、3ページの説明の例のことと関連するのですけど、よろしいでしょうか。
岩男会長
どうぞ。
原委員
3ページの「・」ですが、生物学的な性別(セックス)だけではなく、「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)が存在することを意識することにより、性差別、個人としての尊厳の侵害及び……と、確かにそのことを男女共同参画では主張するわけです、参画の視点に立てばですね。だけど、ジェンダーの視点を持てば、人間社会の悪いことばっかりが目についてくるみたいになるから、ここで「中立的」というさっきのそれとの関連で言うと、そういうことにももちろん気がつくのだけど、特に文学の分析をしている方なんかだったら、あれがいいとか、これが悪いとか言わずに、そこで作品の味わい方が深まる。それは同時に、何も文学作品ではなくて、現実に今私たちの人間社会のありのままの姿に関する味わい方も深まるということがあると思うんですね。
 だけど、そういうことを書くと、また唐突なのかどうかわからないのですが、文章にすれば、それに気づくこともできると同時に、人間存在全体の味わい深さがより深く気づくことができると言えるのかなとか、いろいろ考えてみましたが、ちっとも名案は見つからないんです。そういう観点に立つと、2ページの下の方にある「・」、一番上は中立的な概念だと言っていることと矛盾しないわけです。だけど、2番目も3番目も矛盾するなと。何かもっと別の言い方、でも言いかえるのもこれで十分なのではないかなとか、でも例とすれば、2つか3つ挙げなければいけないのかなとか、いろいろと考えたんですけど。
岩男会長
最初の方、人間の悪いことにいろいろ気づき、何か暗くなるみたいなお話、だけれども、そういう問題点に気づいて、問題を解決していくことによって、明るいよい社会をつくろうというわけですから、どうでしょう。
原委員
そうなんです。このことだけではない、少なくとも私個人は、この「ジェンダー」という概念に出会ったおかげで、本当に世の中の見え方が違って、ヒンズー教の女神と男の神様の現象なんかを見るときも、ただ、これは女神なんだって、と言ってそれでおしまいだったのが、ヒンズー教の世界の複雑な様相が見えるようになりました。これは、長くなるからやめますけど、インド人の人たちと会話するとき、おかげさまで私は助かっているんです。
岩男会長
それをもし簡潔に、だれにでもわかるように、共有できるような形でおっしゃるとどういうふうに。
原委員
それで今も困っているわけです。
岩男会長
2ページの方は説明の例なんですね。
原委員
3ページのところも説明の例でしょうか。
岩男会長
2ページではない、3ページが説明の例になっております。
古橋会長代理
3ページは説明の例でしょう。2ページのところは、「『「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)に敏感な視点』を言いかえる例とすれば、以下のような例が考えられる」としておって、「社会的性別」(ジェンダー)の存在を意識した視点、言いかえるのでなくて。
 言いかえるというのは、簡単にするのでなくて、わかりやすく言いかえると、こういう意味ですか、これは。
岩男会長
わかりやすい表現等の例として挙げてあるわけですね。
古橋会長代理
簡単にするのではなくてね。
岩男会長
ええ。
定塚推進課長
敏感なというのは、これがあるから敏感過ぎて、いろんなことまでジェンダー、ひな祭りとか、そういうことまで敏感になってしまうのではないかとの御批判がありまして、そうした観点から、わかりやすく言いかえる例というのをお願いしたいと思っております。
石川委員
3ページの2の文章を見てみますと、構成が、意識して、最後に気づくことができるということがジェンダーの存在を意識した視点であるという言い方をしているわけですよね。そうするとジェンダーに敏感な視点、敏感というのを意識するところまでをこういうのか、気づく段階までを敏感というのを指しているのかというと、文章でいくと、これは意識までしか指していませんよということになりますよね、この説明文見たら。
岩男会長
私は「意識」と「気づく」はほとんど同じだと思っていたんですけれども。
古橋会長代理
私は「気づく」の方が弱いように思っていたんだけど。
石川委員
こういうことに気づくことであると書いてあるので。
岩男会長
順番があるとは……。
石川委員
段階的に書いてあるんですね、これ。
定塚推進課長
性差別、偏見をなくし、個性と能力の発揮を目指すとか、そのあたりの固定的役割分担、偏見等は、社会的に作られたものであることに気づくことができる。その部分は確かに目的なんですね。だから、ジェンダーの視点を使うことの目的は何かということまでここで書き込んでいます。
 そういう意味で、ジェンダー自体は中立なんですけれども、「ジェンダーの視点」という言葉を使った、あるいは「ジェンダーの存在を意識した視点」という言葉を使った場合に、どういうことを目的としているのかということまで含めて書いた方がわかりやすいのではないかと考えております。
寺尾委員
2の方の「社会的性別」(ジェンダー)の存在を意識した視点」というかぎ括弧のこの表現はどこから出てきたんですか。この前の2ページから出てきたと理解してよろしいわけですね。
定塚推進課長
はい。仮置きでそれを使った場合、説明の例を書いた。
寺尾委員
そうすると、1で何か説明をして、その説明を受けて2で説明するという構造になっているわけですね。
古橋会長代理
だから、さらに「社会的性別」の存在を意識した視点について説明をすればということなんでしょう。
岩男会長
丁寧な説明をすればということなんです。
定塚推進課長
そうですね。
鹿嶋委員
逆に言うと、ますますわかりにくくなってきたんですよね。敏感な視点が存在になってくると、さらにその説明が要るんでしょう。
原委員
結局鈍感になっちゃう。
岩男会長
恐らく一般の方は「敏感な視点」と言われたときにピンとこないのではないかと思うんですけれども。
鹿嶋委員
私は気づくとか、そっちの方がそれはわかりやすい。
岩男会長
私はそういうふうに思って。
山口委員
通常それを使っていますよ。センシティブという言葉ではわからない。
