第16回男女共同参画基本計画に関する専門調査会議事録

  • 日時: 平成17年9月29日(水) 16:00~17:45
  • 場所: 内閣府5階特別会議室
  1. 出席者
    岩男 壽美子
    会長
    古橋 源六郎
    会長代理
    石川 哲也
    委員
    神田 道子
    委員
    五條 満義
    委員
    寺尾 美子
    委員
    原 ひろ子
    委員
    古川 貞二郎
    委員
    山口 みつ子
    委員
  2. 議事
    • (1)開会
    • (2)ヒアリング
      • 株式会社大和総研 名誉顧問 宮﨑  勇氏
      • 独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長 緒方貞子氏
    • (3)その他
    • (4)閉会
  3. 議事内容
岩男会長
それでは定刻になりましたので、ただいまから、男女共同参画基本計画に関する専門調査会の第16回会合を開催いたします。委員の皆様大変お忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。
 本日の調査会では、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等について引き続き調査検討をいたします。
 本日は、2名の講師の先生にお見えいただいておりまして、男女共同参画について、また社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)についてお考えをお聞かせいただき、調査検討の参考にさせていただきたいと存じます。
 講師の先生方には、お一人、約20分ほどお話をいただきまして、そして10分程度質疑の時間をとらせていただくと、こういうふうにさせていただきたいと思います。
 それでは、本日大変お忙しい中をお見えいただきました株式会社大和総研名誉顧問の宮崎勇さんから、まずご説明をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いをいたします。
宮崎氏
宮崎でございます。この会議にお招きをいただきまして大変光栄であります。いただきましたテーマが大変難しくて、どういうお話しをしていいか、よく見当がつきません。恐らく皆さんの満足のいくようなお話しをすることはできないと思いますが、お話しさせていただきます。
 私はこういう問題を考える場合にいつも基本になるのは日本国憲法だと思っております。憲法は、1946年の11月に公布をされているわけですが、私、個人的なことになりますが、その翌年の47年に大学を卒業しまして実社会に入りました。実社会と申しますのは、経済企画庁の前身であります経済安定本部でありますけれども、ちょうど日本国憲法が公布されていよいよ発足するというときでございまして、入庁したときに新しい日本の憲法を重視するようにという訓示をまず受けたわけであります。その前から議論の段階で、日本国憲法というのを多少は存じておりましたけれども、公布をされて大変立派な憲法だということで、その憲法を守るということを仕事上の1つの基準にしてまいりました。
 日本国憲法は、私は世界に冠たる憲法だと思っております。特に戦前の日本の反省に立って平和主義を打ち出されたということは大変立派な憲法であると思いますし、特に諸国民の公正と信義に信頼して平和をうたい、戦争を放棄したという点は高く評価してよろしいのではないかと思っております。
 それから、私はエコノミストでありますけれども、新しい憲法がその後の日本経済の発展に非常に貢献をしたということは、ややもすれば人はあまり気づきませんけれども、私はその点で憲法を評価したいというふうに思っております。つまり新しい憲法が個人の自由と平等ということを尊重して社会活動・経済活動をするということを言っているわけですが、日本の経済はまさにそれを受けて発展してきたと思っております。具体的には、憲法の精神にのっとった農地改革でありますとか、あるいは労働三法でありますとか、独禁法の制定ということにあらわれているわけですが、新しい憲法の下で人々が自由に創意工夫に基づいて経済活動を行ったということが日本の経済のその後の発展の基礎になっているというふうに思っております。
 そういうわけで、政治的な平和の問題に関しても、経済発展の問題に関しても、日本国の憲法というのは大変いい憲法で、最近憲法の改正の議論が挙がっておりますけれども、もちろん憲法というのは明治憲法と違いまして、不磨の大典ではなくて改正するというのは一向構わないことですけれども、何か変な改正をされると困るなという感じを強く持っておりますが、前置きはそれぐらいにしまして、きょうのテーマに関して日本国憲法というのは、非常に大きな我々のよりどころになるのではないかと思っております。
 特に第3章の「国民の権利及び義務」というところでいろいろ述べてあることが非常に大きな意味を持っております。御存じのことですけれども、若干条文を読みながら申し上げたいと思いますけれども、第3章の「国民の権利及び義務」の中で、第11条というのが「基本的人権の享有」ということで、国民はすべての基本的条件を妨げられない、というようなことが書いてありますし、それから、13条には、「個人の尊重と幸福追求権、公共の福祉」ということでありまして、すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福の追求に対する権利について、それを尊重する。ということが書いてあるわけでして、私は、きょうのテーマを考える上で非常に重要な条文だと思っているのですが、もう少し具体的に書いてあるのは、第24条に「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」ということがありまして、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。ということもありまして、これも今日の問題を考えるのに基本的な基準を示しているというふうに思っております。
 そして、私はこういう憲法を守るということが非常に重要だと思っておりますけれども、特に私は、一時古橋さんともご一緒に仕事をしたことがあるのですが、公務員というのは、憲法を遵守しなければいけないという義務が第99条で書いておりまして、当然でありますけれども、私はこういう憲法を大事にしなければいけないというふうに思って努力はしてきたつもりであります。
 男女平等とか共同参画ということについては、この憲法の線上で考えるべきだと思います。つまり生命の尊重とか言論、思想、表現の自由と平等な競争とか、平等な権利とかというようなこと、この憲法から出てきている概念でありますけれども、それがこのジェンダーの問題についても適用される規範だというふうに思っております。
 このことは当然のことであって、今さら私が申し上げることもないわけですけれども、今日のテーマということであれば、まず、このことを強調しておかなければいけないと思います。本来ならば、それで終わりでいいと思うんですけれども、そういう憲法の下で、男女が平等に社会的活動・経済活動をやっていかなければいけないわけですが、全く平等ということについては、つまり差別があってはいけないということについては、現実は若干差別が許されることもあると思います。「差別」という言葉がいいのかどうかわかりませんが、男女では生物学的にいろいろ性格が違っておりまして、身体的といってもいいのですが、特に女性が妊娠と出産を受け持っているという意味において、男性とは区別して考えなければいけない問題があるということだと思います。これを「差別」といっていいのかどうかわかりませんが、そこではそういうことは当然許されるというふうに思っております。
 こういう差別の考え方というのは、何も日本人だけに限らず、あらゆる人種、あらゆる国に共通の普遍的な問題だと思っておりますけれども、残念ながら我々の周りの宗教、いろいろの教義では必ずしもそういうことがはっきりうたわれてない点もあります。私は儒教と申しますか、論語に大変関心を持っておりますけれども、また、大変立派な実学的な教訓に満ちたものだと思っておりますけれども、論語でも、女性と子どもは扱いにくいというようなことで例外的に考えられているということがありまして、話は横へ飛びますけれども、最近、私はたびたび中国に行きますが、中国でもこのごろ儒教の見直しということが言われておりまして、儒教を勉強する人が増えている。そういう議論をしたときに、私も、儒教というのは大変立派な教えであるけれども、男女差別というのはおかしいではないかということを指摘したら、向こうの関係者も、そういう点はまさにそのとおりだということで、そういうことなんですが、宗教でも特定の宗教の名前を挙げませんけれども、社会的活動その他において男女の区別がされているという点は、我々から見れば大変残念なことだと思うんですけれども、そういう点では残っております。
