コラム10 日本での性差医療の実践と展望 ~天野惠子医師に聞く~

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コラム10

日本での性差医療の実践と展望 ~天野惠子医師に聞く~


天野 惠子(あまの けいこ)
1942年生まれ。67年東京大学医学部卒(医学博士・循環器内科専攻)。東京大学講師,東京水産大学(現:東京海洋大学)教授を経て,2002年千葉県立東金病院副院長兼千葉県衛生研究所所長。09年より埼玉県新座市の静風荘病院にて女性外来を開始。日本性差医学・医療学会理事,NPO法人性差医療情報ネットワーク理事長。予防医学,病気の発症と進展における男女の差に関する研究・啓発のほか,女性外来の普及にも力を入れている。

天野 惠子(あまの けいこ)

〈性差医療の歴史〉

米国では,1960~70年代のサリドマイド薬害1等を受けて,77年に食品医薬品局(FDA)が,妊娠の可能性のある女性を薬の治験に加えるのは好ましくないという通達を出した。その後,十数年に渡り,女性は薬の治験を含む臨床研究から除外された。しかしながら,女性の健康に関するエビデンスの欠如は問題だとする政府の主導の下,90年代初めから,女性の健康に関するインフラ整備,大規模疫学調査等が進められた。94年に,FDAは77年の通達を廃止し,薬の治験では対象の半数に女性を入れることが望ましいとのガイドラインを公表,98年には,男女や年齢のバランスの取れたデータを集めるよう義務付けた。こうした政府の取組を通じて,米国では性差医療が大きく前進した。

日本では,平成11年(1999)の第47回日本心臓病学会において,天野惠子医師により「性差医療」の概念が紹介された。我が国における性差医療の第一人者である天野医師に,日本での性差医療の取組と今後の展望について話を聞いた。

私の専門は循環器内科で,狭心症や心筋梗塞の患者を多く診ていたが,患者は女性より男性が多いこと,一方で,胸痛を訴える女性患者の場合,通常の検査で何も異常が見つからない場合が多いことに長年,疑問を感じていた。40代のときに,米国循環器病学会で,冠動脈(心臓の表面の太い血管)造影では異常が見つからない「微小血管狭心症2」という病気があり,更年期前後の女性に多く発症することを知った。この説明は,私の診療経験とも合致しており,胸にストンと落ちた。これが,私が性差医療に取り組むようになった最初のきっかけである。

平成11年に日本心臓病学会で性差医療の概念を紹介したところ,“Evidence-based Medicine”の概念が浸透しつつあったこともあり,多くの医師が賛同してくれた。そこで,まずは女性の健康におけるエビデンス構築のために,性差医療の実践の場として女性外来を開設しよう,ということになった。鹿児島大学の鄭忠和教授のご尽力で,13年に同大学に日本初の女性外来が設置され,現在は全国に300を超える女性外来が開設されている。女性外来の開設に伴い,日本各地で医療分野での性差の研究が進み,男女別の疫学データの収集が行われるようになったのは,性差医療の取組の成果の一つだと考えている。

性差医療を巡る今後の展望だが,医学教育の中に,短い時間でよいので,性差医学・医療を盛り込んでほしい。医学生には,性差が患者を診察する上で,極めて大切な考えであり,横断的な視点であることを理解してほしい。また,女性外来は,初診で30分以上かけてじっくり話を聞くため,コストがかかる。公立病院等が女性外来をやめてしまう理由もそこにある。こうした分野の医療の収益性についても検討してもらえるとありがたい。

(備考)「性差医療の歴史」は,「性差医学入門」(監修:貴邑冨久子,翻訳編集代表:荒木葉子,じほう),「行き場に悩むあなたの女性外来」(天野惠子編著,亜紀書房),「性差医療の考え方を取り入れた女性の健康支援の必要性」(天野惠子,保健師ジャーナル第66巻第3号別刷,2010年3月10日発行),「我が国における性差医療の変遷と展望」(下川宏明,日本臨牀2015第73巻第4号)等を参考に作成。

1妊娠初期にサリドマイドを含む入眠剤を服用した女性から四肢に障害を持つ子どもが生まれ,大きな社会問題となった薬害事件。

2微小血管狭心症とは,冠動脈造影では観察できない微小な血管の狭窄や収縮異常により起こる症状。閉経後の女性に多く,70%を占めるとの報告もある。(「行き場に悩むあなたの女性外来」,「循環器領域における性差医療に関するガイドライン(日本循環器学会等)」)