鹿嶋委員
気づきですから、それが大事だと思うので、そっちの方が、わかりやすいという意味では、存在よりは気づきとかそっちの方がわかりやすい。
古橋会長代理
社会的性別に気づく、存在に気づくのではなくて。
岩男会長
存在に気づくわけです。
古橋会長代理
そうじゃないと困る。
鹿嶋委員
そうですね、存在に気づく。
岩男会長
よろしいですか。
鹿嶋委員
それと関係ない話なんですが、ジェンダーを社会的性別とすれば、「セックスも生物学的な」の「な」を取ってしまって、漢字5文字にして、ジェンダーとセックスの明快なものは、生物学的性別……生物「学」が入るんですか、生物的性別……。
原委員
生物的性別といったら、「絶対所与」と見られがちなんですよね。しかし、それは現在の生物学において性別に分類されることを示しています。
鹿嶋委員
「な」を取って統一した方が。
原委員
「学」は必要ではないかと思いますけど。
鹿嶋委員
生物的性別と社会的性別ね。
林委員
いろいろ段階を追って、1番目に出したことを2番目でもう一回説明したりという、そういう構造になっていると思いますけれども、3ページのところの2は、説明を読むと、簡単に言えば、社会的につくったものだから、私たちはそれを意識すれば、つくり直すことができるのだというふうに考えていこうということなんですよね。存在を意識したと難しく言えば、そのようになっているのですが、私流に言うならば、つくられたものなのだから、つくりかえることもできるのだというふうにしてかえていきましょうということだと。
岩男会長
それが実は4ページの下のところに、「社会的につくられたものであり、見直しが可能であることに気づくことができる」となっているのですが、今まさに御指摘の、全部社会的な制約なりその他を解体しようとしているという、こういう御批判が最もきついところなんですね。ですから4ページの「見直しが可能であ」というところまでも取らないと私はいけないと思っているんですね。ですから結果としては、気づいて、ただ、ぼうっと気づいていればいいということではなくて、気づけば何かをする。男女共同参画社会の形成に向けてアクションがとられるということを期待はしているわけですけれども。
林委員
どうしてもかえてくださいという趣旨ではありませんので、結構です。つくりかえることができるということは、すべてを解体するとかということとは全く違うことなんですよね。私などは現場の人たちにわかるように説明をするときに、そういう言葉を使いながら、それで具体的には何なのかと。それは自分自身が生きようとすることや、個性を活かしていこうとすることを阻害する場合には、社会的につくられたものであれば、よくないものはつくりかえることができるという発想ができますねという提案をしながら理解を深めていっているものですから、単純な言葉を使って言っています。だからといって、その言葉がここにそのまま当てはまるというふうに提案をしようとしているわけではないです。
古川委員
私は意識が遅れているのかもわかりませんが、素朴に感じますのは、まず、1のところの「中立的な概念」というのがわかりにくいですね。何から中立、中立というのは、存在そのこと自体が中立だということなのかもしれないけれども、何から中立なのかという、それが非常にわかりにくいことが1つと。
 2番目のところで例を3つ書いてあるんですけれども、「『社会的・文化的に形成された性別』(ジェンダー)に敏感な視点」、これの言いかえる例として、これは私は、「存在に気づく視点」とでもいいし、「意識した視点」でもいいと思うんですが、3つも書いてあるけど、3つも書く必要はないのではないか。3番目にきて、その説明をまたしているわけですね。ですから私は2は「気づく視点」か、「存在を意識した視点」か、それは議論がちょっとあるかもわかりませんが、それだけにして、3番目にこの説明する。この3番目の説明が私はわかりにくい。
原委員
3番目というのは3ページの。
古川委員
3ページです。「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)が存在することを意識することにより、性差別、個人としての尊厳の侵害及び個人としての能力の発揮の妨げにつながる性別による固定的役割分担及び偏見」とありますが、「個人としての尊厳の侵害及び個人としての能力の発揮の妨げにつながる性別による固定的役割」、この修飾語はどこに係るんですか。ここで言っているのは「性差別、固定的役割分担及び偏見等」ということを言いたいわけでしょう。
岩男会長
そうです。
古川委員
なぜ疑問に思うかというと、「能力の発揮の妨げにつながる性別による」、とか「個人としての尊厳の侵害」とかというのは、最初に書いている「性差別」とか「偏見」も同じことなんでしょう。「固定的役割」のところだけ説明がくどくどあるのですけれども、これは全体も同じじゃないですか。何か文章が、私は、素人なりに整理すると、中立的な概念が、何が中立か、もうちょっとわかりやすく言うことが必要だということと、それは2ページのIのほう。
 IIの方は、3つ「・」があるのですが、上の1つでいいのではないか。「存在を意識した視点」というのか、「存在に気づく視点」というのか、そういうことでいい。
岩男会長
「中立的な」というところは議論を改めてすることにして、どういう表現にした方がいいかというようなことも含めて、今のIIの方は、今3つ挙がっておりますけれども、これは1つにして、それを3ページの括弧の中で使う。それの説明という形にする。それから、修飾語がたくさんついているのは、これは基本法の前文をここへそのまま使ったものですから、かぎ括弧もなしで使っているので、大変……。
古川委員
それは「固定的役割分担」に対する修飾語ですか。
定塚推進課長
3ページの2の説明の例なんでけれども、まず、ジェンダーから出てくる最終的な現象として、性差別と個人としての尊厳の侵害と、個人としての能力の発揮の妨げ、この3つがあると。この3つは基本法の3条に3つ並べられたものでございます。この3つは現象なんですけれども、それの現象につながっているのが意識レベルのもので、「性別による固定的役割分担」、「意識」と入れてありませんが、固定的な役割分担意識と偏見といった意識レベルのイメージといいますか、そういうもの、そういうものは「社会的に作られたものであることに気づくことができる」と書いておりますが。