 そういう中で、日本の憲法、それに関連した規則・法律というのは大変立派にでき上がっているというふうに思います。
 しかし問題は、そういう立派なことが実際に行われているかどうかということだろうと思います。いろいろ卑近な例あるわけですけれども、例えば、基本的な問題ではありませんけれども、ついせんだって大相撲が終わりましたけれども、相撲の土俵に女性は上がってはいけないというようなことが言われて、そうだ、そうだという意見も多かったようであります。相撲の問題ですから、そんなに社会的な大問題というわけではありませんけれども、それに似た問題がたくさんあると思いますし、それから昔はお寺なんかで、酒を飲んで入ってはいけないというようなこともありましたけれども、女人禁制ということで女性は入ってはいけないという神社仏閣もあったわけでありまして、これは一種の差別ではないかという感じがするわけで、これも現在もところによっては残っているのではないか。女性が神殿に上がる場合には、特例的に何かの行為をしなければいけないというようなこともあるようですが、こういう差別もありますけれども、もっと我々の日常的な問題で、家庭生活においても、あるいは職業といいますか、職場においてもいろいろの差別が、してはいけないというふうに言われているのですけれども、実際なかなか実行されてないという問題があるのではないかというふうに思われます。
 例えば経済的に見ますと、就職の点、これも差別をしてはいけないということにはなっておりますけれども、現実には正規雇用を女性は男性ほどはできないとか、パートタイムなら採りましょうというようなことがあったり、それから表向きはそうではないんですけれども、昇進とか能力の査定について、男女の差別があるというようなことは、我々の身近な問題としても残っているわけで、これは法律的に見ても今日ではおかしなことなんですけれども、慣行として何となしにみんなが受け入れているというような点もありまして、こういう点はぜひ日常の出来事ですけれども、そういうことの積み重ねの上で男女の差別をなくしていくことが必要だというふうに思っております。
 特に強調したいのは、男性側から見てですけれども、観念的には男女の間に差別があってはいけないということはよくわかるのですけれども、実際の面ではなかなかそれが実施されてないという、これは何というのでしょうか、精神面の問題でしょうか、心の問題でしょうか、そういう問題が家庭生活においても、職場の生活においても非常に見られるのではないかと思います。
 若干個人的なことになりますけれども、特に家庭生活において男女が平等でないという感じは、実は私家内をこの春亡くしまして、そして生活を自分一人でやっているわけですが、今たまたま子どももいませんし、一人でやるのですが、家庭生活といいますか、自分の生活をやってみて、女性の役割というのがどんなに大事かということを身をもって感じているところです。家内を失って、それは悲しいということももちろんありますけれども、何か家内に対して大変申し訳ないなという感じを非常に強くしました。こういう雑用を男はやらなくてもいいんだと、そう思っていたわけではありませんけれども、結果として家事は主婦がやるべきものだという慣行をつくり上げていた。大変そういう点で申し訳なかったと思っておりますけれども、同時に男女平等でいうことの非常に大きな意味は、両性が自分たちのいろいろの個性や能力を伸ばすチャンスを持つために平等でなければいけない、差別があってはいけないということですが、そういう点で家事を全く家内に任せていたということは、彼女の個性と能力を活かすチャンスを与えなかった、奪ったのではないかという感じでありまして、これは恐らく私だけではなくて、ここにおられる男性の多くはそういう生活をしておられるのではないかということで、私ども口で、男女は差別があってはいけない、平等でなければいけないと言っているのですが、実際にはそういうことが行われていて、そして問題は、無自覚といいますか、そのことをあまり意識しないでやっているということに問題があるのではないかと思います。
 私も口でいえば、先ほど憲法のところで申し上げましたように、男女は平等でなければいけない、機会は均等でなければいけないということはよくわかっているし、それを実践しなければいけないということはわかるのですが、自分の生活で振り返ってみると、実践はしてないということで、これは一体なぜだろうか。こういうことをなくしていかないと、世の中全体で差別という概念がなくならないのではないかという感じをしまして、そういうところから差別の問題というものをなくす活動がされなければいけないというふうに強く感じております。
 では、どうしたらいいかというのは、恐らく絶えざる教育、お互いの議論とかということであろうと思いますけれども、何かもう少し具体的に、例えばここで政策をお考えになるならば、もうちょっと具体的なことが考えられるのではないかという感じがいたしました。
 ちょっと20分をオーバーしたようですから、この辺で終わります。
 もう一つ、いただいた文書の中に、男女平等のために学校教育が大事だとか、あるいは家庭教育が大事だということがありまして、言葉じりをつかまえるようですけれども、家庭教育の中で、家庭のきずなを強くするということもありました。私は「家庭のきずな」という言葉はいささか古過ぎるという感じを受けました。家庭というのは、やっぱりそこでも個人の人権と能力が伸ばされるということが大事であって、そこがポイントであって、家庭が仲よくしようというのは、その結果として生まれることだと思っております。若干文書の言葉じりをつかまえていることなのかもわかりませんけど、要するに男女平等というのは、個性を活かす、能力を活かすチャンスをみんなが平等に持つということではないかと思っております。
 どうもありがとうございました。
岩男会長
ありがとうございました。「ジェンダー」という言葉をお使いにならなくても、私たちが本当に皆さんに理解してほしい、ジェンダー概念で訴えたいことを、まさに個人的なご体験に基づいて大変説得力あるお話をいただきましてありがとうございました。
 それでは、どうぞ御自由に宮崎先生に御質問いただきたいと思うんですけれども。
古橋会長代理
きょうはどうもお忙しいところおいでいただきましてありがとうございました。このジェンダー問題について、私はいつも言っておるのですけれども、最初におっしゃられた理念というものについて、もっとみんなが議論をしなくてはいけないだろうと思います。最近、男女共同参画問題に限らず、外交問題にしても、いろんな議論をするときに、日本人の中には、理念ということについて議論をせずに、理念から離れてすぐ現実の問題に対する対応策を考えている人が多いのではないかなと、そういうところに私は非常に問題があるというふうに思っております。
 したがって、理念ということについて、もっともっと深くみんなで議論していけば、こういうジェンダーの問題について、今の現実における不適切な理解というものは私は生まれないのではないか、こういうふうに考えております。世界共通で理解されているジェンダーという問題が、世界的な潮流であり、人権とか自由と民主主義とか、そういうものの一環であるということをもっとみんなが意識、自覚するような機会をつくっていくことが必要だと思います。
 そういうような意味において、今、憲法から説き起こされましたけれども、もう一回、 そういう憲法に戻って議論していくということを御指摘いただいたことは私は大変重要なことだと、こういうふうに思います。
 それから、具体的な問題についてのいろいろな問題については、そういう理念から政策を出し、政策から計画を出して、それに基づいて推進していくということが必要だと思いますが、いただきました御意見を踏まえまして、理念をみんなで議論した上で、正しい認識というものを持っていく必要があります。そうすれば、具体的な問題について何か言われても、そんなに振れることがないと私は思っております。
 したがって、我々が世の中に言うべきことは、もう一回理念に戻って、男女共同参画というもの、そして、それは個人の尊厳と男女平等ということを基本とすること、個人の尊厳の中には個人能力の発揮ということも含めまして、そういう問題が入っているということを考えるということを強く主張すべきだと思います。
 なお、家庭生活のことを今言われましたが、昔、個人の尊重と家庭とどっちを重視するかという質問がある新聞記者からあったのですけれども、私は個人の尊厳だと答えました。個人の尊厳があって、初めて家庭生活を重視、要するにお互いに過度に期待をすることなく、あるいは依存することなく、個人が自分たちの能力を十分活かし、かつまた適切な責任を負っていく。そして柔軟に対応していくということが男女共同参画社会における家族のあり方ではないかなと思っています。しかし、その場合において、男性がもっと夫として、あるいは親として、あるいは子どもとして責任を果たすということがあまりにも今日本は少ないので、それについて、もっともっと男性の意識改革をしていく必要があると、こういうことを申しておりますので、今、御指摘いただきましたことで大変意を強くいたしました。ありがとうございました。
