執務提要

第2章 国際婦人年(昭和50年)から平成元年まで

1.昭和50年(1975年)~昭和54年(1979年)

(1)国際的な動向

昭和50年(1975年)6月から7月にメキシコシティで国連が開催した国際婦人年世界会議では、国際婦人年の目標達成のためにその後10年にわたり 国内、国際両面における行動への指針を与える「世界行動計画」が採択された。我が国は藤田たき(婦人問題審議会会長)を首席代表として派遣した。

同年秋の第30回国連総会では、この会議で決まった行動計画を承認するとともに、昭和51年(1976年)から昭和60年(1985年)までを 国連婦人の10年とすることを宣言し、その目標を平等・発展・平和と定めた。また、昭和55年(1980年)に行動計画の実施状況について再検討する世界会議を開くことを決定した。

世界行動計画の構成

  • 序章
  • 第1章 国内行動
  • 第2章 国内行動のための特定分野
    • A 国際協力及び国際平和の強化 B 政治参加
    • C 教育及び訓練 D 雇用及び関連の経済活動
    • E 健康及び栄養 F 近代社会における家庭
    • G 人口 H 住居及び関連施設
    • I 他の社会問題
  • 第3章 研究・資料収集及び分析
  • 第4章 マス・メディア
  • 第5章 国際的及び地域的行動
    • A 世界的行動 B 地域活動
  • 第6章 再検討及び評価

昭和50年(ILO)においても、世界会議に呼応して第60回総会(1975年)で「婦人労働者の機会及び待遇の均等に関する宣言」、 「婦人労働者の機会及び待遇の均等を促進するための行動計画」、「雇用及び職業における婦人及び男子の地位及び企画の均等に関する決議」が採択された。

昭和54年(1979年)12月、第34回国連総会において「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(昭和60年7月1日条約第7号) (「女子差別撤廃条約」)が採択された。

(2)国内における取組

国際婦人年に向けて様々な取組が進められていたが、昭和50年の年頭には「国際婦人年に当たって」と題する内閣総理大臣のメッセージが出された。 国会では6月13日の衆議院社会労働委員会において婦人問題について初めて集中審議が行われた。また、同月、衆参両院の超党派議員により 「国際婦人年にあたり、婦人の社会的地位の向上を図る決議」が提案され、衆参両院で採択された。

政府は、「国際婦人年世界会議における決定事項の国内施策への取り入れその他婦人に関する施策について、関係行政機関相互間の事務の密接な連絡を図るとともに、 総合的かつ効率的な対策を推進するため」、婦人問題企画推進本部(本部長:内閣総理大臣、副本部長:総理府総務長官、 本部員:内閣官房副長官、総理府総務副長官、関係9省庁の事務次官等)の設置を閣議決定(昭和50年9月23日)し、また、同本部に参与制度を設けることを本部長決定とした。 (後述のとおり、婦人問題企画推進本部は昭和61年1月17日の閣議において、国連婦人の10年終了後も存続することとなった。 その後、平成6年7月12日の閣議決定で男女共同参画推進本部が内閣に設置されたことに伴い、同本部は廃止された。)

さらに上記閣議決定では、「本部の事務は、関係行政機関の協力を得て、内閣総理大臣官房において処理する」 とされたため、内閣総理大臣官房審議室(昭和61年7月の組織改正により内閣総理大臣官房内政審議室)に (法律、政令に基づかない)婦人問題担当室が置かれ、審議室の参事官が事実上室長として業務を行った(同室で行われてきた業務は、 平成6年6月の総理府本府の組織改正により内閣総理大臣官房に政令に基づく組織として設置された男女共同参画室が行うことになった)。

さらに、世界会議の決定事項の国内取り入れその他婦人に関する施策の企画及び推進に資するため、内閣総理大臣の私的諮問機関として 有識者から成る婦人問題企画推進会議も設置された。

推進本部では、世界行動計画及び、婦人問題企画推進会議の意見(昭和51年11月)を踏まえ、昭和52年から昭和61年までを対象とした我が国の婦人問題の課題 及び施策の方向、目標等を明らかにするため、昭和52年1月27日に「国内行動計画」を本部決定し、2月1日に同計画を閣議報告した。

国内行動計画の構成

  • I 基本的考え方
  • II 施策の基本的方向
    • 1 法制上の婦人の地位の向上
    • 2 男女平等を基本とするあらゆる分野への婦人の参加の促進
    • 3 母性の尊重及び健康の擁護
    • 4 老後等における経済的安定の確保
    • 5 国際協力の推進
  • III 計画の推進