岩男会長
文章が長過ぎる。
古橋会長代理
性差別、存在を意識しているんでしょう。存在することを意識することによって……意識のことを言っているんだよね。そして性差別、個人としての能力の発揮の妨げになるものが社会的に作られたということであるならば、差別による固定的役割分担及び偏見等はという……そこが入っちゃうと、偏見と役割分担というのは意識、偏見等というのは意識でしょう。意識だけのことをここでは言いたいということになっちゃうんですか。そうでなくて差別そのものも問題なんでしょう。
定塚推進課長
そうですね。例えば、そういう意味では我々がとらえているのは現象と意識とが二段階あるのでこう書き分けたつもりなのですが、そこまで厳密に考えなくても、代表選手として、「性差別、固定的役割分担、偏見等」くらいで、「等」をつけておけば、それでもいいのかなと。
古橋会長代理
後の方を取るわけですか。
定塚推進課長
はい。
神田委員
1つ質問なんですけど、「ジェンダーに敏感な視点」のほかに「ジェンダーの視点」というのがありますよね、計画の中に。両方ともここに含めていくということですか。
岩男会長
その方がいいですね。
神田委員
一番目の上の「存在に気づく視点」、あるいは「意識した視点」の場合には目的が入らないから、これを使う場合には、3ページのこの説明が重要なんですね。そして、2ページの後ろの2つの「・」は、両方ミックスしたような言葉として使おうとしているということなんですね。
岩男会長
下の2つは、ですから上の「・」にとどめて。
神田委員
一番上ので入れて、そして説明として3ページのものを。
岩男会長
そこに入れると。いろんな背景がこの中に込められているものですから、それでいろいろかえってわかりにくく。
古橋会長代理
2ページの下の2つは取りますか。
神田委員
2ページの下の方で通るなら通していいと思っているんですけれども、だけど、わかりにくければ、上の1で言って、中の説明に入れていくというやり方。
山口委員
今のところで入れていくとややこしくなる。
原委員
どっちにすればよいのでしょうか。
岩男会長
さっきの古川委員が御指摘になった3ページの方は、古橋委員がまた御異論があるかもしれませんけれども、さっき事務局で言ったように、後の方の「固定的役割分担及び偏見等」と入っていますから、こっちだけを活かすというふうにしたらいかがでしょう。
古橋会長代理
それは結構ですよ。
岩男会長
「性差別」も入れていいと思うんです。
神田委員
「性差別」は入れなければ。
岩男会長
「性差別、性別による固定的役割分担及び偏見等は」と。
鹿嶋委員
「偏見等は」か「偏見等が」か、どっちだろう……。これを読んですっとわかるには、「生物学的性別」を取っちゃうことですね。「社会的性別(ジェンダー)が存在することを意識することによって」とやれば、頭へすっと入ってきますね。「生物学性別」とやるとくどくなる。
 「意識することによって性差別、性別による固定的役割分担及び偏見等が社会的に作られたものであることに気づくことができる」と。
古橋会長代理
これは2として書くんですね。前の方の1は。
鹿嶋委員
そうですね。
林委員
今、「等は」というのを「が」に置きかえられましたね。
鹿嶋委員
どっちでもいいんです。
林委員
「は」の方が、私は理解しやすい。
鹿嶋委員
わかりました。
岩男会長
「このような見方が」、もの……。
古橋会長代理
「このようなもの」は要らない。
岩男会長
「ものの」は要らないですね。「このような見方が、ジェンダーの存在を意識した……」。
定塚推進課長
「存在を意識した視点」と、「存在に気づく視点」とどちらがよろしいのでございましょうか。
岩男会長
私は「気づく」の方がいいように思いますけど、どうでしょう、どちらでもそんなにこだわらないですけど、ほかの方で、特にこだわる方がいらしたら。
鹿嶋委員
わかりやすいのは「気づく」の方がわかりやすいですよね。
定塚推進課長
わかりました。
石川委員
しかも2の説明文が「気づくことができる」というところで終わっていますから、ここまで来ていますから、「気づく」の方がいいのではないか。
定塚推進課長
この説明文の2行目は、「存在することを」、ここは「意識する」でよろしいのですか。
岩男会長
「気づくことにより」
古橋会長代理
意識のところは全部「気づく」に直すのだったら、統一しなければ。
名取局長
「気づく」は2回出てきていますけど。
石川委員
意識して気づくでいいんじゃないですか。
岩男会長
意識でもいいんじゃないか。
古橋会長代理
意識して、後で気づくんですか。気づいた後で、意識するんだと。
石川委員
意識していると気づく、意識してないと気づかない。
古橋会長代理
それは問題意識を持ったときに気づくのであって、そうじゃない場合だってあるんですよね。
寺尾委員
トイレ、公衆浴場のことなんですが、これを書くと、こんなばかなことをここで議論したのかということにもなりかねないので、ちょっと注意した方がよろしいかと思います。文章をかえて、なお、一部にはジェンダーに敏感な視点を導入すると、トイレや公衆浴場も男女の別がなくなるようなひどい誤解をしている例があるけど、とんでもないという書き方をすれば、それなら別に構いません。なお書きで書くなら。
岩男会長
それをきちんと説明をした上で使うのだったら使う。この議論はおしまいになるような形で、ここへ書き込むのだったら書き込んでということだろうと思うんですね。
山口委員
事例があまりよくないですよね。
鹿嶋委員
ここは、「男女別のトイレや公衆浴場に関し誤解を招く議論もあるが」と、そういうふうに入れれば客観性が出るんじゃないですか。「誤解を招く議論もあるようだが」か、あるいは「あるが」と、それは「合理的区別であり見直すものでない」とすれば。
古川委員
それも「例えば」ぐらい入れていただきたい。「例えば……」と。
岩男会長
ここは、今のいろんな御意見を踏まえて、御苦労さまですけど、案をつくっていただいて。
寺尾委員
ひな人形とか、鯉のぼりとか、ネクタイ、スカートというところ、これだってジェンダーに関係ないことはないですよね、学問的に見た場合には。