宮崎氏
先ほど会長が御指摘になりましたように、私は別に意識したわけではありませんが、私の話の中で「ジェンダー」という言葉は直接使いませんでした。いろいろ文献を読ませていただいて、ジェンダーというのはどういうことかというのはよくわかりましたし、お使いになるということに反対するわけではありませんけれども、どうもやっぱり一般の人にわかりにくい概念ではないかなと思いますので、何か適切な日本語を考えられないかなという感じです。
 私が長い間、役所のときに仕えました宮澤さんが、宮澤さんは御承知のように英語が大変できる方なのですが、日本語があるのにどうして英語を使うのだとしばしば怒られまして、やはりこういう文書はみんなにわかってもらいたいという意味では日本語があればいいなという感じを持っております。
岩男会長
先生の御指摘のとおりでございまして、ただ、うまく日本語で短くわかりやすく説明をしなければいけないのですけれども、そこがなかなか難しい。例えば無自覚にやってきたというお話ございましたけど、ジェンダー・センシティブというのは、まさにそういう問題があることを自覚すること、認識することだということがわかるのですが、それを説明するにはどうしても長く説明をしないとなかなか意図は伝わらない点に私たちの悩みがございます。そのために検討を重ねてきているというのが現状だと思います。
 それから、もう一つ、家族のきずなのお話で、1つ伺いたいと思うのですけれども、私も全く同感なのですが、現実の世界の中で、例えば離婚が増えているとか、子どもが思うようにならないと感じておられる親御さんが増えているとか、そういう方たちが非常に不安感をお持ちです。理念が大事だということはおっしゃるとおりですが、現実的な不安感にどちらがアピールするか。男女共同参画、あるいはこういうことを進めると家庭が壊れるではないかと、こういった批判につながってきてしまう。そういう問題も抱えておりまして、そこでどうしたらよいかということで、何かご意見が伺えればと思うのですけれども。
宮崎氏
どうしたらいいかと尋ねられると、どうしていいか、わからないというのが正直なところですが、新聞紙上で親が、あるいは子どもが親や子どもを殺傷するなんていうことは、私はどういうわけだか、理由は考えられません。それはもっと家庭のきずなを強くしろということでは解決できないと思うんですね。恐らく彼女のケースは、おやじが子どもの個性を伸ばす機会を奪っているとか、能力を抑えているとかということに不満があるのではないか、あるいは逆のケースということで、お互いに個性を伸ばすというところで制約を受けているところに1つの問題があるのではないかということで、きずなを大事にするより、個性を自由に伸ばしてやる環境をつくることが大事だというふうに、ちょっと言い過ぎですが、そういうふうに感じております。
岩男会長
ありがとうございました。ほかにどうぞ、原委員、どうぞ。
原委員
横文字またはカタカナ言葉を日本語にするようにということについてなんですけど、例えばアイソトープとか、ナノテクノロジーとか、科学技術分野の用語はカタカナ英語とか、時には和製英語も使われているようです。社会現象とか文化現象についてはこういうふうになるのかなとかねがね感じているのですが、宮崎先生、いかがでしょうか。
宮崎氏
やっぱり一般概念として差別の問題が重要性を持って語られてないというところにあるのではないでしょうか。だから、ある意味においては、「ジェンダー」という言葉をどんどん使って、あるいは「ジェンダーフリー」という言葉をつくっていいとか、悪いとか議論すれば、それは定着すると思うのですが。
 私はたびたび中国に行くんですが、これは中国ではどういう訳をしているのでしょうか。
原田大臣官房審議官
社会的性別などの訳を使っていると思います。
宮崎氏
要するに文化的・社会的に形成された差別ということを社会的という。
原田審議官
社会的性別ということで、差別そのものではない。
古橋会長代理
平成11年の基本法をつくるその段階においても、一部から「ジェンダー」という言葉を使えという議論があったんですね。今、平成17年ですらか6年前、そのときには、まだ私どもは「ジェンダー」という言葉に国民が慣れてないから、そういう言葉を使うのはやめましょうということにしました。しかしその趣旨がわかるような形で基本法の中に表現を入れたという経緯があるのですけれども、それからもう6年たっても、まだ「ジェンダー」という言葉が広まらないということは、どこに問題があるのだろうかということを我々はもう少し反省しなくてはいけないのかなという気はしております。
 だから、今回また使わないと、ずっと浸透しないままになってしまうのではないかと心配しています。国際機関においてはもうどんどん使われておるし、そのジェンダーという概念を導入することによって、男女共同参画の問題について理解するということに非常に有益なものですから、それを使った方がいいのかなと思います。ただ、「ジェンダー」という表現については、社会的性別とか、そういうような形で言っていいのかもしれませんけれども、そこのところはこれからの問題だと思います。
岩男会長
それでは、宮崎先生ありがとうございました。
 緒方先生、大変お忙しい中をおいでいただきまして、緒方先生から御意見をお聞かせいただきたいと思います。
緒方氏
今日は御招待いただきありがとうございます。宮崎先生のお話を伺って、いろいろな角度からこの問題が大きいということはわかったのですが、私は正直申し上げて、「ジェンダー」が問題になっているということは全然存じませんでした。
 「男女共同参画」という言葉もかなり重い言葉だとは思っておりましたけれども、私はずっと40年ぐらい働いているわけですけど、その間でやはり女性の問題というのは非常に大きい問題になって、また女性の地位も役割も大きく変化してきたと思いますし、日本においても大きな変化があったと私は認識しております。
 最初に、私が宮崎先生にお供して、国連の社会開発委員会などに伺ったことがあるんですけれども、人権とか社会開発とか、平和維持等々の国連のいろんな分野でかかわってまいりました。一番大きな形で女性の地位というものが取り上げられたのが1975年の世界女性会議だったと思います。これは私自身は参ったことがないのですけれども、日本で大きなインパクトがあって、女性の地位向上ということがうたわれ、法的な改正も多方面で行われました。私もその関連で76年から3年半ばかり日本政府の外務省の国連代表部で公使として働いたわけなんです。それから40年の間に実は大きな変化があったと私は理解してまいりました。
 それは男女平等、雇用につきましても、私はもともと日本の女性の教育レベルは高かったと思いましたし、オープンだったと思いますけれども、就業関係でも男女雇用機会均等法、それから国籍等についても女性に対する差別的なものは撤廃されてまいりましたし、外から見ていて、日本の女性は非常に元気になったという印象は持っております。特に若い方たち、非常に大きな希望を持って、そして方々で活躍している方たちが目についたわけです。特に国際機関などに来ようとしている日本の女性というのは、本当に新しい時代が来たのだなと思われるような、大きな夢と能力と持って活動しておられたのです。その辺も恐らく日本国憲法の基本に沿った形で進展したのだろうと思います。外からは、日本については女性が最もuntapped resource、つまり最も使われてなかった一番大きな社会の財源であるというようなことが言われておりました。
 どういう問題がまだ残っていたのかというようなことについて、改めて注目がされているということも知ったわけですけれども、女性がなければ社会は成り立たないわけで、そもそも、そして今日の日本の経済的な発展だけではなくて社会的な発展も女性が貢献するところが大きかったので、その意味では外からも評価されていますし、当然、日本の中でもその現実は評価されているのだと思いますし、男女という性別で固定化された時代の中に、今、若い人たちは少なくとも生きていないと思います。
 ただ、女性は家、男性は外、というようなことは、今はもう通じないのではないのでしょうか。ただ、現実的にはそういうようなものの名残はあるのだろうと思いますし、そこが男女共同参画問題と「ジェンダー」というような言葉の問題になっているのかなというふうに伺っております。
 「ジェンダー」という言葉は極めてニュートラルな言葉だと思います。これは「性」という言葉と比べますと、これは性的なフィジカルなものかもわからないんですが、「ジェンダー」となりますと、社会的なもの、文化的な価値というものを加味した意味での性的な問題であって、むしろ「役割分担」とか、「差別」というより「区別」という方に近いのではないかと思います。目下、国際的には「ジェンダー」という言葉が問題になっているということを私は全く聞いたことはございません。
 したがって、「ジェンダー」の定義について日本語でどうするかというようなことは、もし強いて言えば、役割分担とか、先ほどの中国の場合の、「社会的役割」とか、「社会的性別」というようなものに近いのだろうと思います。ただ、社会的とか文化的な問題というのは、これは非常に激しく変化するものですし、日本の中でも、年代に応じ、あるいは職業に応じいろいろ多分違うのだろうと思うんです。