なお、総理府は、関係省庁の協力を得て、昭和53年1月「婦人の現状と施策-国内行動計画に関する第1回報告書」を取りまとめ、発表した。

推進本部は昭和52年6月に「婦人の政策決定参加を促進するための特別活動推進要綱」を本部決定し、当時3%弱だった 国の審議会の女性委員割合を国内行動計画前半期に10%程度へ引き上げることを目指すこととした(逐条解釈第2条参考5参照)。 また、同年10月に、国内行動計画の前半期(概ね昭和55年まで)に特に重点的な取組を必要とする事項を「国内行動計画前期重点事項」として取りまとめた。

国内行動計画前期重点目標

  • (重点事項)
  • 婦人の政策決定参加の促進
  • 家業、家庭における妻の働きの評価
  • 新しい教育機会の創出
  • 新しい時代に即応する学校教育
  • 雇用における男女平等
  • 育児環境の整備
  • 母性と健康を守る対策
  • 農山漁村婦人の福祉の向上
  • 寡婦等の自立促進
  • 老後における生活の安定
  • 国際協力

国内施策については、総理府は昭和52年度に全国婦人問題担当課(室)長連絡会議の開催、昭和53年8月に 婦人問題企画推進本部ニュース「えがりて」の創刊(隔月)、昭和54年11月~12月に婦人問題推進地域会議(都道府県、 政令指定都市と共催)の開催(以後毎年)など、各種施策を開始していった。

労働省では、婦人問題審議会が「職場における男女平等の促進に関する建議」(昭和50年9月)、 「雇用における男女の機会の均等と待遇の平等の促進に関する建議」(昭和51年10月)などの検討を進めた。

教育分野においても昭和52年10月に国立婦人教育会館が開館した。

また、公務員の受験資格について、昭和51年度試験からは初級試験のうち行政事務Bについて女性に受験資格を与えることとし、 昭和54年度からは航空管制官等運輸省所管5職種について女子の受験を認めることとした。

地方公共団体においても婦人問題への取組が進み、昭和54年12月現在で全都道府県及び政令指定都市には婦人問題担当の窓口が置かれ、 6県で行動計画を策定し、施策の推進を図っていた。


2.昭和55年(1980年)~昭和59年(1984年)

(1)国際的な動向

昭和55年(1980年)7月、コペンハーゲン(デンマーク)において「国際婦人の10年」中間年世界会議が開催され、 「国連婦人の10年後半期行動プログラム」が採択された。我が国は高橋展子在デンマーク特命全権大使(注:女性で初めての大使) を首席代表とし、超党派8人の国会議員も顧問団として参加した。

国連婦人の10年後半期行動プログラムの構

  • 第一部:背景と枠組み
  • 第二部:国内レベルの行動プログラム
    • イ 社会的経済的開発への婦人の全面参加のための国家機構、立法措置の整備、その他の政策の促進
    • ロ 世界会議のサブテーマ「雇用、健康、教育」に関連する行動の目標及び 優先分野の国民全体に関する国の計画立案及び開発の総合的な状況の中での推進
  • 第三部:国際・地域レベルの行動プログラム
    • イ 国連システムの機関による開発への婦人の統合を目ざした国、地域、国際レベルのプログラムの設定、実施への支援
    • ロ 関係国連機関による婦人、特に社会の貧しい部門の婦人を開発の主流(農業、工業)へ統合するための手段の研究
    • ハ 国際的基準の作成、技術協力、訓練、調査、情報普及の促進
    • ニ 地域委員会、婦人の地位委員会を中心とした本プログラムの実施状況の検討

同プログラムは、「世界行動計画」の前半期における実施状況の検討及び評価を踏まえ、この会議のサブ・テーマである 「雇用、健康、教育」を中心に、特に留意すべき優先分野を指摘しつつ、国内的、国際的、地域的レベルにおいて、各国政府がとるべき行動を掲げ、勧告している。

同会議の会期中に女子差別撤廃条約の署名式が行われ、我が国もこれに署名した。同条約は、国連憲章、世界人権宣言、 国際人権規約、女子差別撤廃宣言等に規定されている性による差別禁止の原則を更に具体化したものである。 同条約は昭和54年(1979年)の第34回国連総会での採択後、昭和55年(1980年)3月に署名のために開放され、上述の署名式等を経て、昭和56年(1981年)8月には、締約国が20か国となった。 これにより同条約の規定に基づき9月3日に同条約は発効した。また、翌年4月には条約の規定に基づき、女子差別撤廃委員会が設置された。