原委員
だから、それをいけないと見るかどうかは。
寺尾委員
それはみんなで決めればいいことなんだけれど……。
原委員
もしかしたら、みんなで決めなくてもいいことかもしれないですよ。
寺尾委員
すみません、言い方が悪くて。私が「みんな」といったのは、政府が押しつけるのではなく、それぞれの個人が自分の判断で考え行動すればと言う意味で、「みんな」というのは、「政府でなく」ぐらいの意味です。こちらがそれをいい、悪いとして押しつけようとしているわけではないということですよね。ネクタイ、スカートといったドレスコードの問題はたしかにジェンダーと深く関係していますし、ひな人形、鯉のぼりなど、文化もそうですが、それを公側が一方的に否定しようとしているわけではないと言えばいいのではないかと私は思うんですが。
原委員
ここは「見直す必要がないと考えられ」と、ここの文章ではなっているわけです。しかし、これをここで言及するかどうかはまた別の問題ではないでしょうか。
岩男会長
例として、こういうものが適切かどうか疑問があると私は思うんですけれども、ほかの方の御意見、どうぞ。
神田委員
現実に女の人がネクタイしたりいろいろやっているわけですよね。
山口委員
この事例が適切でない。
神田委員
現実に変化してきておりますから、今度は女の人がネクタイした服装していることがおかしいことになっちゃうとまずいですよ。
寺尾委員
見直す主体なんですけど、政府としてやるべきことは、男女共同参画社会をつくるということとの関係で必要なことなのであり、それに限られるんですね。政府がこういうことまで何か口出していこうと受けとられているとしたら、それが問題だと思います。報道の自由との関係が出てきた議論と同じ問題があるように思うのです。私的に決められていいことに口を出そうとしていると、誤解されているのではないでしょうか。「これは別にみんなで決めれば」と私が申し上げたのはそういう意味なんでありまして、自然な淘汰に任せればいいことですよね、服装の自由をみんなが行使すればいいわけですから。政府が管理すべきことではないですよね。
古橋会長代理
だけど、鯉のぼりとか何かというのは入れたっていいんじゃないの。
寺尾委員
でも、見直す必要がないと言うと、そもそもまるで文化政策にまで口を出そうとしていたとかえって誤解されるのでは……。
古橋会長代理
関与するものではない。
寺尾委員
私はそれは政府がするべきことではないと思うんですね。だから見直す必要がないと言うと、まるでそうする権限があるのに、それをするわけではないと言っているように聞こえるので、私はそれが嫌だと思うんです。
山口委員
ひな祭りなんていうのは、ジェンダーじゃなくて経済的な活動なんですよ。そこの人たちの影響があるんですよ。そういったことは、我々は議論した結果、結論として、そういう細かい文化的なことを言うんじゃないというようなことを一番最後に強調する方がいいんじゃないですか。
岩男会長
私たちは別に背広の話とか、スカートの話なんて全く議論してないんですから、議論したというふうに書くのもちょっと問題じゃないですか。
寺尾委員
結局これは、『基本のき』とか以来の話ですよね。それで、私はすごく大事なポイントとして、ジェンダーということ、さっき認識の道具を用いて認識できることの対象でもあるという話が出ましたけど、ジェンダーという認識道具を使うということは、男女共同参画社会の形成には必要なことです。しかしジェンダーという考え方を使って認知できるようになったものを、全部変えようというわけではないし、全部変えることが男女共同参画社会の形成に必要なわけではないですよね。
 ですから、ひな祭りなんかの例を使ってパンフレットを作ったときには、ジェンダーの存在というものに気づいてほしいためにやっただけであって、あそこを変えろと言ったわけではないというところをきちんと押さえる必要があると思います。
岩男会長
そうですね。ですから見直しが可能だ云々というような文言は誤解されやすい。
定塚推進課長
その上の「○」、上の「○」についても、政府がかかわれるようなものが多いかと思うんですが、そこはどのように。
岩男会長
「男性は外で働き」というところですか。
定塚推進課長
ええ。
寺尾委員
今、税制改革も社会保障制度改革もやっているところじゃないですか、2番目の「○」ですよね。
定塚推進課長
つまり社会制度とか、政策に関連する部分は国がかかわると思うんですけれども、ここで言っているのは、固定的役割分担とか、偏見ということで、制度だけではなくて、人々の慣行とか意識の部分に踏み込んだようなものとも読めますので。
岩男会長
2番目の「○」はいいんじゃないんでしょうか。
古橋会長代理
事務局の考えを弁護すれば、これは専門調査会の意見ではなくて、専門調査会の委員の中でこういう意見があったということで考えているんでしょう。だから、ここで議論があれば、もう少し抽象的に書けば、それはいいんじゃないか。さっき言ったような服装の問題とか、そういうものは、この男女共同参画で、特に個人の選択の問題だから、政府が関与するものではないということで、こういうふうに具体的に書くのか、具体的に書くことがどうしても必要だというなら、書いておいてもらいたいというなら、また、今後の検討課題としてはどうでしょうか。
鹿嶋委員
見直す方向は、専門調査会の委員の意見なら具体的に書いた方がいいんじゃないですか。そこを抽象的なレベルにしたら、何を言っているかわからないですからね。
寺尾委員
前回、ちゃんと書いていく方向で決まったとおっしゃるのは、誤解されている部分を是正するようにきちんと説明するという、そういうことだったのではないでしょうか。しかし見直す必要がある、ないというこの書き方だと何かここに決定権限があって、それを前提に議論しているように聞こえるので、私が問題にしているのは書き方の問題なんです。
原田大臣官房審議官
まず、2ページの、ちょっと戻って恐縮ですけれども、上のパラグラフの中の下から2行目のところに、要はジェンダー、先ほど中立的な概念というのがありましたけれども、この中に、見直しということが適当と考えられるものと、その必要はないものと考えられるもの、この2つがあるよというのはまずジェンダーの定義で言いますね。その上で、先ほどの4ページに戻っていただいて、見直していくことが適当であるものというものについて、どういう例が具体的にあるのかという具体のイメージを示す必要があると我々は判断しているんですね。