 そういう中でどういうようなことが今後望まれるのだろうかと。日本の中のことについて、私は、JICAにおりまして、ここでは2つの問題から見ているんですね。JICAの方では、JICAの中における女性の役割、雇用の問題ですね。それとJICAが扱っております開発事業における女性に対してどういう役割、そして期待をしているかという両方から見ております。JICA内におけるジェンダーの認識については、これは極めて優秀な女性がたくさん就職して参っております。ただ、それが開かれてからの年月の差から、役員のところまでに来ている人は少ないというのが現実でございます。
 私もおととしからJICAにいるのですけれども、私がJICAの所長会議に行きましたとき、200 人ぐらいの男の方ばかり、黒い背広が並んでいるのを見て非常に驚いたんです。女性の職業におけるプロモーションについては多少アクセラレートする必要はあると思います。
 それは国連においても全く同じでございまして、国連においても下の方、あるいは中間層ぐらいまでは非常に女性の人たちが多いのですけれども、上になりますとやはり数は少ない。それで多くの国連機関は50:50にしたいと言っておられますが、大体が36%から40%ぐらいではないかと思います。各層における女性の進出、その辺は非常にセンシティブな問題で、女性は置いておいていいというようなことを言って、国際機関でマネジメントができるような人はいないと思います。
 それでは仕事の方ではどうかというと、これもJICAの仕事では、開発途上国に対する仕事としては、もちろんジェンダーというものを正しくとらえてジェンダーに敏感な職員、これは男女を問わず、そういう人たちが男女を問わずそれぞれの開発の要求というものを満たしていく工夫というのをやっております。これはWomen in Development(W D)として知られているのですが、一言で申しますと、開発の担い手として女性を排除することは、開発を遅れさせる以外の何者でもないと。これはJICAの方でも十分認識しているわけでございます。ですからどうやって活発な担い手として女性を遇してしていくか、女性に参加してもらうか、というのは大きな開発の問題点になっております。
 これは確かに社会によって、文化によって違いがあるのは申すまでもないわけです。アフガニスタンの例を使わせていただきますと、タリバン時代のアフガニスタンは極端だったわけです。女性は教育を受けられない、外へ出てはいけない、いろいろかぶっていなければいけないというようなことで、女性が一番虐げられた時代なんですけれども、その時代にも、難民、あるいは国内に戻って行った避難民等に対して、私は、元おりました国連難民高等弁務官事務所で対応しなければなりませんでした。その対応方法としては、やはり女性の職員が、体を覆うようなそれなりの衣服をつけて行く。そして女性に可能な限りの手仕事等を教えたり、そして、そういう機会があるように努力する。参画どころではないんですね。差別の世界の中においても、女性に対する援助ということは皆、心がけたわけです。今は開放された時代にはなっておりますが、アフガニスタンにおける文化的な伝統としては、都市の女性、そして教育を受けた女性はそれなりに非常に大きな責任を持って頑張っていますけど、一般の農村社会ではまだまだ遅れているわけです。そういう女性に対して教育、医療等々の機会を与えなければ、国はなかなか伸びないわけですから、その分一生懸命女性を対象とした事業をしているわけです。実際の社会でどれだけ女性の力をつけることによって、その社会が進歩するかということが大きな課題になっているわけでございます。
 日本の場合にはどうなのかと申しますと、終身雇用制というものがかなりフレキシブルになってきたんです。それは私は女性の就職の機会等には非常にプラスに働いたと考えております。女性の一生の中にいろんなサイクルがあって、ある時期、うちにいなければならない。そういう時期もあれば、それからもっと専念して働ける時期もございますから、終身雇用よりももっとフレキシブルな再雇用の制度であるとか、それから働いている時間を短くするとか、そういうことによって女性の持っている力を十分社会に活かしていく、そういう工夫もあると承知しております。それによって、女性がみんな外国へ出かけていかなくても、日本の中でも十分働いていけるようにしていく努力は必要だと思いますし、実際はそういうふうに向いているのではないでしょうか。
 日本の社会の健全な発展、日本経済のさらなる進展等々については、男女の役割というものが極めて重要であるということは申すまでもないし、いくら申しても足りないぐらいだろうと思います。その中で、どの部分で、どちらが、男性がやるべきか、女性がやるべきかというのは、私は外から決めることではなくて、どちらにも機会は与えられていくことだろうと思っております。そして、それは私のおります職場などでも、女性については早く帰る時間を工夫することはある時期必要なのです。それを「ジェンダー」と呼ぶのがいけなければ、「役割分担」とでも申したらいいのではないでしょうか。差別の問題ではなくて、区別の問題だろうと思います。それが外来語がいけないということでしたら、何かお考えになってもいいでしょうが、あまり長い言葉はかえって紛らわしいので、なるべく簡単な形で、その趣旨を徹底されることが必要だろうと思うんです。
 今、固定的な形で役割を押しつけられたら出てくるのは反発だろうと思いますし、また、少子化の問題はそういうことと無縁ではないと私は承知しております。一番たくさんの時間働いているのは家庭を持った女性で職場を持っている人だと聞いておりますから、それは確かに宮崎先生の言われるような、そういう習慣がない世代と異なり、今の私たちの子どもの世代はかなり何でもできる男子が育っていると思いますから、自然に解消していくのではないかなと私はかなり楽観してございます。
 確かにのびのびと育ってきた女性がたくさんいるとは思います。差別撤廃から均等法等の長年の蓄積、女性の平等の相当な蓄積と効果を上げておられると、私は考えて大変その御努力については感謝しております。
岩男会長
大変幅広くお話いただいてありがとうございました。また、比較的な楽観的なお話が伺えて、私たちいろいろ問題を突きつけられていますけれど、元気づけられるようなお話でありがとうございました。
 どうぞ、御自由に御質問いただきたいと思います。
古橋会長代理
苦情処理・監視専門調査会におきましても、ODAの関係につきましては、男女共同参画の視点からJICA出身の委員のお話を伺いましていろいろ提言したのでございますけれども、そのときに、緒方理事長が来られてから、大分、男性の職員も男女共同参画の視点について留意するようになってきたという話を聞いておりますし、また、それは部内だけではなくて、例えばJICAがODAについて、大変ジェンダーの視点を非常に重視されるということが外務省にも影響して、外務省が今年初めてGADイニシアティブというのを国連において発表するという経緯になったというふうに私は考えております。
 そういうような意味におきまして、これからもますます緒方理事長に、部内のみならず部外に対して、今おっしゃったようなことを言っていただければ、大変私としてはありがたいなというふうに思います。
 それから、先ほどの宮崎さんと今の話も同じなんですけれども、原委員からの質問で、科学関係において、カタカナ用語があっても問題になっておらないけれども、なぜ社会科学の分野において、特に男女共同参画の問題について、これは問題になるのかという問題について、私は科学的な分野というのは、国民はみんな、あれは専門家の話だと思っているからではないかと思います。
 ジェンダーの問題というものが、ある程度男女共同参画が浸透して、みんなが一般大衆まで、これがわたってきたときに、みんなが関心を持つようになったということで、私は議論が出てきたのではないかと思っておりますし、したがって、こういう機会に、こういうような問題における用語の問題については、もっと我々は科学的な場合よりもセンシティブに説明をしていかなければいけないと、こういうふうに私は考えております。
 わかりやすい簡単な言葉でどうしても表せということならば、それはそれでいいのかもしれません。そういうふうに私は考えております。どうもありがとうございました。
緒方氏
外来語がものすごく多くてよくわからないことはあるんですけれども、ともかくこの言葉に集中して問題が起こっているというのはちょっと驚いています。
岩男会長
恐らく科学的な用語の場合には価値判断が比較的関係しないというところが違うのではないか、いろんな解釈、いろんな選択肢がある社会科学の分野では問題になる、こういうことではないかと思います。