昭和57年の国連総会では、昭和60年(1985年)に開催される世界会議のために地域ごとに政府間の準備会合を開催することが決定され、 我が国は、昭和58年(1983年)4月にアジア太平洋経済社会委員会(エスカップ)総会においてアジア太平洋地域の政府間準備会議を東京で開催するよう要請し、各国の賛同を得た。 この女性問題に関する我が国初の政府間会議は、エスカップ加盟国28ヶ国他の参加を得て昭和59年3月に開催され、開発における婦人の役割などについて議論がなされた。 我が国は高橋展子大使を主席代表とし、同大使が議長を務めた。

また、国際労働機関(ILO)では昭和56年(1981年)、「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」(第156号。平成7年条約第10号)を採択した。

(2)国内における取組

ア 国内施策

「国連婦人の10年」中間年世界会議の結果、また、婦人問題企画推進会議の意見(「国際婦人年の10年後半期に向けて」昭和56年2月)を踏まえ、 婦人問題企画推進本部は昭和56年(1981年)5月、昭和56年から昭和61年までを対象とした「婦人に関する施策の推進のための「国内行動計画」後期重点目標」を決定した。

後期重点目標の構成

  • 婦人の地位向上のための法令等の検討
  • 政策決定への婦人の参加の促進
  • 教育・訓練の充実
  • 雇用における男女の機会の均等と待遇の平等の促進
  • 育児に関する環境の整備
  • 母性の尊重と健康づくりの促進
  • 老後における生活の安定
  • 農山漁村婦人の福祉と地位の向上
  • 国際協力の推進

昭和58年1月に推進本部幹事会は審議会等委員への婦人の登用促進について、60年度末までに原則として各審議会に新たに1名づつ婦人を登用する等により、 今後も政府全体として10%となるように更に鋭意努力すると取組方針に関する申し合わせを行った。

国内組織については、総理府の機構改革を踏まえ、昭和59年6月に婦人問題企画推進本部の副本部長が総理府総務長官から内閣官房長官に交代し、 本部員のうち総理府総務副長官は削除された。また、昭和59年7月に労働省は「婦人少年局」を廃止し、「婦人局」を設置した。

地方公共団体においても積極的に婦人行政の推進に取り組む体制を整え、昭和57年4月現在で37の県及び政令指定都市で独自の行動計画を策定していた。


イ 女子差別撤廃条約

女子差別撤廃条約を前述の「国連婦人の10年」中間年世界会議で署名するに先立ち、推進本部は昭和55年6月に、国内行動計画後半期における重点課題として、 女子差別撤廃条約批准のため、国内法制等諸条件の整備に努めるものとするとの本部申し合わせを行い、閣議においても、本条約に署名することを決定した。 この手続きにより、世界会議において署名を行うことができた。

また、女子差別撤廃条約の批准に向けて、国籍法(昭和25年5月4日法律第147号)の改正(父系優先血統主義から父母両系主義への改正。 昭和59年5月法律第45号で改正。)、男女雇用機会均等法の制定(後述3(2))、労働基準法の改正(同)、高校の家庭科の女子のみ必修から 男女とも選択必修とすることなどの「家庭科教育に関する検討会議」報告(同年12月)等がなされた。


3.昭和60年(1985年)~平成元年(1989年)

(1)「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議

「国連婦人の10年」の最終年に当たる昭和60年(1985年)7月、ナイロビ(ケニア)において「国連婦人の10年」ナイロビ世界会議が開催され、 157か国37機関が参加した。我が国からは森山眞弓外務政務次官を首席代表とする政府代表団が派遣されるとともに衆参両院婦人国会議員13名も顧問として出席した。

同会議では、10年間の成果の検討と評価を行い、さらに西暦2000年に向けて各国等が実状に応じて効果的措置をとる上でのガイドラインとなる 「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略」(ナイロビ将来戦略)を採択した。

婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略の構成

序章(歴史的背景、現状と2000年までの展望等)

  • I 平等
  • II 発展
  • III 平和
  • IV 特殊な状況の婦人
  • V 国際協力及び地域協力

同戦略は第40回国連総会でも支持され、昭和62年(1987年)の国連経済社会理事会では、ナイロビ将来戦略の実施の見直し評価をするため、 1990年代及び2000年に国連が世界女性会議を開催することを勧告した。

(2)国内における取組

ア 女子差別撤廃条約の批准

女子差別撤廃条約は、前述(2(2))のような国内措置を採り、条約批准のための国会承認(昭和60年6月)を経た後、 72番目の条約締結国として昭和60年6月、批准書を寄託し、ナイロビ会議開催中の7月25日に我が国で発効した。