 普通のジェンダーでどんなものがあるのだということまで、説明を求められると。そのときにどこまで言えるのでしょうかという話です。
古橋会長代理
「ジェンダー」のうち「男女の服装に関する違いは」としたらどうなんですか。
岩男会長
全く同じことを、今、御提案しようと思っていたんですけど、冒頭に「男性は背広にネクタイ」が出てくるから、ちょっと、随分……。
鹿嶋委員
「見直す必要がない」という言葉自体がおかしいのかもしれないですね。それぞれの判断に委ねるとかね。
古橋会長代理
男女共同参画が関与するものではないというふうにすれば。
鹿嶋委員
方向性があるものはきちんと見直す必要があると出していいと思うんですが、見直す必要がないという表現は「それぞれの判断に委ねられるべきものである」とか、そういうふうな表現に持っていった方がいいのかもしれません。「見直す必要がない」というと議論が出てしまうかもしれない。
寺尾委員
私も文章を考えてみたんですけど、「私的選択に任せることが適切な事柄にまで政府が関与しようとするものではない」とか、そういう表現はいかがでしょうか。
鹿嶋委員
政府の関与まで言う必要はないのではないか。
岩男会長
範疇の対象ではないということですね。
原委員
それと、ひな祭りとか鯉のぼりのところも、年中行事とか、そういうふうにしておけば。
岩男会長
そうですね、中立的な表現に。
古橋会長代理
年中行事の中で悪いものはないですね。
原委員
あるか、ないかは、それぞれ家とかなんかで判断しているということじゃないでしょうか。例えば、ある地域では、一人娘だったんだけど、喪主は一人娘はなれないので、お亡くなりになったお父さんの弟さんが喪主になった。そして、お位牌、写真を持つというときの葬式行列にも、全然娘さんや孫娘は参加できなくて、その地域の遠縁のおじさんとかいとこかがみんなその役目をやったと。それに関して、その娘さんは非常に悲しみ、怒っているというのがあるんですね。いろんな例があるから、それはそれぞれのところでそれぞれが議論することですよね。
岩男会長
今の原委員が言われた、「年中行事」という言葉に後半の部分は置きかえるという。
神田委員
服装や年中行事などは……。
古橋会長代理
ひな祭りということまでは……。そこまで男女共同参画は関与するものではないということがいいんじゃないですか。
岩男会長
そうですね。
林委員
「社会的・文化的に形成された慣習・慣行を全て否定するものではない」ということは残しますよね。これは残すんですね。
岩男会長
残すんですか。私は「全て否定するものではない」という表現はちょっと問題ではないかなというふうに心配したんですけど。
林委員
「見直す必要はないと考えられ」という、「見直す必要はない」というここを変えるという趣旨かと思ってお聞きしているんですけど。
岩男会長
「男女共同参画は関与するものではない」というふうに直そうという御提案ですよね、今。
林委員
そしたら,後ろも全部「社会的・文化的」云々と「否定するものではない」も全部消しちゃうわけですか。
岩男会長
そこは私は消した方がいいと思っています。
原委員
それぞれの判断に任せるべきことであるとか、そういう表現になるということで理解していいですか。
定塚推進課長
そうしますと、上の「○」は、下の「○」がそういう表現になりますと、男女共同参画が関与するものであると。また、個々人の判断に委ねるべき事項ではないということでよろしいわけですか。
 2番目の「○」と3番目の「○」は対比で書いていますので、2番目の「○」は見直していく方向と考えられる。
古橋会長代理
それは見直すでいいんじゃないですか。
定塚推進課長
ということは、3番目の「○」で、今言われたような表現にするということは、2番目の「○」が、男女共同参画が関与するものであると。
岩男会長
そういうことです。それは参画社会の形成に妨げになるものだからですよね。
定塚推進課長
方向ではないということでよろしいんですよね。
岩男会長
ええ。
原委員
さて、小さい文言の話ですけど、一番上の「○」ですが、「ジェンダー」の中には、見直していくことが、先ほどからジェンダーは概念だと言っているときに、「見直していくことが適当と考えられるものと、その必要はないと考えられるものとがある」。
岩男会長
「見直していくことが適当と考えられると」ですか。
古橋会長代理
ジェンダー概念の導入によって見直していくことが適当のものと、考えられるものがあると。
岩男会長
対象と……。
鹿嶋委員
「その必要はない」に係るわけでしょう、ここの文章は。
岩男会長
関与する必要のないものがあると。
古橋会長代理
「ジェンダー概念の導入により」かな。
寺尾委員
「『ジェンダー』の中には」の後に、「男女共同参画社会の形成の妨げとなるために見直していくことが適当と考えられるものと、その必要がないと考えられるものがある」ぐらいのことを書いた方が。
古橋会長代理
男女共同参画の推進の視点から見直していくものとね。
岩男会長
ええ。
寺尾委員
さっき主体は書かない方がいいとおっしゃった点についてですが、私はこれ以上、異は唱えません。ただ、はっきりしておきたいことは、私たちもここに委員として来てここで議論しているとき、政府が政策としてやるべきことについて議論しているわけです。まず、案を、あるいは意見を出しているのであって、それ以上のものではないわけだし、そのためにやっているわけですよね。またジェンダーの話をするときに、ひな祭りなんかの話をするのは、それはジェンダーというものが存在しますねという話をするためにしているのであって、政府としてそれにまで口を出そうということで議論の題材にするわけではない。そこのところをはっきりさせておく必要があるし、その点は大事かと思います。