 緒方先生、御指摘のように、若い世代は本当に変わってきたと思うんですね。ところが決定をしたり、マネジメントをしたり、あるいは法律をつくるといったポストにいる方たちは、もっと世代が上で、そのギャップが非常に大きいのではないか。本当に若い方たちがどういうことを考えているかというようなことがあまり理解されていないので、上の世代は自分たちの経験を踏まえながら、いろいろと御心配になって反対の御意見を唱えられるというようなことがあるのかとも思いますけれども、いかがでしょうか。せっかくの機会ですから、寺尾委員、どうぞ。
寺尾委員
先ほど宮崎さんのお話にも出てきた、個性と能力を活かすチャンスを男女とも平等に持つということがまさにジェンダーフリーということだと思います。なぜ今、日本で「ジェンダー」あるいは「ジェンダーフリー」という言葉の使用をめぐって議論が起きているのか。先ほどの宮崎さんのお話の中にも、両性の平等をうたった戦後憲法での下で、それなりの平等が実現されてきたこと、しかしそれにも大きな限界があったことのご指摘がありました。「ジェンダー」というのはこの「限界」と深く関係しています。
 社会的・文化的に形成された性別というものを見ないで、法が形式的に男女による性差別を禁止しても、そこには大きな限界があります。こうした、いわば後天的に形成された性別を、先天的なそれ、生物学上のそれと区別して考察の対象とし、その改変を通じて男女の真の平等を実現していこうというのが最近の国際的な潮流となっています。
 こうした流れが生まれてくる過程で、言い換えれば「ジェンダー」なり「ジェンダーフリー」なりの言葉が生まれ、広がっていく過程で、少なくともこれらの言葉を生み出した国々では様々な議論がなされました。日本は、輸入という形で近代国家を作ってきました。その際、多くの言葉や概念を輸入し、翻訳し、それらを一種の切り札として変化を起こしてきました。今、「ジェンダー」という言葉が攻撃のターゲットにされていることの背景にはそうした事情があるのではないでしょうか。別な言い方をすれば、社会的・文化的に形成された性別の広がりと深さを考えた時、「ジェンダー」という言葉が切り札的に用いられることに強い反発が起きることにはそれなりの理由があるのではないかということです。
岩男会長
どうぞ。
緒方氏
今まで自分のことを考えたことはございません。偏見の全くない社会というのは不可能です。それはあります。しかし、大筋で、政府とか法というものは偏見から離れた正しい方向を出していく必要があるのではないでしょうか。
古橋会長代理
最初男女共同参画についていろいろと議論したときに、女性団体の方々から、今まで我々は「男女平等」と言ってきたので、「男女共同参画」ではなくて「男女平等」を使えという話がありました。急に「男女共同参画」ではわかりにくいと、こういう話があったんですけど、私はこのとき3つのことを言いまして、1つは、先ほど申し上げた個人の尊厳、憲法の14条のみならず13条という理念が入っているから、単なる形式的な男女平等でなくて、個人の尊厳を含めた実質的な平等ということを意味すること、ただ「男女平等」と言ったのでは十分ではないと主張しました。また、参画ということが非常に重要だから「参画」という言葉を入れました。
 もう一つは、先ほどから問題になっております、今、現実の社会においては、男性が優位な立場にある。その人たちが、男女平等、平等と女性側から言ったら、もう憲法上認められているじゃないかということを言ってぷいと横を向いてしまわれる。その人たちに共同で一緒に男女共同参画社会を形成しましょうということによって進めていこうということが戦略論として必要なんだよということを主張しました。
 しかし、まだ、先ほどもおっしゃったように、高齢の方々、高齢と言っては失礼になるかもしれませんが、重要な地位を占めている方々の中には、男女共同参画のほうがよいという意識の方々がまだ少ないかもしれません。しかし、私はそのときに、いつごろ、それではこの男女共同参画社会が実現できるんですかとよく質問を受けたんです。私は、それは世代が変わらなければできないのではないか、そんなに簡単にいくものではありませんよと答えました。これは意識の改革であり、意識に基づく制度の改革です。したがって、その実現には長い年月がかかることを考えていました。
 したがって、今回このジェンダーの問題について、これだけ議論が出てきたということは、結構早く浸透しているんじゃないかなと思います。男女共同参画からジェンダーということが問題として出てきたということは、ある程度浸透してきているのではないかなと思っています。この際やっていくことは、最初に申しましたように、もう一回理念について、男性の方々にも理解してもらって、それは男性のためにも得になることなんですよということを言うべきではないのかなと、こういうふうに私は思っております。
寺尾委員
先ほど女性と男性は生理学的に違うので、子どもを産むので、その一定期間、家にいて育児をやり、また仕事に復帰というのも、もちろんそれもいいと思うんですけれども、人によっては、だんなさんの方がそれに向いている人がいて、奥さんが働き続ける方がいい夫婦だっていると思うんです。
 しかし、社会の「男らしさ」、「女らしさ」についての既成概念や、固定的役割分担意識が、本当は本人達にとっては良い選択をすることを阻害する場合は少なくないのではないでしょうか。先ほど偏見のない社会はないとおっしゃったと思うんですけれども、でも、偏見というのは、結局は人々のプレジューディスというか、予断をいうわけで、そこのところを、つまり当たり前が何かというアサンプションというか、前提というか、そういうものを変えていくことが大事だと思います。
 日本について非常に難しいと思うのは日本の会社の働き方なんですね。非常に長時間労働するわけです。その辺をどうにかしていかないと動かない。終身雇用制が壊れてきても、例えば通勤に非常に長い時間がかかり、あるいは家族というもの、家庭生活を犠牲にする働き方が称揚されてきました。その辺、経済界のことをよく御存じの先生に、何か御提案がおありでしょうか。
岩男会長
何か御感想でも。
宮崎氏
わからないですね。かなりわかっても時間がかかる問題ですね。特に経済界とおっしゃったんですけれども、経済界の指導者の層の考えを変えていくというのは非常に難しいですね。表面的には立派なこと言いますけれども、実際に実践が伴わないということで、実践まで伴うような行為をとらせるというのはすごく時間がかかるのではないですかね。
 さっきJICAの話を緒方さんおっしゃって、例えば、育児のために女性の職員が早く帰ることについて、大体そういうことは行き渡りましたというお話だったのですが、その受け取り方は、若い男性の職員と上司とではかなり違うのではないでしょうか。
緒方氏
違うかもしれません。
宮崎氏
若い人は、ああ、結構じゃないか、それで別に何の疑問も持たないけれども、上司は、だから、女性は使いにくいんだよな、ということにならないですか。
緒方氏
思っていても、あまり言えないでしょうね。
宮崎氏
言えないですか。
緒方氏
ただ、おっしゃるとおりなんですけれども、どうして、こんなに若い方たちで就職してやめる人が多いか。それからフリーター現象というのが出ているかというようなことは、おっしゃるように、やはり日本の職場そのものが変革期にあるのでしょうね。それから、高度成長が一段落してくると、もっと生きがいであるとか、一種の自分主義みたいなものが出てきて、社会が変わっているんですよね。その中であまり固定化しているということを前提にしない方がフレキシブルになっていくのではないかと私は思います。
寺尾委員
企業は利益の最大化というのが株主に対する義務ですから、その定式に沿って動くわけですね。それはどうしてもとめることはできないわけで、そのメカニズムを否定することなく、実はメカニズムの上に乗って、もう少し柔軟な働き方ができるとか、女性が進出しやすくなるとかというふうに組んでいかないと。
緒方氏
もちろんそうですし、そうしないと効果が上がらないという部分もあるわけですから。
岩男会長
五條委員からお手が挙がっていますので、どうぞ。
五條委員
私は、緒方先生からアドバイスをいただきたいというふうに思います。先ほど緒方先生から、雇用分野など、どちらかというと都市の女性に関連することかと思うんですが、終身雇用がなくなるということが男女共同参画に明るい兆しをもたらすというお話をいただいたわけですが、私が先生からアドバイスいただきたいのは、農山漁村であるとか、あるいは広く自営業者の男女共同参画の運動・取組みに励みになるようなお話をぜひ賜りたいと思いまして、今発言をいたしております。
 少しだけ私の方から農村の今の日本の現状を取り上げさせていただきますと、例えば女性農業者は、非常に活躍する方々が各地の農村で注目されるようになってきておりますけれども、依然として、農地などの固定資産を持っている女性の割合というのが極めて少ないです。それから、固定的な役割分担意識というのが非常に根強く残っている側面がありまして、これは単純に男は外で、女は家でというような考え方の問題だけではなくて、それが今は徐々には崩れてきておりますけれども、農村の究極のところは役割分担意識として、男は土地の問題を考えろ、女は食の問題を考えろ、簡単に言えば……
原委員
しょくとは食べること?