同条約は第18条において締約国に対して条約の実施のために採った措置及びこれによりもたらされた進歩に関する報告を提出することを義務付けているが、 我が国はこの実施状況について、昭和62年に第一次レポートを国連に提出し、同報告は翌年、国連女子差別撤廃委員会において審議された。

イ 国内体制の整備

昭和61年1月に、ナイロビ将来戦略等を受け、婦人問題企画推進本部の設置の趣旨を発展させ、ナイロビ世界会議での決定事項の国内施策取り入れ、 女子差別撤廃条約の実施に伴う施策その他婦人に関する施策について総合的かつ効果的な対策の推進を図ることを本部の役割とするとともに、 構成省庁を全省庁に拡大(本部長:内閣総理大臣、副本部長:内閣官房長官、本部員:内閣官房副長官、21省庁事務次官)することにより、本部機能の強化を図るため、 「婦人問題企画推進本部の設置について」を改正した。また、同年2月、婦人問題企画推進会議を婦人問題企画推進有識者会議に改組し、 婦人に関する施策の企画及び推進に資するため開催されることとなった。

ウ 国内行動計画

「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略」を踏まえ、昭和61年3月に婦人問題企画推進有識者会議に対し「西暦2000年に向けて長期的展望に立った婦人関係施策の推進についての意見」 の取りまとめを依頼し、これを受けて有識者会議は同年10月に中間取りまとめを公表した。さらに有識者会議は地方公共団体、婦人団体の意見を参考にし、 取りまとめ、昭和62年3月に本部長に報告した。推進本部はこの意見の趣旨に沿い、昭和62年5月7日に「西暦2000年に向けての新国内行動計画」を推進本部決定し、 同月12日に閣議に報告した。

西暦2000年に向けての新国内行動計画の構成

  • 第1部 基本的考え方
  • 第2部 施策の基本的方向とその転回
    • I 男女平等をめぐる意識改革
    • II 平等を基礎とした男女の共同参加
    • III 多様な選択を可能にする条件整備
    • IV 老後生活等をめぐる婦人の福祉の確保
    • V 国際協力及び平和への貢献
  • 第3部 基本的施策(62~75年度)と具体的施策(62~65年度)
    • I 男女平等を巡めぐる意識改革
    • II 平等を基礎とした男女の共同参加
    • III 多様な選択を可能にする条件整備
    • IV 老後生活等をめぐる婦人の福祉の確保
    • V 国際協力及び平和への貢献
  • 第4部 計画の推進

新行動計画は「男女共同参加型社会の形成を目指す」ことを総合目標に設定し、西暦2000年に向けて長期的に施策を推進するため、 昭和62年度から昭和75年度(平成12年度)までを対象とする基本的施策と、昭和63年度から昭和65年度(E平成2年度)までを対象とする具体的施策を示している。


エ 国内施策の推進等

昭和60年には、勤労婦人福祉法(昭和47年7月1日法律第113号)を抜本的に改正して、「雇用の分野における男女の均等な機会及び 待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」とすること、及び労働基準法(昭和22年4月7日法律第49号)の一部を改正することを内容とする 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇を確保するための労働省関係法律の整備等に関する法律」(昭和60年6月1日法律第45号)が提出された。

前者については、企業の募集、採用から定年、退職、解雇に至る雇用管理における男女の均等な機会及び待遇の確保、機会均等調停委員会による紛争処理、 出産、育児等のため退職した女子の再就職の援助などが規定された。(その後、平成9年6月18日法律第92号により名称及び内容の改正があり、 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」(男女雇用機会均等法)となった。)

労働基準法の改正部分については女子の時間外労働、休日労働、深夜業の規制を一定の者について廃止するなどの女子保護措置の廃止又は緩和、 産前産後休業期間の延長などの母性保護措置の拡充が行われた。

また、昭和61年7月には「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(昭和60年7月5日法律第88号) (労働者派遣事業法)が施行されるなど国内措置の整備が進んだ。

個別施策としては、総理府では昭和60年10月に「国連婦人の十年」記念事業として婦人関係功労者の内閣総理大臣表彰を実施した。 また、昭和62年度から女性に関する施策の推進のため、全国6地区で女性問題担当行政ブロック会議を開催した。

昭和63年2月、農林水産省は毎年3月10日を農山漁村婦人の日と設定し、婦人の役割の正しい認識、婦人の能力活用等を促進することとした。

政治の分野では、昭和61年9月に日本社会党第10代委員長として土井たか子氏が選出され、主要政党における我が国憲政史上初の女性党首となった。

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