 言い換えれば公私の区別ということです。公と私の区別であって、公的な主体が公的な責任においてすべきことと、私的な選択に任せるべきことときちんと分けた上で、何をすべきかということを考えていく。ただそうしたことをする過程でジェンダーというものがあるということに気がつくことが大事なんですね。それは公私の生活の中にみんな行き渡っていますから、私の生活の話も出るわけです。文化の話も出てくるわけですけれど、しかし、こういうひな祭りや何とかかんとかというのを、政府が決めてやめましょうとかということをしようとしているわけではないわけですね、全く。
古橋会長代理
さっき言った関与することはないでいいんじゃないですか。
岩男会長
関与する必要はないというふうに言いましたから。
寺尾委員
男女共同参画社会がというか、男女共同参画が関与するものでもないという言い方が、主語がはっきりしないなと私は思います。
岩男会長
国民の責務というのも入れているわけですから。
寺尾委員
学者が自分の研究として関係あるという研究をすることは全然構わないですね。
古橋会長代理
それは構わない。
寺尾委員
それは私的な営みですからあり得ると思うんです。
岩男会長
もちろんそれをしちゃいけないなんていうことをここで……。
寺尾委員
そういうものはジェンダーと関係ないということを言い切ってしまうことに、私が抵抗を覚えるのもそういうことなんです。さっきの見直さなくてもいいというふうに、ここで言い切ってしまっていましたから。それはやめたからいいんですけれど。
原委員
今のような文章に後ろの方もなっていくとすれば、先ほど私が申して、岩男会長が、何か文章考えてとおっしゃったところの話も論じなくてよくなると、そうなれば。
岩男会長
そうですね。
原委員
おのずと、そこは私は救われます。インドの女神とかといったくだりのところはですね。
岩男会長
ほかのところで。
林委員
5ページの「○」の中にあります「・」の4つ目についての表現なんですが、これは、このような形で意見が出されたのであれば、これをかえるというのもおかしいことかもしれませんが、若干、私がここで違和感を感じましたのは、「男性が家族を養う責任を負うべきであるという考え方について」というこのくだりなんですけれども、「男性のみが家族を経済的に養う責任を負うことが、実際上困難になりつつあることもあり」云々とうくだりがあるんですね。ここは、確かに男性だけで経済的な責任を負うことは困難になっている事実はあるけれども、このように書いてしまうと、女性が働くということ、その権利という問題が若干見えなくなってしまって、もし、男性が家族を経済的に養う責任が実際に困難でない場合であれば、このような考え方にならないのかなというふうにちょっと思えてしまうので、何か工夫がほしいなと。働く権利というのが男女に存在するという、その権利の観点から見るというのがちょっとほしい気が私はしました。
岩男会長
あるいは働く権利というか、要するに能力を発揮する機会の問題というふうに言ってもいいのではないかと思うんですけれども。
林委員
ここのところで、このままになってしまうと、男女共同参画社会を基本法で規定していて、「男女が対等な社会の構成員である」というふうに、その対等な構成員であるというのは何かということで、あらゆる分野の機会の確保があり、均等な利益の享受があり、ともに責任を担うということがあって、この3つ目だけが出てきて、1つ目、2つ目にかかわる、働くということの権利といいましょうか、チャンスであり、利益を享受するという、この部分について見えにくくなり過ぎるのではないか、そんな感じがして、若干違和感を感じております。
古橋会長代理
どうするんですか。男性のみが家族を養う責任を負うべきであるという考え方については、全ての者は勤労の権利があるということのみならず、というのを1つ入れればいいんですか、おっしゃっていることは。
林委員
実際上の困難ということも否定はできませんから。
古橋会長代理
実際上の困難は経済的な問題ですけれども、もっと基本的な問題点として、その一言入れれば、その問題は片づくということでよろしいですか。後の方は、今の社会経済情勢の変化に応じた問題なんですね。今おっしゃったことは、個人の尊厳なり、個人能力の発揮という点からの権利の問題なんですけれども、権利の問題を、私ども決して否定するわけではありませんけれども、それを書かないと、これが否定されるということ、だから心配だとお考えならば、その一言それを入れれば、それで終わると思うんですけれども。
林委員
今言われたところで、どういうふうに変えればいいかという点なんですが、最初の1行のところが、男性が家族を養う責任を負うべきであるという考え方について、一番下の行につながってきているんですね。そうなっているので、ここのところは取ってしまって、かわりに、ここのところに、「女性が働く」というのか、働くということが違和感があれば、「能力の発揮」とかいう言葉を使ってもいいと思うんですけれども、女性の十分な能力発揮の観点や市場……こうこう、こうなっていることも考え、このような考え方が出てきていると、こういうふうに入れるか、最初のところを少し取ってしまう方がいいような気がするんですね。
岩男会長
それと最後の結論の部分で、考えが出てきているという程度でどうでしょうか。ちょっと違うんじゃないかしら。
古橋会長代理
家庭も出てきているんですね。
林委員
考え方だけでなくて、実態がもう……。
原委員
ここの「・」があるのは、このページの一番上の「○」の、「ジェンダー」の考え方に基づいて、実際にどんなことが出てきて、今後も何が期待されるか、つまり「ジェンダー」という言葉を使うことによって世の中がどうよくなるかということをここに例示として入れているということなわけですね。
岩男会長
ええ。
原委員
その場合に,でも、一番上の起業家、科学者云々とか、今の林委員がおっしゃっているところとか、これは「男女平等」という言葉を使っただけで済んじゃうじゃないかと。何も「ジェンダー」という言葉をわざわざ使わないでもいいんじゃないの、と言われることについてはいかがなんでしょうか。
古橋会長代理
それは形式的な平等ではだめで、実質的な平等をということだからということでいいんじゃないですか。そういうことで反論すれば。だから、ジェンダーということを導入することによって、いわゆる形式的な男女平等じゃだめなんだよということで説明できないんでしょうか。まとめていかないと、時間の関係がありますので、4つ目のところの「・」は、「男は仕事、女は家庭といった固定的役割分担意識という考え方については」と直してもいいんですか。そういうことで納得されますか、それとももっと権利のことを言わなくてはいけませんか。個人能力の発揮の点から問題であるばかりではなく、という考え方が浸透してきたと。