五條委員
しょくとは、食生活の食のことです。簡単にいえば、男の子はうんと小さいときから、おじいさんに肩ぐるまされて、自分の家の土地の境界はどこなんだということをたたき込まれる。そこから始まって、農地の問題を認識して、決して女性の方々が、農地の問題や農地制度のことがわからないわけではなくて、能力がなくてわからないわけではなくて、もともと生い立ちの段階から、そういうことについて認識をする、そういう状況を極めて狭めてきた。
 そういうことについても、次第に少子化が進めば跡取り娘も多くなって、それは徐々に解消されるよといえば、そういう議論もあるかもしれませんけれども、先ほど出ていたような、終身雇用が次第に崩れて、より一層男女共同参画が加速されるような分野がますますできると、それは望ましいことですが、一方で、ややもするとそういうところに若い人がどんどん、ますます移動してしまいかねないか、何とかして農林水産業や、あるいは自営業一般に男女共同参画の運動をもっと加速させていかなければいけない、そういう強い認識を持っております。そういう中で、農業関係者も、家族経営協定だとか、農村女性の起業活動を推進する、そういうような道具立てを持って今運動を進めているところであります。
 そういう状況でありますけれども、緒方先生から、ぜひ農山漁村であるとか、あるいは自営業、一般も含めてでも構わないのですが、男女共同参画の運動に励みになるようなアドバイスをいただければというふうに思います。
緒方氏
ご質問されたようなことをアドバイスできるような、私には知識はございませんし、そんなおこがましいことは私はできないと思います。ただ、農業というのが家庭を中心にしているというのは、アメリカのような場合でも言えることだと思います。アメリカの農業は大企業化しているんです。日本の農業が、どのぐらいこれから企業化していくのかということについてもいろいろお考えになっておられると思いますけれども、そういう中で多少、共同化、共同参画の方向が出てくるのでしょうか、むしろ私の方が伺いたいことなんです。
五條委員
例えば企業化して法人化するということを通して女性の地位が一層明確になるということは、多分にあると考えます。先ほど宮崎先生がまさに御指摘いただいたように、農地改革が行われたとき、これは地主から農家が解放されて、それで生産力を上げてきたと思います。それに対してこれからは、個々の農家の中における個人の解放、それは地位の確立ということを進めていくことによって、個人の能力が一層発揮されていく、そういうことを進めるものとして、家族内の経営協定や法人化を推進していくということが行われて、まさに法人化などを推進することによって、さらに女性の地位も明確になってくる、そういう動きは確かにあるというふうに感じております。
 ただ、今ここでいう企業化というのは、単なる大資本が農業に参入するということの意味合いとイコールではないということです。どちらかというと、地域に根差した農業者がいかに経営を発展させていくか、その中で法人化を図ったり、企業感覚の優れた農業者として発展していくか、そういうことではないかと感じております。
 すいません、逆に何か答えたりしてしまって。
緒方氏
教えていただいて、ありがとうございます。
岩男会長
山口委員、どうぞ。本当はもう終えないといけないのですが、あまりにも貴重な機会なものですから、お引きとめをしておりますけれども。
山口委員
おっしゃるとおり、75年は本当に大きな影響を与えたと思います。そして10年間かかって女子差別撤廃条約が出て、それでまたさらに元気が出て、ようやく99年から2000年になって基本法推進体制もできたというところで、これから実質的に実りあるものというところでジェンダー論なんですね。
 それで横文字がいけないとかというけれども、そういう時代ではないと思うんです。しかし、できるだけわからなければいけない。だけど、「セクシュアル・ハラスメント」があれだけ早く広がって、セクハラ、セクハラと。ジェンダーは何でこんなに問題になるのか。先生おっしゃったとおり、国際的にもこれは当たり前のことなので、なぜ日本が。先生は短い言葉であらわせとおっしゃったけど、先生がお話しされた部分くらい話さないとわからない、そういう状況があるということは事実だと思うんです。
 それで、選択的夫婦別姓の改正問題が出たときに、わずかな人たちの反対だから、こんなことは選択する人たちの1割くらいだから問題にならないだろうと、やがて改正されるだろうと思ったら、あにはからんや、それがすごい勢いで、選択的夫婦別姓はまかりならんという状態になった。
 今度のジェンダー論というのは、単に先生がおっしゃったようにニュートラルの意味があるというふうにおっしゃっているけれども、私はもっと、歴史的・文化的につくられた性についての回帰だと思うんですよ。ですからせっかく75年から始まって、30年かけてここまで来たけど、30年回帰、もしかしたら60年回帰になるのではないか。そのくらい私は危機感を持っているんですね。したがって、これから出す、検討しろと言われていることに関しても、引いたような表現になると、やっぱりもっともっと影響が、逆コースというか、逆戻りするというふうに感じられてならないんですね。
 緒方先生は、これは時間がかかるけれども、やがてそうなるだろうと。私もそう思うんですけれども、時代もすごく変化していますし、科学だとか何とかというのは進展さがわかるけど、「ジェンダー」というのは日本社会の抱える問題が、論争のもとになると、これは発展よりも引っ張る力が大きくなるのではないかと思っているんですが、先生、それほど私ども深刻に考えているんです、ジェンダーに関しては。
緒方氏
「ジェンダー」という言葉に関してですか。
山口委員
ジェンダーの持つ意味です。先生が、結局はそうなるだろうというけど、そのスパンの問題なんですけれども、日本社会特有ではないだろうかと思うのですが、そのようなジェンダーのとらえ方が。
緒方氏
今おっしゃったようなことは日本社会全体ではないと思います。ですから男女共同参画基本計画というものをつくっておられる専門調査会の先生方に大いに私は期待させていただきたいと思います。実態とは変わってきていますから。
 洗濯も、さっきちょっと先生がおっしゃいましたけれども、機械がやっているところ多いんですよ。そうなると、どっちがやってもいいんです、ボタンを押しさえすれば。そういうのはかなり現実として広がっていると思いますけど、ただ、宮崎先生がおっしゃっていた、ひとつどうして親の資格のないような親が子どもに対していろんなことをしているかという問題は、やはり私は都会の工業社会化の現象と関係があると思いますし、本当なら農村の田舎でもっとあったかい中で育っていた人たちがかなり都会に移って、寂しい、わからないというような状況にいることと無縁ではないと思うんですね。家の大事さとかは抽象的にはいくらでも言えるかもしれないけど、家から離れてしまっている、その家族的な社会環境から離れて都市に住んでいて、どうしていいかわからないというような、アメリカでもある現象ですね。高度工業社会における現象、それが日本にも来ているのかなということはございます。
岩男会長
それでは、あまりお引きとめできないので、原さん、最後にお手を挙げていらしたのですけど。
原委員
「セクハラ」という言葉は日本で全国的にかなり広く浸透しました。セクシュアル・ハラスメントに関する裁判をした方も含めて、随分いろいろなところに多くの方がお書きになっています。今、私が反省しているのは、ジェンダーについてもっとしっかり書いて、広くいろんな方におわかりいただく努力をするべきだったということです。最終的にどういう結論になるかわかりませんけど、今しっかり多くの方々におわかりいただくような努力をすることが、私個人としての大事なことだと反省しているところです。
古橋会長代理
宮崎先生がせっかくおられるので、宮崎先生は経済学の御専門なので、私が当初から悩んでいたのは、男女共同参画社会の理念をつくるときに、人権とか、そういうようなことがずっと出てきているんですね。それはそれでいいと。しかし、私は少子高齢化とか資源循環型社会、あるいは価値観の多様化、家族形態の変化、地域社会の変化、こういう社会・経済情勢の変化ということが、必ず男女共同参画社会が必要とするよと。したがって、経済の問題が必ず上の方の、あまりそういうことを言うとまた言われるかもしれないけれども、経済の変化が必ず関係すると、こういうふうなことを考えていろいろ言ったんですけれども、しかし、なかなか女性団体の人が、いや、これは人権が大切だということだったんですね。しかし、私はそれも理念として非常に大切だと思いますけれども、男性に理解させるためには、特に経済情勢の変化ということを特に言っていく必要があるのではないか。そこいらの点についてはいかがでございましょうか。そういうことでよろしいでしょうか。