林委員
私は、働くことということか、あらゆる分野での能力発揮ということでもいいですが、どちらの方が差し障りはないのか、その辺は事務局の方に考えていただいていいと思うんです。
古橋会長代理
要するに、これはメリットが出てきたことを言わなくちゃいけないわけでしょう。だから、そういうことが実際に意識が浸透してきたということを言わなくちゃいけないです、1つは。それから、実態が出てきたということも言わなくちゃいけないんですね。現実にジェンダーの概念を導入することによって現実にこういったことが見えてきましたよということを言わなくちゃいけないので、そういうことがある程度、例えば専業主婦よりも働く人の方の割合が、意識調査で、もう増えたんでしょう、去年。
林委員
実態上、男女がともに仕事と家庭の両面について責任を分担すると、こういう実態が生まれてきているということをここで書くとするならば、それは経済的に実際上困難になったということと、その前に、女の人自身が働くということ、働いて生きるということを肯定的に考えるようになったわけですね。そのところがやっぱりほしいなという、その気持ちなんです。
古橋会長代理
それなら、それは入れたらいいでしょう。
岩男会長
そのとおりだと思いますので、そうすると、これがジェンダーを意識することの結果として、明るい例としてもうちょっとはっきりすると思うんですね。
寺尾委員
あと、「見直し」という言葉なんですけれど、さっきも、私、やっぱり主語に過度にこだわるのかもしれませんけれど、こういう「以下のような変化が起きてきている」という方がいいと思うんです。だれかが一元的に決めているようなニュアンスを「見直し」という言葉は持っているので。
岩男会長
それでは、もう時間が来ておりますのですが、ほかのところで何か。
神田委員
4ページの「○」の4つ目ですが、「否定し、また、家族や伝統文化を破壊するものであるという批判があるが、そのような」、「極端」を削って「考え方」。
岩男会長
そうですね。
古橋会長代理
ここのところは、原先生、伝統文化と言っていいんですね。
寺尾委員
済みません、戻るようで恐縮なんですが、1ページ目なんですけど、一番大事なところですが、文章の修文案を申し上げてよろしいでしょうか。「現行基本計画において使用されている」というところなんですけれども……。1ページのIの1の短い言葉で言いかえられる例なんですけれども、現行基本計画において使用されている「社会的・文化的に形成された「性別」(ジェンダー)は、主要な国際機関等における定義とも」という前に、「Gender」という原語を入れられないでしょうか。ジェンダーという用語の定義ともほぼ一致しており、つまり何に一致しているかというと、Genderという英語ですね。Genderと入れて、「という用語の定義ともほぼ一致しており、適切なものである」ではなくて、もう少しはっきりさせて、「基本計画の中で引き続き用いる言葉として」とか、「用いることは適切である」とかはっきりした言い方をした方がよろしいと思います。
定塚推進課長
今のところは、「社会的・文化的に形成された性別」という日本語ですので、これは基本計画で引き続き使用するかどうかわからないので、(ジェンダー)は使いますけれども、「社会的性別」と言いかえるかもしれませんので。この3つの例示をするという前提として、現在使っている用語も適切なんだよということを言ってほしいという御意見が前回ございましたので、それをその旨入れているのです。
寺尾委員
この場合、この「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)になっていますよね。本当はこのかぎ括弧、社会的が始まるところから(ジェンダー)までが問題なんですね。
岩男会長
そうです。
神田委員
確認しますけど、(ジェンダー)は残るわけですね、この今の案で。
原田審議官
そうです。
岩男会長
私たちがそういう案を出しているわけです。
鹿嶋委員
これについては「定義ともほぼ一致している」で止めてしまったらどうなんですか。そして、この言葉をさらに同趣旨の短い言葉で言いかえればというふうに、ここで適切なもの云々と言ってないで。
 そうすると、この元のままでいこうという話なんでしょう。そういう議論ならそれでいいと思うんですよ。
古橋会長代理
元のままでいくんですよ。専門調査会としては、ですよ。あと、政府がどうこうやるかは政府の責任です。
原田審議官
適切というのは、「社会的・文化的に形成された性別」という日本語訳は決しておかしいもんじゃない、適切だと。
岩男会長
そういう意味ですね。
原田審議官
さはさりながら、やっぱり社会一般に使いやすい言葉ということで、「社会的性別」(ジェンダー)と。
原委員
女性団体だけではなくて、私伺っていると、地方公共団体が本当に困ると。条例にこの文言を入れたところもあるけれども、計画に入れたところはもっとたくさんあって、困るという話を聞いております。
岩男会長
多くの条例に使われていると。
鹿嶋委員
使われており、この言葉が適切なんだと、強調すればいいじゃないですか。
原委員
それは調べてくださって、言っていただければ。
岩男会長
最後に、先ほどの「中立的な概念であり」という2ページのところのこれをどうするかということなんですけれども、「中立的な概念である」ではわかりにくいという御指摘もございますけれども。
原委員
岩男会長は、価値は多様だとおっしゃったんだけど、心理学でそうだけれども……。
岩男会長
価値中立的ということはないというふうに。
原委員
価値中立的ではないと。だけど、ここに「中立的」と入れるとすればという話ですから、具体的には、それなら「善悪の価値判断から中立的な概念」とか、「善悪の価値判断と関係ない概念」とか、でも、そうすると見直せと後で言っているから、普通に読んだら……。
古橋会長代理
価値は中立的でないというのと、価値判断が中立的というのとは違うんだと思いますけれども、それは岩男会長、どうなんでしょうか。私は価値判断に中立的な概念はあると思いますが、価値に中立はないと思います。そこのところは、心理学の専門家の岩男先生に聞かないとわからないんですけど。
岩男会長
要するに概念ですから、概念そのものは別にこれが絶対に善であるとか、悪であるとかというものではない。つまりいわば分析のツールにすぎないんですよと。そういう意味で中立的というふうに書いているのだと思うんですね、ここでは。
古橋会長代理
ということは、価値判断に対して中立的ということでいいんじゃないかなと思うけれども、そうでもないんですか。要するにツールなんだから。
神田委員
ジェンダーは現状を認識するとか、見るための概念である。中立的なんて使わない。
原委員
現状を見る道具としての概念。
岩男会長
現状をとらえる……。
古橋会長代理
現状をとらえる道具ですね。
岩男会長
とか理解する。
原委員
現状か、現象か。
神田委員
現象でしょう。
岩男会長
あるいは実態。
古橋会長代理
制度も現象。
原委員
それは現状です。
神田委員
現状だと狭くなっちゃう。
岩男会長
対象の方がもっとわかりやすくないですか。
原委員
対象を理解する度合いとしての概念。
古橋会長代理
判断の対象。
神田委員
判断も要らない。理解する……。
岩男会長
とらえるための概念である。
神田委員
概念である、中立的も取る。
名取局長
こういうときにたとえ話みたいのはできないですか。例えば立体眼鏡があります。それをかけることによって世の中が立体的に見えるというものです。ジェンダーというのはそういう眼鏡に例えられ、それをかけることによって、今まで見えなかったものが立体的に見えてきますというような。
岩男会長
そういう説明をつけるとよりわかりやすくなりますね。今の局長のおっしゃったようなことを入れましょうよ。
原委員
眼鏡というと偏見……
名取局長
立体眼鏡。よくありますよね、飛び出してくるような眼鏡。
寺尾委員
3Dとかいう。
名取局長
3D眼鏡みたいな、ああいうので立体的に見えるみたいな。
神田委員
本当のことを言うと、この概念というのを何か砕けるといいですね。
岩男会長
とらえ方、道具……。
古橋会長代理
手段。
神田委員
何か概念、ちょっと……。
岩男会長
確かに概念というのもよくないですね。
原委員
道具でどうでしょうか。
神田委員
とらえる道具である。
鹿嶋委員
もっとわかりやすくというのであれば、「社会的性別」(ジェンダー)、ここのところはやめちゃって、「ジェンダーとは立体眼鏡のようなものである」と。その眼鏡をかけることによって……。
神田委員
立体眼鏡のような。
鹿嶋委員
そうすればわかりますよね。
古橋会長代理
入れて、もうちょっと「立体眼鏡のようなものであり」と入れますか。
原委員
「立体」とつくことが大事なんですよ。ただ、「眼鏡」ではだめなんですよね。
岩男会長
それは差別につながる。
寺尾委員
色眼鏡とかいうのもあるので。
原委員
しかもジェンダーという現象は、本当に何次元にもなっているんですよね、事柄が、だから「立体」がいいです。
古橋会長代理
事務局に、あとは任せましょう。
岩男会長
大変活発な御議論をいただきましてありがとうございました。御指摘のような形で整理案を修文いたしますけれども、若干調整をする必要が出てくると思いますので、それは古橋委員と私にお任せをいただければと思いますので、最終的な文面はそういう形で仕上げさせていただきたいと思います。案がまとまり次第公表することにいたしますけれども、もちろん皆様に先にお送りすると。あるいは同時ですか、そのようなことにさせていただきたいと思います。
 それから、1から3という先ほどの資料でございますけれども、これは既に皆様に内容を御確認いただいている議事録でございますので、このとおり決定させていただいて公表ということにしたいと思いますが、よろしゅうございますか。

(「異議なし」)

岩男会長
ありがとうございます。
 あとの議事録については、整理ができ次第、皆様のお手元に届けさせていただきますので、よろしく御確認をいただきたいと思います。本日が最後の会合になりますので、皆様が御確認いただいたものの公表はお任せいただければと思います。
 それでは、大変長いこと、皆様にお忙しい中、いろいろ御苦労おかけいたしましたけれども、これで一応終了ということになります。まず、その前に局長から御挨拶がございますので、よろしくお願いいたします。
名取局長
委員の皆様方、本当に御多忙のときに精力的に御審議いただきましてどうもありがとうございました。
 男女共同参画基本計画に関する専門調査会は、昨年10月に設置されて以来、約1年にわたり、男女共同参画基本計画の改定に当たっての基本的な考え方と、引き続きジェンダーの表現等について調査検討を行っていただきました。
 その間、基本的な考え方につきましては13回と数多くの会合で御議論をいただき、中間整理の公表、国民の意見募集、特に5会場、東京の場合は2回ということで、5会場6回にわたる公聴会、岩男会長始め古橋会長代理、そしてまた各委員の先生方に大変御尽力いただきましてどうもありがとうございます。また、自民党の部会の方にも御出席いただきましたことを本当に感謝申し上げております。
 そして、7月に男女共同参画会議への報告の取りまとめを行っていただきました後も、なお書きということで、さらに4回にわたる会合で、ジェンダーの表現等について熱心に御検討をいただきました。
 その調査検討も、本日取りまとめに向けまして目途がつきましたので、これをもちまして、本専門調査会を終了させていただきたいと思います。
 今後、本専門調査会での検討結果を踏まえながら、政府において基本計画の改定作業を進めてまいります。各委員の先生方におかれましても、今後とも男女共同参画につきまして、引き続き御理解と御協力をいただきますようどうぞよろしくお願い申し上げます。
 本当に長い間、御指導、御鞭撻どうもありがとうございました。
岩男会長
どうも大変長いことありがとうございました。あとは、基本計画がうまくでき上がるのを期待して、これで解散させていただきたいと思います。どうも御協力ありがとうございました。
古橋会長代理
ありがとうございました。
定塚推進課長
どうもありがとうございました。

(以上)