 要するに少子化の問題に対応していかなくてはいけません。社会保障だって男性にとってもだめになってしまいます。高度情報社会になってくれば、これはまた女性にとってもメリットが出てくるし、そういう機会が増えますよ。資源循環型社会になってくれば、価値観の多様化というのは起きるでしょう。個人の能力を発揮しなければいけない。家庭生活においても、核家族化になるし、単身世帯が増えてくる。そういう中において男性も家事のことを勉強しておかなければいけませんよと。地域社会が高度情報化社会になってきて都市化してきたと。都市化になってくると、コミュニケーション能力というものの機会が非常に減ってくると。あるいはまた社会風潮の中で、携帯電話とか、あるいはゲーム機とか、そういうものができるということによってコミュニケーション能力がなくなってくる。かつ、一方において、家庭においても父親のしつけという機会が少なくなっていく。
 こういうような社会になってくれば、どうしたって、男女共同参画は男性にとっても必要なんですよと、それで言うべきだということを随分言ったのですけど、最初のときは、まだ、そんなことよりも人権の問題ですよと。北京会議においても、そういうことで人権という問題になったんですけれども、そういう経済法則からいった方が、今の男性には理解されるのではないかと、腹の中では思っているんですが、いかがでしょう。
宮崎氏
岩男先生の方が御専門でしょうけれども、やはり経済環境というのはずっと変わっていますから、もう一回、価値観のところから検討しなければいけないのではないでしょうか。今までみたいにただ所得が大きくなればいいとか、そういうことではなくて、もっと価値は別なところにあるのだ、変わってきている、それに応えるようなシステムを考えていかなければいけないと思っております。
 ちょっと全然話が違うかもしれませんけれども、今の社会保障制度の改革ということで、年金とか医療とかやられていますね。私は今の議論のされ方に非常に疑問を持っております。特に医療改革、古川さんの方が専門で恐縮ですが、皆さん医療制度変えるにはどうしたらいいか、世の中が変わってきている。少子化の現象が起こっているから変えなければいけない、ということだけで、それではそれをどういうふうにするかということを経済主義で考えるんですね、市場原理で。私もエコノミストですから市場原理というのは非常に優れたシステムだと思っていますけれども、医療の分野などでは市場原理では律しきれない。
 皆さんにお伺いすると、医療改革どうするのだ。まず財政バランスを考えるのだ、負担と費用をどういうふうにするのか。そうすると効率性ばかり追求することになるわけですよ。なるべく負担を大きくして、そして医療の財政バランスを直すことが社会保障改革の目的だということですけれども、どうも世の中の価値観というのは、そういう銭勘定の問題ではなくて、医療改革の場合には、我々がもっと安心とか安全とかというものを求めるようになってきている。だから人々に安心と安全を与えるためにはどうしたらいいかという観点で社会保障計画を考えなければいけないのですけれども、どうもお金の勘定ばかりで議論しているような感じがするんですね。
 ただ、この男女共同参画の問題にしても環境が変わってきている。それで新しい価値観、価値観は特に変わっているわけではないと思うんですけれども、男女平等の、あるいは機会均等のねらいとするところは本当は何かというところをきちんと押さえて議論しないといけないと思います。
古橋会長代理
それは私が一番最初に、理念を重視しろということなんですね。しかし、その場合において、今のようなジェンダー問題が出てきたときに、戦略的に考えるべきことは、社会経済情勢の変化の中において、男性にも得になるよということを、私は言っていく、そこのところをある程度重点的に言った方がいいのではないかという気がするものですから、ちょっと申し上げました。
岩男会長
めったにない機会なものですから、本当はもっと早くに御退席をいただかなければいけなかったのですけれども、大変お引きとめをいたしまして申し訳ございませんでした。本当に貴重なお話をいただきましてありがとうございました。お忙しい中をどうもありがとうございます。
緒方氏
ご健闘をお祈りします。
岩男会長
ありがとうございます。どうぞ、今後ともよろしくお願いをいたします。ありがとうございました。
古橋会長代理
どうもありがとうございました。

(宮崎氏、緒方氏退室)

岩男会長
さすがに、非常に視野の広いお話を伺うことができて、とてもいい方にいらしていただけたと思います。大変時間が予定よりも遅くなっておりますけれども、事務局から資料の御説明をいただくことになっておりますので、よろしくお願いをいたします。
定塚男女共同参画局推進課長
本日、お手元の方に、「2005年世界サミット成果文書(仮訳)」ということで、日本語の文書と英語の文書と入れてございますので、御紹介をさせていただきます。
 こちらの文書は、9月の中ごろ、御承知のとおり世界サミットがありました際の最終的な成果文書でございますが、ここの中に「ジェンダー」という言葉を使われておりますので、簡単に御紹介をさせていただきます。
 まず日本語の方の2ページでございます。12というところですが、「ジェンダー平等」ということで、「ジェンダー」ということが出てきております。
 6ページでございます。原文の方は「Gender equality」ということで、ジェンダーという言葉を使っております。
 それから、11ページの第44パラグラフでございます。こちらは教育のところの項目でございますが、「ジェンダー不平等や不均衡を取り除き、女子教育を改善する」というくだりが入ってございます。
 16ページでございます。58パラグラフで、「ジェンダー平等及び女性の地位向上」ということで掲載をしてございます。
 次が17ページ、右側のページでございます。
 次が19ページの第68パラグラフでございます。「アフリカの特別なニーズへの対応」でございます。
 次が27ページ、116 パラグラフ、「紛争の予防と解決における女性」のところで「ジェンダーの視点」の言葉を使っております。
 次が29ページ、一番上の「性別の」というところが、「Gender balance」という原文でございます。
 また、128 パラグラフということで、「ジェンダーや児童の保護の視点」という言葉を使っております。
 次が30ページでございまして、134パラグラフの中に「ジェンダー平等」。
 最後が37ページでございます。166パラグラフ及び169パラグラフの中で「ジェンダー」という言葉が使われているところでございます。
 以上、御紹介でございました。
岩男会長
ありがとうございました。1つ御質問なのですけれども、この日本語訳というのは常に仮訳なんですね。つまり英語が正文というのでしょうか、国連の文書はたしかそうだというふうに理解しておりますので、ですから、これはいわば日本語としては、仮訳と書いてあっても、これが正式なものと、こういうふうに理解をすればいいということだと思いますけれども、それでよろしいですね。
定塚推進課長
今、既に外務省の仮訳という形で公表されているものでございます。
名取男女共同参画局長
先ほど御紹介いたしましたけれども、例えば、「教育における」、これは明らかに誤訳でして、英文見ていただくと、ですから手書きしているのが正しい英訳です。
岩男会長
なるほど、そういう意味では、文字通り仮訳ですが、通常は仮訳が……。
名取局長
だから、それが直りましても、仮訳のままです。
古橋会長代理
仮訳なんでしょう。
原委員
こちらでお気づきになった外務省の訳の間違い、これは外務省に今お伝えになっているのでしょうか。
定塚推進課長
今、まだ調整中でございますので、どうなるかは追って確定させたいと思います。
岩男会長
それでは、前回の調査会に御出席いただけなかった委員もいらっしゃいますので、前回、議論いたしました「社会的・文化的に形成された性別」のジェンダーの表現について、事務局から御説明をいただきたいと思います。
定塚推進課長
前回ご議論頂いた際の御意見を踏まえまして、今回最低限の修正をいたしております。
 まず「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)のわかりやすい表現、説明の例ということで、短い言葉で置き換える方法、これのいくつか例示を掲げておりました中で、「社会的性別」、「社会的な男女の違い」、それから、前回、御提案のありました「社会的に作られた男女の違い」という3つをとりあえず候補という形で残しております。
 また、2番の「ジェンダーに敏感な視点」を言い換える方法でございますが、御提案のありました「ジェンダーの存在を意識した視点」、「ジェンダーに基づく差別や固定的役割分担、偏見に敏感な視点」及び「ジェンダーに気づいて、性差別をなくし、個性と能力の発揮を目指していこうとする視点」という3つを候補として残しております。
 次は、わかりやすい説明を加える方法ということで、こちらの方は前回から修正をしております。
 「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)の考え方についてというところでございます。こちらの方は、前回から比べて修正をしておりまして、こちらはジェンダーの考え方を現行基本計画に取り入れたことにより、どのような見直し・改善が進んだのかという例示でございますが、1つ目が、男性が育児休業、介護休業を取りにくい状況の改善の動きということ。
 2つ目が、配偶者からの暴力の対策として、法律が制定されたということ。
 3つ目が、男性は家族を養う責任を負うべきであるという考え方について、様々な状況から、男性のみが責任を負うことが実際上困難になりつつあることもあり、男女がともに仕事と家庭の両面について責任を分担する考え方が出てきていること。
 4番目が、起業家や科学者、医師、弁護士、消防士など、女性の進出の少なかった分野への進出が進んでいること。
 5番目が、出不足料についてでございます。
 いずれも、より説明を詳しくということで説明を加えております。
 以上でございます。
岩男会長
ありがとうございました。それでは、前回、五條委員から資料の提出をいただいておりますけれども、前回、五條委員、御欠席でございまして、今日、またこれを配布させていただいておりますけれども、ちょっと五條委員から御説明、御発言いただけければと思います。
五條委員
発言の機会いただいて恐縮です。前々回の調査会に出席して実感したことを、前回欠席だったもので、前回の調査会の中での意見として資料を出させていただきましたが、今日改めて配布していただいて申し訳ありません。
 ジェンダーの言葉をめぐって、私の感じることをここに書いたとおりなんですが、少しだけ肉付けをさせて、ここでの意味合いを一層明らかにしていきたいと思います。1番目に書いてあることに関しましては、5行目からありますように、男女共同参画社会の意味合いを正確に、また、その認知度を高めていくようなことを進めていく上では、どうしてもそのもとで共通する理念が必要である。「ジェンダーに敏感な視点」という言葉の普及をトーンダウンさせると、なかなかそういう理念は進まないというふうに実感します。
 先ほど古橋先生がおっしゃっていたように、今回この言葉をまた改めて強く普及していかないと、現場でその課題を認識していく機会がまた少なくなってしまうのではないか、そういうことです。例えば、農村の現場においても、男女共同参画の運動を進めていくときにつくづく感じることは、何度も議論をして、議論をしてその蓄積を重ねていくと、最初に反対していた方も随分意見が違ってくるということなんですね。
 私、以前に、農業団体の職員でしたけれども、農業団体に入りたてのころから、利谷信義先生、家族経営協定のネーミングの提案者でもあるわけですが、その利谷先生が、この種の家族経営協定のような男女共同参画の運動というのは、とにかく議論のウォーミングアップが必要だということを繰り返し言ってくださって、ウォーミングアップをしていけば、絶対に次第に考え方が変わってくる人もいる、そういうことを確信を持って言ってくださったのを信じて私は協定の普及を取り上げ、そうすると確かに1つの会議でも、最初に話していたことと、だんだん終わりごろになって話される反対派の意見も違ってくるということもあって、ぜひとも明確に、この男女共同参画を進める上での問題の所在を認識させるような、その運動の1つのかてになるような言葉としてジェンダーの言葉をきちんと使っていく必要があるのではないか。
 それと同時に、ますます大事なことは、異業種間での垣根を越えて、それで男女共同参画の運動を広げていくということが、今の局面で非常に重要な状況になってきていると思います。各分野の業界の人が他の業界の人の状況を見て、それによって男女共同参画の問題の所在を認識する状況が非常に今重要視されているのではないか。そういう異業種間の連携を図る上でも、共通してこのジェンダーの問題ということをきちんとトーンダウンさせないで取り上げていく必要があるのではないか、そんなふうに感じております。
 それから、大きく分けての2番目のところですが、どう表現するかということに関して、特に挙げさせていただいたのは、社会的・文化的な性別のことについて少しだけ補足して、それをシンプルに整理していくということが大事ではないか。そのときにその用語の意味するところを端的に印象づけるような、イメージできるような言葉がどうしても必要ではないかというふうに考えます。
 そのときに日本では、固定的な役割分担意識ということをきちんと話すことによって、それがジェンダーということをイメージさせる最も鮮明な方法ではないか。それから、そういうことが改革できないとか、変革できないと思っている考え方が、この「ジェンダー」という言葉の普及を押さえているのではないか。
 私、この下に、原ひろ子先生、ほかの先生がまとめられた『imidas』の中にある関連のパートをよく手元に置いて、勉強するときの大事な参考にしているのですが、この「ジェンダー」の項を読んだときにものすごくぴんときたのは、こういうことが変革可能なのだということを訴えるということなんですね。ジェンダーというのは、あくまでも固定的なものではなくて、その意識というものは必ず変革可能なのだということを盛り込むことによって、その置かれた関係者にものすごく勇気づけになっていくということだと思います。
 具体的な例を1つだけ挙げれば、先ほどどうしても農村では、男性が土地の問題を意識して、女性は食の問題を意識させるということが根づいてきているという点を指摘しましたが、女性の方々が農業委員などになったときに、何をやろうかということをお互いに考えたときに農地の問題の勉強会をやります。そういう中で農地の制度をきちんと認識することによって、女性の活躍というのが一層助長されるということで、この問題を変革できるということを現場の関係者に勇気づける、そういう印象づけるようなことを書いていくことが大事ではないかというふうに思います。
 それから、もう一つは、このジェンダーの問題を認識していくことについての重要性ということを訴えていくということで、だれもが反論できないこととして、個人の多様な生き方を尊重するということです。そういうことをきちんと言っていくことが大切ではないかと思います。5月29日に福岡の地方公聴会に私も出させていただきましたが、非常に端的な質問として、女性を大型漁船に乗せるのかという趣旨の話がありました。漁船に乗せるかどうかという多様な生き方を選択できるということを尊重できる社会をつくっていくということが、まさにジェンダーに敏感な視点を踏まえた、そういう社会づくりではないかというふうに感じておりまして、この「ジェンダー」の言葉の重要性を、どういうふうにすればだれもが異論なく表現していけるか、その重要性を認知していくか、そういうことが大事ではないか。
 そういう要素を踏まえて、ごく端的にシンプルに「ジェンダー」の「社会的・文化的に形成された性別」という言葉を若干補足していく必要があるのではないか。そんな認識を持ってこの文章を書いてみたわけであります。
 非常につたないことですが、私の認識を述べさせていただきました。
岩男会長
ありがとうございました。それでは、きょうのヒアリングから始まりまして、ただいまの御説明に至るまでいろいろな問題点も出てまいりましたけれども、何か御意見ございましたら御自由に御発言いただきたいと思います。よろしいですか。
 特に御意見がないようでしたら、まだ時間は少しはございますけれども、事務局から何か御連絡があれば、お願いいたします。
定塚推進課長
今後のスケジュールでございますけれども、次回第17回会合で最終的な取りまとめの案というものを御提示いたしまして、御議論をいただく予定といたしております。 以上でございます。
岩男会長
ありがとうございました。
 何か御質問、あるいは御意見ございますでしょうか。よろしゅうございますか。
 それではどうぞ次回よろしくお願いしたいと思います。
 では、本日は大変お忙しい中を御参加いただきましてありがとうございました。これで終了させていただきます。

(以上)